あろま

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 進藤ヒカルには、奇妙な習性がある。

 紙製品を見れば、まずは匂いを嗅いでみるというのがそれだ。

 包装紙や雑誌など、色つきインクが使われた紙の匂いがお気に入りのようで、今日も、旅行雑誌の匂いに恍惚とした表情を浮かべている。

「くはあ〜。たまんねえなあvvv」

 ファーストフード店の禁煙席で、ヒカルは、雑誌に近づけていた顔を上げ、うっとりと微笑んだ。

「何がいいんだか、ボクには、さっぱりわからないよ」

 向いの席では、アキラが、薄いホットコーヒーをすすりながら、憮然とした表情でつぶやく。

 本当は、コーヒー専門店に入りたいところだったが、「そんなところに行ったら、コーヒーの匂いに消されて、紙の匂いがじっくり味わえないじゃんか!」というヒカルに押し切られたのだ。

「ああ、こっちのページもいい匂い♪」

 ペラリとページをめくっては、顔を近づける。

 ヒカルが見ている……いや、匂いを嗅いでいるのは、今度、棋戦の記録係として訪れることになっている温泉地のガイドブックだ。

 全カラーページだけあって、ヒカルの嗜好にぴったりなインクの匂いが、ぷんぷんと漂っている。

「そんなの、インクに含まれる……」

「ストーーーーーップ!」

 アキラが講釈をたれるのを、ヒカルが両手で制した。

「タネ明かしはゴメンだぜ。夢がなくなっちまう」

 インクのにおいにロマンを求める女・進藤ヒカル。

 アキラは、「はいはい、そうですか」と、おざなりに答え、再び、薄いコーヒーに口をつけた。

 そのとき。

 アキラの脳裏に、天の啓示が降りた。

「進藤!」

「なんだよ。オレは今、じっくりと匂いを堪能してるとこなんだ。邪魔すんなよ」

 ヒカルは、雑誌に顔をうずめたまま、くぐもった声で答えた。

「ねえ、進藤。ボクも、その匂いを嗅いでみたいなあって思ったんだ。キミの好きな匂いを、ボクも好きになれば、一緒に楽しめるじゃないか」

 わかったようなわからないような、奇妙なこじつけでヒカルを丸め込み、雑誌を奪う。

「どれどれ……」

 匂いを嗅ぐふりをして、アキラは、雑誌にくちびるを寄せた。

(やった! 進藤と間接キスだ!)

 些細なことで喜ぶ哀れな少年・塔矢アキラ。

「どうだ? いい感じだろ?」

 ニコニコと感想を尋ねるヒカルに、アキラは「最高だよ」と答えて、雑誌を返した。

 ……が。

 雑誌を受け取ったヒカルの顔が、みるみるうちに、鬼のように険しくなる。

「塔矢、てめえ……」

「?」

 アキラが訝しそうに首を傾げると、ヒカルが、両手でテーブルを叩いた。

「匂いを嗅ぎたいなんて、ウソばっかり! オマエの狙いはコレだったんだな!」

 間接キスをしたことがバレたようだが、ここまで怒られる筋合いはない。

「そんなに怒ることはないだろう。ボクはただ……」

「認めやがったな! やっぱり、それが目的だったんだ!」

   バンッ

 ヒカルがテーブルに叩きつけた雑誌には、露天風呂に浸かる美女の写真が、見開きで載っていた。

「ご、誤解だ、進藤……」

「知るか! 塔矢のむっつりスケベ!」


                                      ちゃんちゃん☆





 思いつきのワンシーンだけを書く「書き逃げ」。

 ぐーで殴られるまえに逃げようっと。



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