水菜さまからのリクエスト作品
  THE・取材(前編)




「やっべえ〜。あいつ、もう帰っちまったかな」

 なんとか勝利をおさめて洗心の間を飛び出したヒカルは、少し前に対局を終えて出ていったアキラを、大急ぎで追いかけていた。

 階段を1階まで駆け降りたところで、一般客とおぼしき中年女性ふたりを相手に、玄関前で話しているアキラを見つけて、ほっと息をついた。

「よっしゃ、ラッキー♪ おーい、塔矢!」

 ちょうど話を終えたところだったのか、アキラは振り返って、ヒカルが駆け寄ってくるのを待った。

 スポーツブランドのロゴの入ったパーカーに、クラッシュドジーンズをあわせたその服装からは、彼女が新進気鋭の女流棋士であることを、うかがい知ることはできない。

 それをうるさく言うお偉方もいるようだが、アキラは、よく似合っているのだから別に構わないじゃないかと、言葉には出さないながらも好意的に見守っている。

「あのさー。おまえ、明日ヒマ?」

「とくに予定は入っていなかったはずだが」

「よかった〜。実はさ、明日、一緒に取材を受けて欲しいんだ」

「急な話だな」

「ま、まあな」

 クリーニングに出したスーツを取りに行かなければならないじゃないか、まったく面倒な…とつぶやくアキラを、ヒカルは「まあまあ」と、とりなした。

「そんなに身構えることないみたいだぜ。普段着でオッケーって言ってたし」

「それで、なんの取材なんだ?」

「えーっと……名前は忘れちまったんだけど、最近、初級者向けの囲碁雑誌が新しく出たんだって? 『囲碁未来』よりもやわらかめで、ネット対局をメインにやってる人たちを対象としてるらしいんだけど、おまえ知ってる?」

「ああ、知ってるよ。『GO☆コミュニケーション』だろう?」

 失念してしまった雑誌名がアキラの口から出たことで、ヒカルは知ってるなら話は早い…とばかりに勢いづいた。

「そんで、その雑誌の来月号に、別冊付録をつけるんだって。『こどもに囲碁を教えたいお父さんに捧げる指導法徹底攻略本』とかいうタイトルで」

 アキラは、雑誌の名前は忘れてしまったくせに、長ったらしい付録のタイトルはしっかり覚えているという、ヒカルの記憶力の奇妙さに、改めて感心した。

 しかし、攻略本とは。

 確かに、やわらかめの雑誌にふさわしい安易な発想だ。

「その攻略本のなかに、プロ棋士の棋譜紹介のコーナーもあるらしくって、オレとおまえが公式戦で打った棋譜を取りあげたいんだってさ」

「公式戦というと……去年の秋に打った名人戦の一次予選か」

「そうそう。オレとしては、負けた一戦だったから、気分はフクザツって感じ?」

 頬をふくらませて見せるヒカルに、アキラは、くすっと笑った。

「でも、いい対局だったよ。あんなに心躍る対局は、そうそうあるものじゃない」

「そりゃ光栄で」

「だけど……初級者向けの棋譜紹介としては、あまり薦められないな。参考になるんだろうか」

「オレもそう思った。だけど、担当の記者が、こどもたちに近い年のプロの棋譜のほうが、親近感が湧くだろうって言うからさ」

「………」

 押し黙ってしまったアキラを訝しんで、ヒカルは、きょとんと目を見ひらいた。

「塔矢?」

「……なるほど。わかったぞ」

「へ? え…っと、塔矢?」

 雲行きが怪しくなってきたことに気づき、ヒカルは作り笑顔を浮かべて後ずさった。

「急に取材だなんて、おかしいと思った。キミは、すでに記者に会っている。だが、ここ数日、キミが記者と接触した形跡はない」

「接触とか形跡とかって、事件じゃないんだから」

「……ということは、取材の話は、もっと前に来ていたはずだ。日程も、だいぶ前から決まっていた……そうだろう?」

「いやあ、実はさ。事務のおじさんから、塔矢くんにも伝えといてねって言われてたんだけど、オレ、けろっと忘れてて。さっき、昼メシ食ってるときに、誰かがその雑誌の話をしてて、やっと思い出したってわけよ」

 間に合ってよかった〜とばかりに、へらりと笑うヒカルに、アキラの血管が音を立ててブチ切れた。

「進藤! キミはどうして、そう、いつもいつも……」

「うひゃあっ! ごめんなさーい!」

 説教なんか食らってたまるかと、ヒカルは一目散に走り出した。

 玄関の二つ目のドアをあけたところで立ちどまり、「そんじゃあ、明日、よろしく頼むなーっ♪」と手を振って、元気よく駆けていった。

 あとに残されたアキラは、そんなヒカルのうしろ姿を、「やれやれ」とため息をつきながら、それでいて、何か眩しいものを見るような目をして見送ったのだった。



 駅へ向かう下り坂の途中で、ヒカルは足をとめた。

「いけね。時間と場所、教えんの忘れちまった」

 ぽつりとつぶやき、ぽりぽりと頭を書いたあと、再び足を踏み出した。

「ま、いっか。あとでメールしとこ」

 なんだかんだ言いつつも、しっかりメールアドレスを交換しあっているあたり、ふたりは意外と仲がいいのかもしれない。

 ちなみに、その業務連絡メールが日付を越えた頃に送信され、寝入りばなのアキラの枕元で、携帯電話が大音量で鳴り響いたことと、アキラが取材の時間も場所も知らないまま、平気で眠りにつこうとしていたことは、まったくの余談である。








 そして翌日。

 アキラは、メールで知らされた場所に到着した。

 取材開始時刻まで、まだ1時間以上ある。

 約束の時間に遅れるのも問題だが、逆に、早すぎるのも困りものだ。

 だが、今日の取材で指定された場所は、フライングした客を、にこやかに出迎えてくれた。

「あら、アキラくん。いらっしゃい。今日は、ここで取材なんですってね。このあいだ、出版社の人が挨拶に見えたわよ」

 受付嬢の市河が、「ほら。コレいただいたのv」と、チョコレートの詰め合わせを指差す。

「若先生。取材お疲れさまです」

「わたしらは、邪魔にならないように、こっちの隅で打ってますから」

「やっぱり若手ナンバーワンの実力者ともなると、記者が放っておかないんでしょうねえ」

「あの進藤も一緒ってのは気に入りませんがね」

 常連客たちも、今日の取材のことは承知しているらしい。

 かばんを預け、いつもの指定席へ向かうアキラの「どうして情報はボクを避けて伝達されるんだ」という恨み言は、幸か不幸か、市河の耳に入ることはなかった。



 それからしばらくして。

 めずらしく遅刻せずに、ヒカルがやってきた。

「よっ、塔矢。取材の人、まだ来てないみたいだな。……お? さっそく並べてんな?」

 ヒカルはアキラの向かいに座り、盤面をのぞき込んだ。

 そして、アキラの右側に置かれたふたつの碁笥に手を突っ込み、白黒ごちゃまぜにして、左のてのひらに山盛りに乗せる。

 何通りもの流れを、アキラとふたり、並べては壊し、壊しては並べていく。

「手合いのあとにも検討したけれど、こうして見てみると、疑問手やユルい手が、かなりあるな」

「あのとき気づけなかったことに気づけるようになったんだから、オレたちも成長したってことだろ」

「慢心は禁物だぞ」

「へいへい。わかってますって」



 ほどなくして、記者とカメラマンが到着した。

 名刺を受け取り、挨拶を交わす。

 そして、取材は始まった。




久しぶりにリクエストをいただきました♪

リクエストの内容は、例によって、完結後の蛇足ページでお知らせします。

雑誌の名前は、当然のことながら捏造ですからね(汗)。


2005年11月4日



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