030. どしゃぶり
*第3部から、見た目が少し変わっていますが、100題の続きです。
| ヒカルは、アキラにもらったピアスの入った小箱を、机の引き出しにしまった。 「だあああぁぁぁっ! ったくもう! これが答えだ!って、ばっちりわかるような方法、他にねえのかよ!」 すっかり乙女モードにシフトしてしまっているヒカルの思考回路には、自分の口で直接伝えるというシンプルな方法は存在していないようだ。 凝った趣向を吟味しているわけではなく、ただ恥ずかしくて口では言えないだけなのだから、なんともいじらしい。 「なんか、ヒントになるようなもん、そこいらに転がってないかなあ」 部屋のなかを見回すが、碁盤とCDとマンガくらいしか見当たらない。 「碁盤に石でメッセージを並べたって、塔矢のヤツには一色碁にしか見えないだろうし。なんだ、このカタチは!って、怒られるのがオチだよなあ」 他にも、ラブソングの入ったCDをプレゼントする方法も考えたが、よけいに恥ずかしいような気がして断念した。 「…………恋愛運急上昇じゃなかったのかよ」 ヒカルは、あかりが置いていった白い紙の箱を、恨めしそうに見つめた。 中身は、もちろん、あかりお手製のフォーチュンクッキーだ。 せっかくのメッセージがチャラになるのを恐れて、ヒカルはひとつしか食べなかったが、あかりは、「あとで食べてね」と、残りを置いていったのだ。 何気なく箱を開ければ、そこにあるのは、細長い紙切れのはみ出したクッキーたち。 焼きあがった後で丸めるという作り方ゆえに、大きさも形も不揃いだが、どのクッキーもおなじような顔をして、ヒカルを見ているような気がした。 「そうだ! これだよ、これ!」 ヒカルは両手で箱をつかみ、身を乗り出して、箱のなかのクッキーを覗き込んだ。 「名づけて、フォーチュンクッキー作戦だ!」 お菓子作りなどしたことのないヒカルであっても、見た目の不揃いなこのクッキーなら、作れるような気がした。 幸い、作り方は、あかりから聞いて知っている。 「粉を溶いて、オーブンでうすく焼いて、熱いうちに丸めればいいんだもんな。楽勝、楽勝!」 ヒカルは、「これでもう勝ったも同然だぜ!」という、見当違いな発言とともに、財布をつかんで部屋を飛び出した。 玄関を開けると、どしゃぶりの雨が降っていた。 「さっき、あかりが帰った時には降ってなかったのに」 それでも、高揚した気分が盛り下がることはなく、ヒカルは、傘をつかんで外へ出た。 近所のスーパーマーケットに着くと、ヒカルは、製菓材料売り場を探し……いや、探す間もなく、すぐに見つけることができた。 バレンタインデーが来月に迫っている今、手作りチョコレートを応援すべく、製菓材料の特設コーナーが設けられていたのだ。 湯煎で溶かして使う割りチョコだけでなく、ケーキ作りのためのトッピング材料なども、ところ狭しと並べられている。 もちろん、ラッピング用品の数も豊富だ。 「バレンタインのおかげで、いろいろ種類が選べてラッキーだな」 バレンタインデーを、自分には関係のないことだと決めてかかるあたり、ヒカルらしいと言えばヒカルらしいが、あまりにもアキラが報われない。 来月、アキラがヒカルからチョコレートをもらえる可能性は、果てしなくゼロに近いだろう。 「たしか、小麦粉を使うんだったよな」 ヒカルがキョロキョロと売り場を見回すと、粉だけで何種類もある。 よりどりみどりではあるが、まったくの初心者であるヒカルには、逆にわかりにくいようだ。 「こっちの350円のと、あっちの398円のは、どこがどう違うんだよ」 他にも、砂糖・粉砂糖・グラニュー糖など、似て非なるものが、ヒカルを襲う。 クッキーの材料といえば、薄力粉と砂糖とバターの三点が必須だが、さすがに特設会場だけあって、普段は扱っていないような商品も置かれていた。 『水を加えて混ぜるだけ! 電子レンジで超簡単手作りクッキー』 ヒカルは、「超簡単」の文字に吸い寄せられた。 「えーっと、なになに? 当社独自の特製シート採用? 水で溶いた材料をシートの上に並べて、電子レンジで加熱するだけ。本格的な焦げめのついたクッキーが、誰にでも簡単に作れます?」 本来ならば、フォーチュンクッキーは薄く焼くため、水の量を増やしたり、焦げないように砂糖を少なめに調整したり、基本プラスアルファの心得が必要なのだが、ヒカルは迷わず、この商品を手にとった。 「これだよ、これこれ! 消費者のニーズにこたえる、こういう画期的な商品を、オレは待ってたんだよ」 どんな材料を買えばいいのか、さっぱりわからなかったくせに、ヒカルは、小難しい言葉でもっともらしく評価を下すと、鼻歌まじりに、それをカゴに入れた。 そして、クッキーを入れるための箱やリボンも買い求め、どしゃぶりの雨のなか、意気揚々と家に帰った。 超簡単というセールストークは、ヒカルの期待を裏切らなかった。 「水の量を多めにしたのが、正着だったよなあ♪ オレってば天才!」 本当は、電子レンジを使ったため、焼きあがってまだ熱いうちは、オーブンで焼いたときよりも、シナシナして柔らかく、丸めやすかっただけなのだが、ヒカルは、自分の手柄のように喜んだ。 「あとは、メッセージを書くだけだな。うしし」 ヒカルは完成したクッキーを手に、自分の部屋へ戻った。 「ちょっと気取って、英語でメッセージなんか書いちゃったりして。うひょ〜。オレって、なにげに恋する乙女じゃーん♪」 サインペンを片手に、中学時代からまだ数回しか使ったことのない英語の辞書をひろげる。 窓の外は、あいかわらずどしゃぶりの雨だが、ヒカルの心のなかは、すがすがしいほどに晴れ渡っていた。 翌日。 「塔矢! これやる! オレが作ったんだぜ」 アキラと一緒に参加している先輩棋士の研究会へ行く途中、ヒカルは、堂々とクッキーを手渡した。 やはり少し恥ずかしかったのか、「オレ、今日、研究会休むわ」と言い残し、そのままUターンして、勢いよく走り去る。 「なんか、ちょっと恥ずかしかったけど、ちゃんと返事したもんな。へへん。ざまあみろってんだ」 何がざまあみろなのか疑問は残るが、進藤ヒカルは、自称公称ともに正真正銘の恋する乙女だった。 |
あれれ?
今度は、ヒカルちゃんが、アキラさんの言葉を待たずに走っていっちゃいました。
今さらですが、第3部は、すべて連作ですよ。
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