032. Homework


  *第3部から、見た目が少し変わっていますが、100題の続きです。


 2月上旬。

 世間では、間近に迫ったバレンタインデーを意識して、老若男女(一部語弊あり)が心をときめかせる時期ではあるが、我らが進藤ヒカルにとっては、どこ吹く風といった様子である。

 今日も、碁会所でアキラと舌戦をくりひろげ、「帰る!」の一言を残し、市河からリュックをひったくるようにして出ていった。

 あとに残されたアキラは、冷めてしまったお茶を飲みながら、ふうっとため息をついた。

(……誕生石の指輪、今日も渡せなかったな)

 恋人同士には程遠い、けちょんけちょんに罵りあう関係に、なんとか終止符を打ちたいものだが、あいにく、碁が絡むと、ヒカルもアキラもまったく譲らない。

「アキラくんったら。せっかく進藤くんとおつきあいを始めたんだから、もっと素直になればいいのに」

 コーヒーを持ってきた市河の言葉に、アキラは湯飲みを落としそうになるほど驚いた。

「え? え? お、おつ、おつきあい?」

 耳まで真っ赤になってたじろぐアキラに、市河は「うふふ」と笑う。

「聞いたわよ。進藤くんから返事もらえたんですってね」

「なんですって!?」

  ガタッ☆

 お得意の音とともに立ちあがったアキラは、ぜーはーと肩で息をしながら市河を睨みつける。

(聞いてない。ボクは聞いてないぞ、進藤! キミは、いつ、ボクに返事をくれたんだ?)

 すっかり恋人気分になって婚約指輪を買う気でいたくせに、露天風呂で、ヒカルの返事を待つと宣言したことは、しっかりとおぼえている。

 順不同を通り越して、不条理の世界の住人としか形容のしようがない。

 そのあたりが、いかにも彼らしくて涙を誘われる。

「あの、市河さん。その話をどこで……」

 ふたりがつきあっていることを知られて恥ずかしがっているのだと思い込んだ市河は、微笑ましげな口調で、こっそり耳打ちした。

「進藤くんが、芦原さんに質問攻めにされてるのを何度も見てたから、わたしも気になって、進藤くんに訊いてみたのよ」

 市河の話によると、こういうことだ。

 昨年の秋、イベントでアキラと同室だった芦原が、夜遅くまで部屋に戻ってこないアキラが、ヒカルと一緒だったことを知り、「君たち、つきあってるの〜?」と、ヒカルに尋ねたのが始まりらしい。

 その後、緒方によって、この話は否定されたが、どうにも納得がいかない芦原は、しょっちゅうヒカルを追いかけまわしていた。

 そして先日。

 ヒカルがめずらしくアキラよりも先に来たときに、市河は、「ほんとのところはどうなの?」と、こっそり尋ねたそうである。

 ヒカルはキョロキョロと周囲を見回し、「オレ、塔矢とつきあうことになったんだ。アイツに告られてさ。……で、こないだ返事したんだ」と、ひそひそ声で耳打ちしたという。

(なんだって!? いつだ! いつ返事をくれたんだ、進藤!)

 頭をかかえて唸るアキラを、市河は、「照れちゃって、アキラくんてば、かーわいい♪」と、姉のような気分で見守っていた。

 …………が。

「進藤……いつ返事……いつ……」

 青ざめた表情でブツブツと唱えているアキラに、なんだか様子がおかしいと、気がついた。

 「いつ」と「返事」、ふたつのキーワードから連想されるのは、アキラがヒカルからの返事を聞いていないという不可思議な状況だ。

 市河は、意を決して尋ねることにした。

「ねえ、アキラくん。進藤くんに告白したのよね?」

 アキラは、無言で頷いた。

「それで……進藤くんの返事は……」

 市河の問いに、アキラは、キッと目を剥いた。

「まだです! まだ返事はもらってない!」

 市河は、人差し指を頬にあてて考えた。

(進藤くんが言ってたことと矛盾してるわねえ……)

 こっそりと打ち明けてくれたときのヒカルの恥ずかしそうな表情も、今、目の前にいるアキラの打ちひしがれた様子も、どちらも嘘をついているようには見えない。

(うーん。……と、いうことは、進藤くんの返事に、アキラくんが気づいてないってこと?)

 アキラが、こういうことにはまったく不得手であることを思い出し、市河はピンときたようだ。

「アキラくん。進藤くんからの返事に、本当に心当たりがないの?」

 メールとか手紙とか、口で言うだけが返事じゃないんじゃないかしら、と、市河は、アキラを諭した。

「進藤からのメールなんて、ここでの待ち合わせに遅れるときの連絡くらいだし、手紙なんか年賀状すらもらったことないし……」

 さらにズズーンと落ち込んでいくアキラの肩を叩き、市河はため息とともに言った。

「次に約束してる日までに、進藤くんからの返事を、ちゃんと思い出すこと。宿題よ、アキラくん」

 せっかくのYESの返事をおぼえていないアキラに、憐憫やら嘲笑やら叱責やら批難やら軽蔑やら、数多くの似て非なる単語が、市河の頭に浮かんでは消えていったのだった。

 



 ヒカルさんの返事を待っているという自分の現況を把握していながら、さっさと指輪を買いに行ったわけですね。
 さすが、アキラさん。

 アキラさんが、教室の机の奥に隠した給食のパン(違)に気づき次第、100題連載は、おつきあい編に突入です。
 ……いつ気づくのかな。





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