ジェンダー考 注意:確固たる自論をお持ちの方はご覧にならないことをお勧めします
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「004. ピンク」のなかで取り上げたテーマのひとつであるジェンダーとは、「生まれながらの性差ではなく、文化・慣習・歴史的背景によって後天的に決められた性差」のことを言う。
身体的特徴以外のことで男女を区別する機会がなければ、ジェンダーという特別な言葉は必要ない。
ただ、セックスと言うだけで十分であるはずだ。
昨今、とくに女性を中心に、ジェンダー廃止、もしくはジェンダーフリーといった活動が盛んに行われている。
現在すでに存在している社会的性差に着目し、男女雇用機会均等法遵守の徹底や女性の社会参加促進などを説き、女性が不利な立場に追われることのない社会をめざしている人々には、同じ女性として頭が下がる思いである。
ただし、なかには恐ろしく勘違いして物事を捉え、それを押しつけようとする活動団体もあるので、話はややこしくなる。
男女がまったくおなじでなければならない、と、セックスという意味での性差まで飛び越えてしまった考え方をしていたり、現況を顧みずに、男女の完全同一的社会参加を今すぐ実現しようという急進的な考え方をしていたり。
まあ、人間の数だけ思想があるのだから、ひとつの旗印のもとに似たもの同士が集まっても、「総論賛成・各論反対」な状態で、にっちもさっちも行かなくなるのは、しかたのないことであろう。
さまざまな団体が、それぞれの方法で、よりよい社会をめざして行動してくれているのだから、自分では何もしない管理人が、とやかく言うことではないのかもしれないが、ひとつだけ希望を言わせてもらうとするならば。
男性と女性それぞれが状況に応じて個性を生かして暮らすことを、誰にも批判されない社会になると、たいへんありがたいです。
管理人は以前、「専業主婦かつ夫婦別姓」を実行したことがある。夫と妻のどちらの姓を名乗るか、夫との話し合いで両者が譲らなかったためである。仕事の都合なんてものではない。専業主婦でありながら、堂々と別性を名乗った。ただし、表札には夫の苗字しか書いてもらえなかったが。これは夫が世間の目を気にしてのことで、さすがに管理人としても強くは言えず、そのまま現在に至っている。
一方、これまでの人生の5分の4(これから、さらに割合は増える一方)を、碁という男性だらけの小さな世界で過ごしてきたという側面も存在する。少数派であるがゆえに、ちやほやされたり侮られたり。男性をたてることでうまくいくならと、潤滑油のごとくジェンダーを利用してきた。
家を守り慎ましく暮らしている素敵な女性もたくさんいる。
外で働かない事情があったり、あるいは個人のスタイルであったり。
女性の社会参加促進をうたうのは、結構なことだけれども、
人の生活を根本から否定するような思想の押しつけは、決してあってはならないことだろう。
一本気に突っ走るのも爽快ではあるが、時にはグレイゾーンも必要なのではなかろうか。
それは詭弁だ、管理人の自己弁護だ、という声もあるかもしれない。
だが、孔子の教えにもあるではないか、中庸が大切だ、と。
……あ。
この人って、ばりばりジェンダー主義だった…。
2005年1月15日 がびきゃ拝
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