027. million


  *第3部から、見た目が少し変わっていますが、100題の続きです。


 温泉街でのイベントから戻った翌日。

 ぎっくり腰が未だ癒えないというのに、アキラは新宿のデパートを訪れていた。

 今日が緒方の誕生日であることを思い出したからだ。

 本人曰く、クリスマスの後につきあい始めた新しい恋人と、熱い夜を過ごすらしいが、昼間ならば、まだ自宅にいるだろう。

 プレゼントを買って、緒方の家を訪ねるという計画のもとに、アキラは、まず、デパートにやってきたというわけだ。

(イベントの参加を、緒方さんが断ってくれたおかげで、進藤に告白できたわけだし。何か贈ってあげてもバチはあたらないだろう)

 腰痛を起こすことが必至なイベントだと知って、ちゃっかり逃げた緒方だが、代わりにヒカルが参加することになったのだから、間接的には、彼が貢献していると言えないこともない。

 ハンカチを2〜3枚、箱に入れて包装してもらえばいいだろうと、アキラは、紳士用小物の売り場へ向かった。

 だが。

 デパートというところは、女性向けの商品であふれている。

 入り口から少し進むあいだに、やれ化粧品だ、やれ髪飾りだと、華やかなディスプレイが展開されていた。

 そんななか、アキラは、見覚えのある場所で足をとめた。

 ジュエリー売り場である。

 ヒカルの誕生日にネックレスを買い、クリスマスにピアスを買った、例の店である。

 ネックレスは、まだ自室のクロゼットの奥にしまわれたままなのだが、これは余談。

(進藤に告白したんだから…………次は婚約指輪だな)

 ヒカルの返事も待たずに婚約指輪とは。

 まるで、「風が吹けば桶屋が儲かる」とでも言わんばかりの急展開である。

 彼にしか理解できない飛躍的理論のもとに、アキラは、いそいそとガラスケースのなかを覗き込んだ。

 強い照明の光を受けて、豪華に煌くダイヤモンドの数々。

 中央に一粒のダイヤを配したシンプルなデザインから、アシンメトリーに石が配置された都会的なデザインまで、さまざまな指輪が並んでいる。

『永遠の愛を輝きに込めて』

 真紅のプレートに書かれた金色の文字が、ロマンチックな雰囲気を煽る。

(給料の3ヶ月分が目安だっていうけど、値札が見えないな)

 アキラなら、「ボクが一生のうちに手にするお金を全部捧げても、たりないくらいだ」とでも言いそうなところだが、こういう無駄な知識だけはあるらしい。

 彼にしては珍しく、世の常識に従って、分相応の物を選ぼうとしたが、あいにく、値札は裏返しになっていて、外からは見えないようになっている。

 店員の介入が不可欠という状況を作り出そうという魂胆がみえみえで、なんとなくいやらしい。






「お客さま。婚約指輪をお探しですか」

 ここぞとばかりに喰いついてくる女性店員。

 過去2回にわたって、アキラにピンクサファイアのジュエリーを買わせたやり手である。

 当然、ネギを背負ったカモ……いや、上客であるアキラのことを、しっかり憶えていた。

「ご予算はどれくらいでお考えですか?」

 アキラの外見から判断するに、着ているものこそ若者風ではないが、間違いなく十代半ばである。

 十分な貯金があるほどの社会人歴はないように見えるが、彼女にとって、それは特に問題ではない。

 婚約指輪に給料3ヶ月分をかける客は、年々減少しつつあるため、年若いアキラにも買えそうな金額の指輪も、数多く取り揃えているのだ。

 最近の売れ筋は、小粒のダイヤが3つ並んだ控えめなデザインで、値段も20万円程度のものが多い。

 だが、彼には、高価なジュエリーを、ポンと買っていった輝かしい前科もある。

 店員は、期待に満ちた目でアキラの顔を見つめ、答えを待った。



(対局料がだいたいこれくらいで、指導碁がこれくらい。ああ、そうだ。イベントに出る月もあるし。平均すると……)

 アキラは、少し遠い目をして、頭のなかのソロバンで計算する。

「995319円です」

 アバウトな金額をもとに年収を弾き出し、その3ヶ月分を割り出したようだ。

 誤差だらけなのに緻密な計算をする、まったく無駄な男である。

「……100万円くらいということですね」

 久々の大きなカモに、店員の目がキラリと光る。

「そのご予算ですと、一粒石のものは0.4カラットくらいでしょうか。こちらか、こちら……あるいは……」

 店員は、とびっきりの作り笑顔でガラスケースを開け、ビロードの貼られたトレイの上に、いくつもの指輪を並べていく。

 アキラは顔を近づけて、それらをじっくりと見た。

 それから、ガラスケースのなかに残された小粒のダイヤに目を向けたが、あまり違いがわからない。

 ダイヤモンドの価値を決める4Cを知らないのだから無理もない。

 しかも、0.1カラットきざみの大きさの違いなど、傍目にはまったく同じに見える。

 アキラは、ふと、クリスマスの夜に聞いた悪女の罵詈雑言を思い出した。

わたしほどの女に贈るなら、2カラット以上の指輪を選ぶのが常識でしょ?

「すいません。2カラットのダイヤ、ありますか?」

 アキラの言葉に、店員は思わず唾を飲み込んだ。

「も、もも、もちろん、ございますともっ!」

 少し奥まったところにあるガラスケースへ走っていき、大急ぎで戻ってきた。

 トレイの上には、1カラット・1.5カラット・2カラットの立爪リング。

「婚約指輪向けのダイヤと違って、内包物がありますし、お色目も少しクリーム色が入っておりますが……」

 店員の説明など聞きもせず、アキラは、それらをじーーーーっと見つめた。

(たしかに2カラットは大きいな。だけど、進藤には似合わないような……)

 値札を見れば、150万円とある。

 アキラにしてみれば、先ほど薦められた0.4カラットのダイヤと、この2カラットのダイヤが、わずか50万円の違いだというのが不思議で仕方がない。

 眉根を寄せて考え込んでしまったアキラの、進藤には似合わない云々という独り言を聞きつけ、店員はすかさず尋ねた。

「失礼ですが、お相手は、クリスマスにお買い求めいただきましたピアスをおつけになられたお嬢さまですか?」

 アキラの相手であるヒカルのことも、商売柄、しっかり記憶している。

 ボーイッシュな少女で、アクセサリーに興味はなさそうなイメージだった。

 高級品をつける前に、指輪に慣れるために、他のカラーストーンを贈って、そのあとで婚約指輪を贈ったらどうかと提案するべく、店員は賭けに出たのだ。

「いえ……」

 NOを示す単語を口にしたアキラに、店員の顔色が変わった。

 最近の若者は、すぐにつきあったり別れたりを繰り返すのね……と、彼女はおそるおそるアキラの顔を覗き込んだ。

「いえ、まだ耳に穴をあけたばかりなので。もうすぐ、あのピアスをつけてもらえるんです。実は、昨日、彼女に告白したんですけどね。湯けむりのたなびく露天風呂、朝焼けに映える進藤の美しさといったら……」

 でろ〜ん。

 しまりのない顔で、訊かれもしないことまでペラペラとしゃべり続けるアキラに、店員は少しげっそりしながらも、小さくガッツポーズを決めた。

『昨日、告白した』

 つまり、婚約指輪を買うどころか、婚約の予定も立っていないのではないか、ということだ。

 ちなみに、ヒカルからのOKすらもらっていないということまでは、さすがに、わからなかったようだが。

「それなら、お客さま……」

 延々と続く『進藤ヒカル賛歌』に割り込んで、店員は、別の種類の指輪を持ってきた。

「婚約指輪の前に、こちらの誕生石の指輪をお贈りになってはいかがでしょう」

 妄想の世界にトリップしていたアキラだが、とりあえず、店員の言葉に反応して、もうひとつのトレイに目を向けた。

 すると、そこには、ピンクサファイアと小さなダイヤがついた、可愛らしいデザインの指輪があった。

 プラチナ台にダイヤという無色に近い指輪ばかり見ていたせいか、18Kとピンクの取り合わせが、とても華やかに見える。

「ネックレス、ピアス、指輪と、3点セットで誕生石をお贈りいただいて、そのあとで、さあ、いよいよ婚約指輪を!……という展開は、いがでしょうか」

 ロマンチックですよー。

 ドラマチックですよー。

 盛り上がりますよー。

 店員のセールストークは、囲碁以外のことにはからっきしな塔矢青年の心に、これ以上なく強く響いた。



「これください」

 アキラは即決した。

 デパートのなかにあるATMで現金を引き出し、ついでに緒方のプレゼントにハンカチを買って、ジュエリー売り場に戻った。

 本来の目的は、アキラのなかでは、すでに「ついで」程度の扱いになってしまっている。

 綺麗にラッピングされた指輪と一緒に、店員の名刺も渡された。

「婚約指輪をお求めの際は、ぜひまたお越しくださいね」

 きっと、お相手の方に喜んでいただける指輪をご用意しますからと、つけ加えられて、アキラはコクコクとうなづいて、大事そうに名刺を財布にしまった。

 その仕草に、店員の目が、再びキラリと光ったが、アキラはそのことに気づかなかった。







 宝飾店の店員には、売り上げのノルマというものがある。

 それなのに、100万円のダイヤの指輪ではなく、10数万円のファッションリングを薦めたことを、他の店員が不思議に思って尋ねてみたところ。

「損して得取れっていうでしょ。あのお坊ちゃん、絶対に、この店に婚約指輪を買いに来るわ。しかも、わたしの名刺を持ってね」

 その時は容赦しないわよ〜……と、店員の高笑いが、売り場に響き渡ったのだった。



 million といえば、100万円。
 来場者100万人突破感謝イベントなんていうのもアリだったでしょうか。
 でも、ワタクシにとっては、やっぱりおカネ(笑)。

 20歳くらいのときは、100万円あったら、なんでもできると思ってました。
 魔法の金額でしたよ、100万円。

 100万円は上限の数字じゃないって知ったとき、またひとつオトナになったのかもしれません。

 最初にオトナになったなと感じたのは、といいますと。
 食事のときに湯飲みをひっくり返しても、両親に叩かれなくなったときでした。
 どこかで書いたことがあったかな。

 100万円あったら嬉しいですけど、100円でも嬉しいです。
 きっと、それがオトナというものだと思います。←やけくそ




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