ひみつ箱(前編)

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 その日、進藤ヒカル嬢は箱根にいた。

 表向きの師匠である森下九段が初めてタイトル戦の挑戦者になったため、供のひとりとして、対局地のひとつであるこの地にやってきたのである。





「東京から特急で90分とはいっても、こういう機会でもなきゃ来ないよなあ」

「ビミョーに中途半端な場所だもんな。近いような遠いような」

 対局会場でもある老舗旅館に荷物を置いて、さっそく観光にくり出したのは、森下門下最若手のふたりだ。

 大事な対局を前に、やかましい少年少女がウロウロしていたら、師匠の邪魔になるだけだと、先輩棋士たちに追い出されたと言ったほうがいいかもしれない。

 そんなわけで、ヒカルと和谷はロープウェーに乗って、箱根の人気観光スポットのひとつである大涌谷にやって来たのである。

 1個食べれば寿命が7年延びるという名物のゆでたまごを3個ずつ食べ(6個入りの袋で売っていた)、硫黄のにおいのたちこめる噴煙地を見学したあと、土産物屋に立ち寄った。

「へえ。これが寄木かあ。すげえこまかい。まさに職人の技だな」

 和谷が感心したように見入っているのは、名産品の寄木細工。

 色の違う数種類の木片を組み合わせて、さまざまな模様をあらわす伝統工芸だ。

「なあなあ。コレってそんなに有名なのか?」

「おまえなあ。ガイドブックに載ってただろうが。ちゃんと見たのかよ」

 兄貴風を吹かせながら、和谷がガイドブックをめくって見せる。

 そこには、「もともとの産地は、箱根のなかでも大涌谷からは少し離れたところなのだが、おみやげ品のメインとして、どこの店でも売られている」と書かれていた。

「ふーん。そっか、有名なんだあ。じゃあ、買っていこうかなあ」

 実ではなく名で判断する女・進藤ヒカル18歳。

 さっそく、店内を物色し始めた。

 キーホルダーやストラップは、定番中の定番だが、つけるところが限られるため、実際には実用的ではない。

 かといって、ムク材の盆や銘々皿は、数万円する高級品で、手頃なおみやげには不向きである。





「進藤。これ、おもしろくね?」

 和谷に呼ばれて振り返れば、なにやら箱のようなものを持っている。

「なにそれ。なんの箱?」

「ひみつ箱だって。からくり仕掛けになってて、箱の一部を順番にずらしていくと、蓋が開くっていう仕組みらしいぜ」

「マジ? おもしろそうじゃん。貸して、貸して」

 サンプルを手に取って、説明図の矢印の通りに動かしていくと、4回目で蓋が開いた。

「うおおおぉぉっ! すげえな、これ!」

 ヒカルは感動したように、ひみつ箱の陳列棚に目を向けた。

 そこには、4回で蓋が開くものの他に、7回・10回・14回・21回……と、さまざまな種類のものがあった。

 箱自体の大きさよりも、操作の複雑さに比例して、値段が高くなっていくようだ。

(……塔矢に買ってってやろうかな)

 ヒカルは、半年前につきあい始めた彼氏を思い出しながら、ひみつ箱を手に取った。

 だが。

『10回・1500円』

 フィルム包装されたパッケージの値札を見て、ヒカルは考え込んだ。

(うーん。塔矢のヤツ、こういうデントウコウゲイってのに詳しそうだからなあ。チープなミヤゲじゃ喜ばないかも)

 となりの14回や21回で開くタイプのものも、大量生産品そのものといった雰囲気をまとって、ずらーっと棚に並んでいる。

(もうちょっと高級品っぽいのはないのかな)

 店内をキョロキョロと見回すと、中央のガラスケースに、いかにも高級品らしき扱いの作品が並べられている。

 そのなかに、『54回・17000円』と書かれた一品を見つけ、ヒカルは大きく頷いた。

「これだ! ちょっと高いけど、森下先生にもらったご祝儀があるし……。よし、これにしよう!」

 ヒカルは、「すいませーん」と、店員に声をかけた。

「なんだぁ? 塔矢にプレゼントか?」

 冷やかす和谷に向かって、「ちっ、ちげーよ!」と、あわてて頭を振ったが、真っ赤になった顔が、なによりも雄弁に「そのとおりです」と白状していた。








 翌々日。

 師匠の勝利に凱旋ムードが高まるなか、ヒカルは東京に戻ってきた。

 師匠の喜びは、弟子の喜び。

 ヒカルは、上機嫌で家に帰った。

 ここで言う「家」とは、昨年から一人暮らしを始めたマンションのことである。

 自宅から電車で2駅のところにある賃貸マンションで、交通の利便性に関しては、自宅とほとんど変わらない。

 ティーンエイジャーなら誰もが夢見る「憧れの一人暮らし」というものが、職業棋士になることで、いち早く実現したというわけだ。

 フローリングの床に置いたガラステーブルに、箱根で買った土産物の包みを置いて、ヒカルは、それをじーっと見つめた。

 値段の張る商品だったせいか、土産物屋のおばちゃんが、妙に気合の入った包装をしてくれた。

 化粧箱に入れられ、店名入りでない綺麗な包装紙に包まれた(最後にとめるシールは店名入りだ)それは、54回のひみつ箱だ。

 まるで透視するかのように、穴があくほど見つめること数分。

「なんかさあ……箱をプレゼントするって、なんかおかしくないかなあ」

 ヒカルは、そんなことを考えていた。

「箱ってのは、なにかを入れるもんだろ? 中身からっぽで、箱だけあげるのって、やっぱヘンだよな」

 伝統工芸の寄木細工と、からくり仕掛けの箱そのものに価値があるのだが、ヒカルにとっては、そうではないらしい。

 ヒカルの理論によると、財布をプレゼントするなら、中に現金を入れて贈らねばならないことになるのだが、彼女自身、その矛盾に気づいてはいなかった。



 突発ネタです。

 先日、箱根に行ったので、つい影響受けちゃいました。




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