031. 言い訳


  *第3部から、見た目が少し変わっていますが、100題の続きです。


 研究会が終わったのは午後7時過ぎのこと。

 帰宅ラッシュのこの時間帯、アキラの利用する路線は、押し寿司製造機のように混雑する。

 使い慣れた交通機関ではあるが、今日のアキラは、少なからず緊張した面持ちで、改札口を通った。

「進藤からの愛情あふれる贈り物だ。箱がつぶれたり、リボンが折れたりなど、断じて許されることではないからな」

 ヒカルにもらった白い紙箱の入った肩掛けカバンをしっかりと胸に抱き、アキラは、決死の覚悟で電車に乗り込んだ。



 いつものように車内はぎゅうぎゅう詰めだったが、アキラは、バッテラのシャリになることなく、最寄り駅に降り立つことができた。

 車内の誰もがみな、アキラを避けていたのだ。

 アキラの周囲だけが比較的すいていたその理由は。

(進藤がボクのためだけに作ってくれたベリースペシャルスイーティッシモなお菓子を潰してみろ。おまえたちの人生も、ひねり潰してくれる!)

 それこそ鬼のような形相で、睨みをきかせていたからに他ならない。

 ホームのベンチに腰かけ、カバンの中身を確認すれば、箱は元の状態でそこにあった。

 紙箱のカドっちょの微妙なズレ具合も、リボンの端っこの少しほつれかけた切り口も、ヒカルがラッピングしたままの不器用さで存在している。

「よかった……v」

 アキラは、愛しそうに箱を撫でた。

 それはもう見事なくらい、へろろ〜んと鼻の下をのばして。

 鬼気迫る表情のアキラと一緒に乗り合わせた乗客も不運だったが、たまたま、ホームで電車を待っていたがために、アキラのこのヤニ下がった顔を見てしまった客も、おなじくらい不幸だろう。

「さあ。あとは家まで無事に辿り着くだけだ。どこかにぶつけたりしないように、慎重に慎重に……」

 妊婦さんのような注意深さで、アキラは、自分の周囲に気を配りながら、一歩ずつ歩みを進めた。






 キョロキョロとあたりの様子をうかがい、カバンをしっかりと胸に抱いて、慎重に歩くその姿は、あまりにも不審すぎた。

 どんな貴重品を運んでいるのかと、人々の興味を引かないわけがない。

 多額の現金か、はたまた高価な宝飾品か。

 アキラの身なりも、そのセンスこそいただけないが、近くで見れば、使われている生地や縫製から、高級品だとわかる。

 どこぞのボンボンが、金目のものを大事に持っているのだと判断されても不思議はない。

 よからぬ輩が、かっぱらうチャンスを見計らっているかもしれないのだが、アキラの頭にあるのは、ただひたすら、「転ばないように、ぶつからないように」という、必死の思いだけである。

 そのとき。

「ちょっといいですか?」

 見知らぬ男に声をかけられた。

(誰だ!? さては、進藤のラブリーなスイーツを狙う不埒な輩か!?)

 アキラは、般若のごとき形相で振り返った。

 すると、そこには、制服を着用した警察官が立っていた。

 見るからに不審な動きでカバンを運んでいたアキラに、職務質問をかけたのである。

「そのカバンの中身を見せてください」

 警察手帳を提示して、アキラの腕のなかのカバンを指さした。

「見せろですって? 冗談じゃない」

 アキラは、カバンをかかえる腕に力を込めた。

「この世で最も尊く素晴らしいものを、なぜ他人の目に触れさせる必要があるんです? …………はっ! まさか、貴様! 進藤に邪な想いをいだいているのではないだろうな!?」

「いきなり何を言い出すんですか! 公務執行妨害で逮捕しますよ!」

 振りかざされた伝家の宝刀に、アキラは、しぶしぶカバンを開けた。

「その白い箱はなんです? 中身を見せてください」

 警察官は、今までのアキラの態度から、それを不審物と決めてかかった。

「な……中身を見せろだと……? ふざけるなっ!」

 アキラは、警察官に向かって吠えた。

「マイラブリーエンジェル進藤が、ボクだけのために作ってくれたプラチナスイーツを、赤の他人に見せるなんて、そんなもったいないことができるか! 見られただけで減る! 第一、箱を開けるには、リボンをほどかなければならないじゃないか! これは、進藤が結んでくれた、ボクたちの愛の象徴だ! ボクは絶対に、国家権力に屈したりしないぞ!」

 大勢の通行人が遠巻きに見守るなか、アキラは、声も高らかに宣言した。

「…………つまり、それは、ただの手作りのお菓子かなんかですか」

 警察官が呆れ顔でそう言うと、アキラの背後に、怒りのオーラが湧きあがる。

「ただのお菓子かなんか、だと? いいか、よく聞け!」





 それからおよそ1時間半のあいだ、アキラによるヒカル賛歌は続いた。

 通行人たちは、ひとり消えふたり消え、警察官だけが、アキラの餌食になっていた。

 彼の顔には、「思いっきり後悔してます」と書いてあったという。









 国家権力に屈することなく、無事に家にたどりついたアキラは、カバンのなかから白い箱を取り出すと、それをうっとりした目で見つめた。

 そして。

 神棚ならぬ自室のクロゼットの奥に、大切に保管したのである。

 リボンをほどくことなく、箱をあけることもなく。

 当然ながら、フォーチュンクッキーに隠されたヒカルからのメッセージは、アキラの目に触れることはなかった。
 



 よいこのみなさんへ。
 おまわりさんからの職務質問には、素直に応じましょう。
 
(このお話は、公務執行妨害を推奨するものではありません。念のため)

 その後、クッキーはどうなったんでしょうねえ。
 小学校の机の奥に隠された給食のパンを想像なさった方……気が合いますね(笑)。




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