水菜さまからのリクエスト作品

  THE・取材(後編)



「それじゃあ、さっそく棋譜の解説をお願いしましょうか。……おお、もう検討を始めていらしたようですね」

 盤面を見ながら発せられた記者の言葉に、アキラは首を傾げた。

 なぜ、わかったのだろう……と。

 一次予選の棋譜は、公式記録としては残らない。

 残るとすれば、対局者の頭のなかだけだ。

 怪訝そうな目を向けるアキラに、記者は「ああ、実は……」と、タネ明かしを始めた。

「運命のライバルと称される若武者ふたりの、公式戦初対局ですからね。今回の企画はこれで行こうって、ずいぶん前から決まっていたんです。それなのに、棋譜が残っていない。だから……」

 記者は、バインダー式の碁罫紙をひらいて、アキラに見せた。

 一番上に綴じてあるのは、件の棋譜。

 淡い緑色の線の上に、よく言えば個性的、正直に言えばヘタくそな字が踊っている。

 対局者名や棋戦名の文字、日付や手番の数字を記す、見慣れたミミズのような筆跡。

「進藤……」

 アキラは、『対局相手の了承も得ずに、どういうつもりだ』と、この悪筆の該当者を見つめた。

 だが、ヒカルは、「ん?」と、目だけをアキラに向け、罪のない顔で炭酸飲料を飲んでいる。

 しかも、記者に「その節はどうも」と、礼を言われ、「どーいたしまして」と、平然としているではないか。

「また、ボクだけが……」

 アキラのため息は、この日、すでに7回目を数えていた。

 だが、そのため息は、のけ者にされたという被害妄想によるものというだけではなくて。

 ヒカルにとって、アキラの存在が、あまりにもちっぽけすぎるという事実を、否応なく突きつけられた虚しさによるところが大きかった。



 棋譜の検討をするべく、椅子に座ろうとしていたヒカルとアキラに、「ちょっと待って」と、声をかけた者がいた。

 お盆にお茶を乗せた市河である。

「取材って、写真撮影もあるんですよね?」

 市河は、記者にたずねた。

「ええ。検討中の写真と、それから、おふたりが並んだ写真を何枚か。そのために、カメラマンを連れてきたんですから」

「だったら、先に撮影を済ませたほうがいいんじゃないかしら。ほら、あそこの観葉植物の前なんて、素敵じゃない?」

 市河が指差す先には、幸福の木・青年の木・ベンジャミンなど、大振りな鉢植えが並んでいる。

 すべて、開店祝いや新装祝いに贈られたものだ。

 カメラマンは、絵になる背景を見つけた喜びゆえか、観葉植物のほうへと吸い寄せられるように歩いていき、構図を確認しながら、鉢植えを移動し始めた。

 せっかく検討に入ろうとしていたのに、どうして…と、しきりに首を傾げる記者を尻目に、市河は、黙ってカメラマンを手伝うばかり。

「さすが市ちゃん。心得てるねえ」

「写真は被写体がおとなしくしているうちに撮れ。これも一種の定石ってヤツさ」

 常連客のひそひそ話を聞いて、市河は「それから、もうひとつ」と、カメラマンに耳打ちした。

「検討中の写真も、なるべく早い段階で撮っておいたほうがいいわ」

 わけがわからないという顔で振り向いたカメラマンに、市河は、諦観の笑みを浮かべて応えたのだった。



 観葉植物のレイアウトが決まり、写真撮影が始まった。

 今日のヒカルのいでたちは、アメリカ軍の流出品のような、エンブレムだらけのフライトジャケットに、裾を紐で締めるイージーパンツ。

 一方、アキラは、ボタンダウンのシャツにアーガイルのセーターを重ね、ボトムは地味なチノパン。

 ラフな服装で…という依頼に対して、両者の見解は著しい相違を見たようだ。

 顔だけ見ればどちらも最上級品だが、全身撮影となると、話は別である。

 被写体として魅力的なのは、派手で動きのあるスタイルをしたヒカル。

 地味なチノパンを撮って、何が嬉しいものか…とは、カメラマンの言だ。

 試行錯誤の結果、『膝に手をついた上目遣いのヒカルの両肩にアキラが手を置いて、少し頭を傾けて髪をなびかせる』という、耽美とキワモノの境界線ぎりぎりラインを狙った構図に落ち着いたのだった。








 なんとか写真撮影が終わり、取材も、ようやく棋譜の検討に取りかかる段階に入った。

 碁盤の脇にレコーダーが置かれ、碁罫紙とペンを構えた記者が、「それじゃあ、初手から順にお願いします」と切り出して、検討が始まった。

 ヒカルが黒。

 アキラが白。

 並べ始めてすぐ、白の6手目で、解説が必要となった。

 互いに四隅を占めたあと、右下星の白に、黒が小ゲイマにカカったのに対し、白は、左下小目の黒に、カカり返したのである。

「普通、カカリには、ウケかハサミのどちらかを選ぶと思うのですが?」

「星にカカられた場合と、小目にカカられた場合では、手を抜いた際の展開が大きく違います。このあとの進行を見ていただければ、おわかりになると思いますが……」

 アキラの意図するところを汲んで、ヒカルは、カカり返してきた白に、いっぱいまで詰めて低くハサんだ。

 その黒石に、白が肩ツキ。

 ここまでは、対局時のままの展開。

 このあと、ヒカルが『黒が這えば白が押す』というお決まりのパターンを紹介してから、アキラが実戦譜の解説を続けた。

「黒は、先程の右下星の白に両ガカリ。タイミングとしては、今しかないでしょう。白も、今度は受けざるを得ません。左下隅はどちらも安定しないままですが、まずは右下隅から右辺の攻防にまわるところです」

 アキラの解説は、石の意味に終始した。

 もし、ここで違う手を打っていたら…という流れのほうが、本来の検討としての意義は大きいのだが、おそらく、購読者層が初級者であることを踏まえてのものだろう。



 開始から十数手にも満たないうちに乱戦に突入した理由について、アキラは、まったく触れなかった。

 2年4ヶ月ぶり(本当は初めて)の対局。

 互いに対局の日を待ちきれなくて、布石もそこそこに、すぐにでも戦いを始めたかった、あのときの高揚感を、アキラは記者に語ろうとはしなかった。

   棋譜は見せても、心までは見せない。

   あのとき感じた思いは、すべて、対局者だけのものだ。

 アキラの解説は、そう物語っていた。

 ヒカルは、アキラがこの一局を大切にしてくれていることを、心から嬉しく思った。



 盤面は、中盤へと移った。

 とは言っても、もともと乱戦ペースの対局で、序盤と呼べる部分など、ほとんどなかったのだが。

 取材中であるという自覚が、互いの主張をセーブさせていたのだが、下辺からケイマに飛ぶ黒の一手をめぐって、検討はエスカレートしていった。

 アキラに佐為の存在を気づかせた妙手である。

「中央突破と、白の分断を両睨みにした最高の手じゃんか」

「たしかに、それは認めよう。だが、そのあとが悪い」

「なんでだよ。キられても、こっちをがっちりカタツギで、ぜんぜん悪くねえよ」

「要の5子の急所を打たれておいて、どこが悪くないんだ」

 眉間にシワを寄せながらも、なんとか笑顔を持続させ、声を荒立てないように、最大限の努力をする。

 どこからともなく冷たい風が吹き込んでくるような、まさに冷戦状態。

 普段の『小学生のケンカ』のような怒鳴りあいとは、また違った意味で恐ろしい。

 だが、顔を突き合わせて、声高に自己主張する平常モードの検討など、決して見せるわけにはいかない。

 核ミサイル乱れ打ちよりも、冷戦のほうが、まだマシというものだ。

 常連客たちは、「一触即発。くわばらくわばら」と、首を縮こませて、互いに目くばせをしあった。

 ところが、至近距離で見ているはずの記者とカメラマンは、ふたりの剣呑な状態に気がつかない。

 それどころか、「プロの検討は、真剣かつ紳士的で、勉強になりますなあ」などと、見当違いも甚だしい感想を述べている。

 市河は、受付のカウンターに頬杖をつき、「知らないって幸せなことよね」と、つぶやいたのだった。








 かくして、ヒカルとアキラの多大な努力によって、検討は無事(?)、終了した。

 あとは、やわらかめな雑誌にありがちな、『プロ棋士の素顔に迫る』といった類のインタビューを残すだけだ。

 好きな食べ物や好きな色など、囲碁とは無関係な質問が続いた。

 休日の過ごし方を訊かれ、ふたりはおなじような回答をした。

「家で棋譜並べてるか、ここで塔矢と打ってるか。あとは、和谷んちで研究会」

「パソコンで棋譜の整理をするか、ここで進藤と打つか、どちらかですね」

「囲碁漬けな生活を送っていらっしゃるんですねえ。おふたりは、デートとか、なさってないんですか?」

 記者は、何気なくたずねてみたようだが、それは、ふたりをフリーズさせるに十分たる威力を持った言葉だった。

 記者の質問に、「誰かと」という単語が存在しなかったせいだろう。

 アキラは、ヒカルとデートをしないのか…という意味に、ヒカルは、アキラとデートをしないのか…という意味に、それぞれとってしまったのだ。



 デートとは、意中の異性との外出を表す外来語だ。

 意中の人。

 アキラにとって、それはヒカルだ。

 恋愛に関しては、まだまだ幼い……というより、無関心すぎるヒカルを慮って、アキラは長年に渡り、想いを秘めてきたのだ。

 ところが、記者の突然の質問に、隠してきた恋心が露見したような気がして、アキラは大いに焦った。

 なんと答えればいいのかわからず、無意識のうちに助けを求めて、こともあろうに、ヒカルに視線を送ってしまったのだ。

 にわかにアキラと目が合い、ヒカルはドキっとした。

 ヒカルは今まで、「塔矢アキラは塔矢アキラ、それ以上でもそれ以下でもない」と、認識していたのだ。

 初めて、アキラを異性として意識した瞬間、その本人に、じっと見つめられ、ヒカルは頬を真っ赤にして目を伏せた。



 挙動不審な態度で目を泳がせたり、赤くなってうつむいたり。

 ちっとも質問に答える気配のないふたりだが、記者は、まったく意に介さず、「あれ? もしかして、おふたりとも、彼女いないんですか? いやあ、悪いこと訊いちゃったかなあ」と、またもや見当違いの発言をしたのであった。



 ちなみに。

 市河のアドバイスに従って、早いうちに検討シーンの撮影を済ませておいたおかげで、カメラマン曰く、「今世紀最大のベストショット」が撮れたそうである。

 まだ21世紀は始まったばかりだというのに、ずいぶん大風呂敷をひろげたものだ。

 だが、その写真は、付録の攻略本ではなく、雑誌本体の表紙を飾って好評を博したというのだから、あながち誇大表現とは言い切れないのかもしれない。





 目指したのは、ちょっぴり甘酸っぱい思春期のおふたり。

 ……それっぽい表現は、たったの数行じゃねえか!

 水菜さまからのリクエストは、萌えの宝庫だったのに。

 どうぞ、こちらからご確認くださいませ。



2005年11月4日


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