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1ヶ月と少し前。
進藤が二十歳の誕生日を迎えた。
ボクよりも先に「成人」と呼ばれる立場になってしまったわけだ。
普段、棋士仲間からこども扱いされている進藤は、ここぞとばかりに、「オレはもう、大っぴらに酒飲めるんだぜ」だの、「悪いことしたら、ニュースに名前が出るんだぜ」だのと、オトナな自分をアピールしてくる。
そうはいっても、実際のところ、居酒屋で軽いサワーをジョッキに半分飲んだだけで、べろんべろんに酔っ払うし、緒方さんにタバコをもらっても、一口吸っただけで、むせ返る。
夜のベッドでの、まだまだ慣れないウブな仕草もかわいい。
そう。
進藤は、まだまだコドモなんだ。
ボクのほうが、いろいろな意味でオトナだ。
だが、世間は20歳を以って成人とみなす。
19歳のボクと、20歳の進藤のあいだには、暗くて深い溝がある。
それを痛感させられたのは、つい先日。
マンションの郵便受けを見たときのことだった。
ボクたちは、2年前から一緒に住んでいる。
二人で家賃を折半すれば、狭いアパートでなく広いマンションが借りられるからと、ありがちな大義名分を振りかざしたが、本当の理由は言うまでもないだろう。
ちゃらんぽらんで片付けのヘタな進藤に、もともと家事など期待してはいない。ボクは、実家にいたときから、留守がちな両親のおかげで、たいていのことは自分でしていたから、それに関しては、まったく問題ない。
進藤も、ゴミ出しくらいはしてくれるが、その他の一切は、ボクの仕事だ。
当然、郵便受けを覗くのも。
その日の郵便物は、クリーム色の封筒が一通だけ。
宛名は「進藤ヒカル殿」。
「…………たったの2ヶ月と24日だ、まさかそんなことがと思っていたのに。ボクが恐れていたことが、現実のものとなるなんて」
ボクは重い気持ちで、その封筒を見つめた。
ハガキを持ってドアを開けると、進藤は、すでに帰宅していた。
「おかえり、塔矢。……ん? なに持ってんだ?」
進藤は、ボクが手にしていたそれを、興味深そうに覗き込んだ。
まったく。こんなときばかり目聡い。
「おおっ! これはもしかして、オトナの証!」
進藤は、封筒をひったくって、じっくりと感慨深そうに眺めている。
その正体は、区議会議員補欠選挙投票所入場券。
成人だけに与えられる権利の最たるものだ。
ああ、なんということだろう。
進藤だけが、大人の階段をのぼるなんて……。
まったく。なぜ、こんな時期に選挙なんか!
前回の区議会議員の候補者は、山ほどいたはずだ。そこから繰り上げ当選させればいいものを。
「へっへー。なんかマジで成人したって感じだな。えーっと、今度の日曜の予定は……」
ボクの苛立ちなど知らず、進藤は、ウキウキとスケジュール帳を確認している。
「悪ぃ、塔矢。日曜の紅葉狩り、キャンセルな」
「なっ……! せっかく、ふたりでオフをあわせたのに!」
「だって、ほら。選挙だもん。責任あるオトナとしては、棄権なんてできねえじゃん?」
「ふざけるなっ!」
「いや。別に、ふざけてねえし」
あっさりと切り返す進藤に、何も言い返せないまま、ボクはただ、拳を握りしめるしかなかった。
そして、日曜日の午前7時。
進藤の鼻歌と、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
ボクは、それを、ベッドのなかで聞いていた。
昨夜は、「明日は選挙に行くから」という、よくわからない理由で、別々のベッドで眠らされた。
恨めしいかな、選挙よ。
ひとり寂しく毛布にくるまっているうちに、少しうとうとしてしまったらしい。
目をあけると、進藤の顔が、目の前に迫っていた。
「起きろよ、塔矢。ドライブ行こうぜ」
「進藤。キミ……選挙は?」
「もう行ってきた。5分くらいで終わっちまったよ」
時計を見れば、まだ7時半。
すぐ近くの投票所に行って、投票用紙に記入して、戻ってくるだけなのだから、当然といえば当然だ。
「今からでも行けるだろ? 連れてけよ、ドライブ」
笑顔全開のおねだりに、勝てるわけがなかった。
出発が遅れたため、高原での紅葉狩りはあきらめて、郊外の森林公園へと、目的地を変更した。
秋の草花は終わり、紅葉にはまだ早い、中途半端な時期のせいか、日曜日だというのに訪れる人はまばらだ。
雑木林のあいだを縫って歩くあいだに、キスを27回、抱擁を16回。
このくらいは許されるだろう。
帰りの助手席で、進藤がニカっと笑った。
「次の選挙は一緒に行こうぜ。その次も、その次の次も。これから先、選挙は何度でもあるんだからさ」
ボクとしては、初めての選挙を、ふたりで一緒に経験したかったんだけどね。
まあ、紅葉狩りは無理だったけど、ドライブに行けただけでも、よしとするか。
ボクたちが、不在者投票というシステムを知ったのは、それから3日後のことだった。
おしまい
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