100のお題番外編
『緒方さんの課外授業』
    *時期は「010.旅の宿」の直後です。
    *「001」〜「010」の設定が生きていますので、先にそちらを読んでくださいませ。←宣伝


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緒方さんの課外授業(前)
          ○月×日  日直 とうやあきら
                                            しんどうひかる







    ピピピピピ

     ピピピピピ

    ピピ…

 電子音で朝を告げる目覚まし時計に手を伸ばし、アキラはゆっくりと目をあけた。

 めくれた布団のあいだから、冷たい空気が入り込んでくる。

「今年一番の冷え込み…かな」

 もぞもぞと布団をかきよせながら、アキラは壁にかけられたカレンダーを確認した。

 11月も半ばを過ぎ、暦の上ではもう冬だ。

 進藤と温泉宿で2泊3日v(アキラ命名)から、1ヶ月と少し。

 その間、両親の帰宅は2回だけ。

 もっとも、炊事・掃除・洗濯といった家事全般をこなせるようになっているアキラにとっては、なんの問題もなかった。

 朝ももちろん、目覚まし時計をセットして自分で起きられる。





 今日は月曜日。

 芹沢九段主催の研究会が行われる日だ。

「進藤…、今日は来られないんだったな…」

 おさななじみである藤崎あかりに、映画の試写会の招待券を手に入れたから…と誘われたため、今日の研究会は欠席するという。

 映画を見に行くので休みます…とはさすがに言えなかったのか、「家の都合でちょっと…」と言葉をにごして頬をぽりぽりと掻く可愛らしいしぐさを思い出して、アキラはクスッと笑った。

「さて、と。午前中に掃除をすませてしまおう………#*!×%&△?」

 布団の上に身を起こしたところで、アキラはひんやりとした感触を覚えた。

 ……下半身に。

「まただ…。夜寝る前にトイレをすませたはずなのに…」

 アキラはパジャマと下着とシーツを抱え、浴室へと運ぶ。

「若年性尿失禁っていうのかな? それとも夜尿症?」

 汚れた部分を手洗いしながら、アキラは悩ましげにため息をついたのだった。





 その日の夕刻。

 緒方は所用で棋院に来ていた。

 7階の編集室で用件を済ませた緒方は、エレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターは動き出してすぐに6階でとまり、新たな乗客を迎えた。

 研究会を終えたアキラである。

「こんにちは、緒方さん」

 偶然出会った兄弟子に、アキラは愛想よく挨拶をした。





 本因坊リーグで対決した頃、兄弟弟子のあいだに亀裂が入りかけたことはあったものの、それはもう1年近く前のことだ。

 しかも、互いに勝負の世界に身を置く者同士。対局の場で馴れ合いなど起こりえず、やや礼節を欠いた行動をとってしまうことも、ままあることと、アキラは実感しつつあった。

北斗杯韓国戦で勝利した時のガッツポーズも、まさにそれであると自覚しているが、机の下でこっそりと…だったと、さりげなく自己弁護しているようである(行洋・談)。

そんなわけで、アキラと緒方はあいかわらず仲のよい兄弟弟子であった。

……傍目には。

無条件に緒方になつくアキラと、大人の余裕を見せてアキラをかわいがる緒方。

両者とも親愛の情を持っていることに変わりはないが、緒方の愛情表現にはかなり屈折したものがあった。

いわく「かわいい子には旅をさせろ…と言うだろう? くっくっく…」。

正論ではあるが、その旅とやらでアキラが四苦八苦する道程を傍観して楽しむのが、緒方の真の目的なのだ。

ただし、当のアキラには、からかわれているという自覚がないため、とくに問題はないといえよう。





さて。

話は戻るが。

「アキラくん、青春真っ只中だそうだな」

 にわかに振られた話題に、アキラは訝しそうに首をかしげた。

「先生から聞いているよ。……恋愛中だそうだな」

 エレベーターが貸切状態なのをいいことに、緒方はさっさと本題に入った。

「ええっ!?

(どうしてお父さんが知ってるんだ? いつも日本にいないのに。……そうか、わかったぞ。進藤に対するボクの愛情はこの胸のなかでは抑えきれず、知らないうちに外へと溢れ出て、海外にいるお父さんにも伝わってしまうんだな)

 ……間違ってます、若先生。





 旧知の仲である桑原が、一時帰国していた行洋の耳に入れたのである。

「おぬしの息子、恋をしているぞ」と。

 相手が誰だとか、どこまで進んでいるだとか、そういう肝心な情報は伝えずに、「おなごの口説き方でも伝授してやりなされ。ひょっひょっひょ…」と、つかみどころのない言葉を残し、桑原は立ち去ってしまった。

 息子が恋をしていると告げられても、彼自身が晩婚であった行洋のことである、どう反応したらよいものか、まるでわからない。

 ましてや、「おなごの口説き方」など論外である。

 かわいい息子の恋を応援してやろうにも、まったく自信がなかった。

 ゆえに。

 もっとも不適切な人物に頼ってしまったのだ。





「お、緒方さん。お父さんはなんて…?」

 頬を赤らめてうつむきながらも、答えが気になるのか、アキラはちらちらと緒方の顔を盗み見る。

 そんな初々しい様子に気をよくした緒方は、アキラの耳元にそっとつぶやいた。内緒話をするかのように、声をひそめて。

「緒方くん。アキラの恋の相談相手になってはもらえまいか」

「そんな露骨な…///

 露骨も何も、たいした話ではなかろうに。

 アキラは緒方の術中にはまり、もはや秘密の告白をしなければならないかのような錯覚に陥っていた。

「アキラくん。このあと時間あるかい? 俺でよければ相談に乗るぜ」

「はい、ぜひ! 実は、いくつかお聞きしたいことがあるんです。……よろしくお願いします」

 アキラは入段時以来の最敬礼を以って緒方に接した。

 エレベーターが1階に着く頃には、アキラはすっかり緒方を師と崇拝する気分になっていたのであった。





  棋院の脇に横付けしてある緒方の愛車の助手席にすわり、アキラはどう話を切り出そうかと思案していた。

 神妙な面持ちでうつむくその横顔は、緒方にこれから始まる至福のひとときを予感させる。

「どうする? 寿司でも食いにいくか? それともカジュアルなフレンチレストランのほうがいいかな」

「……できれば、その…。あまり他人に聞かれたくないので…」

 アキラのもじもじとした口ぶりに、緒方は行き先を、離れのある割烹に決定したのだった。

 




 仲居に案内されて入ったその離れは、こぢんまりとしていながらも、意匠にこだわりのある、落ち着いた和の空間を呈していた。

 床の間には山水画。

竹細工の花器には、薄紅の侘助が一輪。

どことなく行洋の私室を思わせる雰囲気に、アキラは無意識のうちに姿勢を正していた。

「アキラくん。そんなに緊張することはない、楽にしてくれたまえ」

 緒方はタバコに火をつけ、煙をはきだしながら、大人の余裕あふれる笑みを浮かべた。

 運ばれてきた冷酒を切子のグラスに手酌で注ぎ、「悪いな」と、アキラにことわる。

 緒方は先程、料理の注文とともに、運転代行の手配を頼んでいた。今日はとことん飲むつもりなのだろう。

(緒方さんが酔っ払ってしまう前に、相談事をしてしまわなければ…)

 アキラは意を決して、切り出した。





「実は…好きな人がいるんです」

「……やっと話す気になったか」

 緒方は、待ってましたとばかりに膝を進めて、先を促した。

「その人はボクと同い年で、かわいくて、小さくて、でも目はくりくりと大きくて…、あ、別にボクはその人の外見に惹かれたわけではないんです! ……ラーメンが好きで、流行に敏感で、話題も豊富で…。そして何より、碁が強い。生涯にわたって切磋琢磨していくにふさわしい相手だと思っています」

「くっくっく…。その人…なんて隠す必要はない。進藤ヒカルだろう?」

 緒方の指摘に、アキラの顔が真っ赤になる。

「お…お父さん、そんなことまで話したんですか…」

「いやいや。先生は詳しいことは何も。……キミの進藤に対する態度を見ていれば…な」

 緒方は「誰にでもわかる」という一文を、意図的に伏せた。

 もちろん、他の人間にはバレていないとアキラに誤解させておいたほうが、楽しみが継続すると計算してのことである。





「それで…? 進藤とはどうなんだ? どこまで進んでる?」

「どこまでって、進藤は二段でボクは七段ですけど。……もしかして段位と恋愛には何か関係が!? ボクは何かを見落としているんでしょうか!?

 からかうつもりの質問に、まさかこんな答えが返ってくるとは思ってもみなかった緒方は、一瞬、意識を遠くに飛ばしかけた。

 その沈黙に肯定の意味を見出して、アキラは自問自答する。

「進藤が恥ずかしがってばかりなのも、ボクと友達同士のつきあいしかしてくれないのも、もしかしてそのせいなのか? ボクのプロポーズに応えてくれないのも、段位が低いことを気にして…」

「ちょっと待った!」





 ようやくこちらの世界に舞い戻ってきた緒方が、プロポーズという言葉に反応した。

 だが、そのあとの話は聞いちゃいなかったようである。
 

「プロポーズだって!? アキラくん、進藤にプロポーズしたのか!?

 手にしたグラスを落としそうになりながら、緒方は身を乗り出した。

「いやだな、緒方さん。そんな大きい声で…」

 アキラが両手で頬を包み、照れているところへ仲居が入ってきた。

「すべて同時にとのお言いつけでしたので、前菜から椀物から、みんなお持ちしてしまいましたけれど…」

 緒方は、話の腰を折られるのを避けるために、注文した料理を一度に運んで欲しいと頼んでいたのだ。

 それなのに、まさか、こんな大事なところで邪魔が入るとは。

 舌打ちしつつも酒のおかわりを頼むのは忘れないところが緒方らしい。

 仲居が下がるのを待つのももどかしく、ふすまの閉まる音と同時に、緒方はアキラにたずねた。





「いつ!? いつのまにそこまで進んでたんだ。キミたちはまだ15歳だろう」

「進藤は16ですよ。ボクも来月で16歳になります」

 さりげなく訂正しながら、アキラはため息をついた。

「進藤はもう結婚できる年なのに。ボクのせいで待たせてしまう…」

「じゃあ、進藤はアキラくんのプロポーズにOKした、ということか? このことを塔矢先生は…」

 大人の余裕はどこへやら。

 はやる気持ちを落ち着けるべく、緒方は少しぬるくなった酒を一気にあおる。

 ところが、アキラは首を横に振った。

 乱れのない黒髪がさらさらとなびき、憂いを含んだまなざしと相まって、たいそう美しい。

「プロポーズしたその時はいい雰囲気だったんですけど…。翌日になってみたら、今までどおりの関係でいようって…。……やっぱり、あのとき、あかちゃんができていたらよかったのかな…。でも、ふたりの生活設計やこどもの人権を考えると、そんな乱暴なこと言ったら不謹慎なんだろうな…」

   ぶぶーーーっ☆

 緒方は酒を噴出し、げほげほとむせた。





「あらあら、お客様。大丈夫ですか?」

 ちょうど冷酒のおかわりを持って入ってきた仲居が、心配そうにおしぼりを手渡してきたが、それどころではない。

 仲居の足音が消えるのを待って、緒方はつぶやいた。

「あ…あかちゃんって…。……芦原の話は本当だったのか

 先月のイベント初日、アキラが深夜まで部屋に戻らなかったことを、緒方は芦原から聞いていた。

 アキラもとうとうオトコになちゃったのかも…という芦原を一笑にふし、
幼いふたりのことだ、所詮はキスどまりだろう、ひとつからかってやるか…と、意気込んだのが、遠い過去のことのような気がした。

「ここだけの話ですよ? 絶対に誰にも言わないでくださいね。緒方さんを信じて相談するんですから…」

 姿勢を正して神妙な顔つきで対峙するアキラに、緒方は「ああ」と請け負った。





 この時点で、緒方は降りるべきだったのだ。

それに気づけなかったことが、緒方精次一生の不覚になることを、そのときの彼が知る由もなかった。


       




某お茶室で先輩方からネタを横領拝領いたしました。

黒板をイメージした体裁で、授業っぽさを演出してみましたが、なんだか「青空学級」風←知ってる?

「ミケ猫先生の個人授業v」のおかげで、こんなかっちょいいレイアウトにv ありがとうございましたvv





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2005年2月14日