第一話 小姑娘立志当棋士
| 「よっしゃ、オレの勝ち♪」 輝くばかりの黄金色の前髪を揺らし、花がほころぶような笑みを浮かべながら、「天元堂」の末娘・ヒカルは、その容姿に不似合いな言葉で勝利を宣言した。 「いやはや、なんとお強くなられたことでしょう。もはや、わたくしではお相手は務まりますまい」 ヒカルと盤を挟んで対峙していた白髪の執事は、黒石を碁笥に戻して一礼した。 執事が去ったあと、ヒカルは豪奢な椅子に座りなおし、「うーん」と、大きくのびをした。 「まあ、ヒカルお嬢さま。はしたのうございますよ」 ちょうどお茶の準備をして戻った側仕えの少女・あかりが、あきれた顔で叱りつける。 だが、ヒカルは態度を改めるどころか、両足を椅子の上に乗せてあぐらをかく始末だ。 上質な織りの長衣の裾と、美しい刺繍の施された靴のあいだに、ほっそりとした白い足首がのぞいている。 あかりは玉製の茶器を円卓に置くと、お仕着せ服の袖口から、折りたたまれた紙をちらりと見せた。 「そんなお行儀の悪いお嬢さまでしたら、あかりはもう知りませんよ。このお手紙も返してしまいましょうか」 わざと意地悪く笑って見せる。 「それって、もしかして……やっぱりそうだ! あかり! 早く見せろよ!」 ヒカルは勢いよく立ち上がり、あかりに向かって駆け寄ると、手紙を奪い取った。 「んもう! ヒカルお嬢さまったら…!」 口ではそう言いながら、乳姉妹でもある、驕らない性格のヒカルに、あかりは親愛の情をもって仕えている。 神妙な面持ちで手紙をひらいたヒカルだったが、読み進めていくうちに、その口元は次第にほころんでいく。 最後まで読み終えると、ヒカルは手紙を片手に持ったまま、あかりに抱きついた。 「やったぜ、あかり! オレ、合格だって!」 あかりは、自分の耳を疑った。 「合格…? 本当でございますか? 本当の本当に、合格なさったんですか?」 「ほんとだってば。ほら、ここんとこ見てみろよ」 ヒカルは、あかりから腕をほどいて、手紙を指差した。 「あかりは字が読めません!」 ぷうっと膨れてみせるあかりに「わりぃ」と詫びると、ヒカルは手紙の一節を朗々と読み上げた。 「進藤ヒカル。貴殿の現在の棋力と、さらなる研鑽を深めんとするその探究心を鑑み、入門を許可する」 「そ、それでは、お嬢さま…」 呆然と立ち尽くすあかりを尻目に、ヒカルはくるくると舞うように、室内を飛び回った。 「ああ。オレ、学問所に行けるんだ。碁の勉強ができるんだ……!」 時は四世紀。東晋の頃。 首都・建康にほど近い上虞の街は、商業地域として栄えていた。 ヒカルの家である天元堂は、その上虞でも一二を争う商家だ。 扱う品物は、おもに薬。 王室や高官に高価な薬を売って、財を築いてきた。 天元堂は、ヒカルの父で3代目。 跡取りである息子のほかに、4人の娘がいる。 前述の通り、ヒカルは末の娘だ。 年の離れた兄や姉たちに溺愛され、両親にも甘やかされて育ったので、商家の令嬢としてはあまりふさわしくない言動をする娘に成長してしまった。 そんなヒカルも、もう15歳。 容姿だけなら上虞一。 いや、後宮で栄華を極めることも夢ではないだろう。 現に、愛らしいヒカルの外見に騙された男たちから、たくさんの縁談が寄せられるようになっていた。 両親は、男勝りで貞淑さのかけらも見られないヒカルの性格をよく知っていたので、まったく取り合わなかったが。 ただ、「乳姉妹のあかりの10分の1でもいいから、女らしくしてくれたらなあ」と、時折、ため息をついているのだった。 「お父さーん! お母さーん!」 よく磨かれた石張りの床に、靴音を勇ましく響かせて、ヒカルが飛び込んできた。 店の仕事は使用人にまかせ、ゆったりと午後のお茶を楽しんでいたヒカルの両親は、円卓の上に遠来の甘い菓子が置かれていることに気づき、頷きあった。 耳ざといヒカルのこと。 きっと、珍しい菓子があると聞いて、駆けつけてきたのだろう。 そんな両親の予想は、ヒカルの一言で吹き飛んでしまった。 「お父さん、お母さん。オレ、学問所に行く!」 「……えーっと、ヒカル。今、なんと言ったのかな」 「ごめんなさいね。最近、耳が遠くなったみたいなの。もう一度言ってちょうだい」 女が学問所へ行くなんて、前代未聞だ。 ヒカルの両親が、現実逃避を決め込んだのも無理はない。 「だーかーらー。学問所に行くっつってんの! ほらっ!」 大事に握りしめていた手紙を、円卓の上にひろげる。 両親がその内容に目を奪われている隙に、ひょいっと菓子をつまみ食いしたのは、ヒカルらしいというところか。 「か…鶴聖塾……。藤原佐為さまが開いていらっしゃる、私塾じゃないか…」 「藤原さまって、皇帝のご指南役を務めていらした、あの藤原さま?」 かつて皇帝の囲碁指南役の任にもついた藤原佐為。 一時期、病を患ったために指南役を降りたものの、その棋力は、古今東西に並び立つ者がないと言われている稀代の棋士だ。 数年前から、会稽山のふもとに私財を投じて学問所をひらき、科挙を志す若者に琴棋書画を教えている。 科挙で重要視されるのは、なんといっても圍棋……つまり碁だ。 そのため、全国各地からの入門希望者は数知れず、佐為に自分の棋譜を見てもらおうと送る者が後を絶たない。 この棋譜の提出は、いわば入門の一次試験のようなものだ。 その後、詰碁と別の棋譜が届けられる。これが二次試験。 詰碁の解答と棋譜の検討結果を書いて送り返すと、入門の可否について通知がくるというしくみになっているのだ。 「ヒカル、おまえ、まさか…。入門試験に合格したのか…!?」 「千人にひとりという狭き門を、うちのヒカルが…!?」 幼い頃から碁が好きで、腕に覚えのある使用人たちを、ことごとく打ち破ってきたヒカルだったが、まさか鶴聖塾の入門試験に合格するとは。 両親は、鳶が鷹を生んだという事実に、すっかり酔いしれていた。 甘い菓子をもぐもぐと満足そうに咀嚼しながら、ヒカルは「へっへー♪」と鼻のあたまをこすった。 だが、冷静さを取り戻した両親は、てのひらを返したように猛反対した。 「いかん。いかんぞ、ヒカル。女に学問は必要ない。ただでさえ、そんな男のような言葉遣いなのに…」 「お父さまのおっしゃる通りです。それに、学問所に行くということは、寄宿舎に入るということなのですよ。わたしたちが、男の人ばかりのところへ、おまえを遣るとでも思っているのですか?」 「そんなあ。せっかく合格したのに…」 すっかりしょげてしまったヒカルに、父親が折衷案を出した。 「学問所へ行ったところで、女のおまえが、科挙を受けて棋士になれるわけでもなかろう。碁の先生を家に呼んでやるから、それで我慢しなさい」 「たしか、建康の都に、一柳さまとおっしゃる碁の先生がいらっしゃったはず。その方に来ていただきましょう。ね? ヒカル?」 母親にも言い含められ、ヒカルはしぶしぶながらうなづきかけた。 ところが、そのとき。 「だ、だんなさま! か、かか鶴聖塾からお手紙が…!」 先程、ヒカルと一局打っていた執事が、血相を変えて飛び込んできた。 この国で、鶴聖塾を知らない者はない。 ましてや、碁を嗜む彼にとっては、まさに憧れの存在だ。 その鶴聖塾の藤原佐為からの手紙とあらば、他のどんな仕事よりも優先させて、主人に知らせるべきだと判断したのも、当然のことだろう。 「早く読んでよ!」 ヒカルにせかされて、父親は、宛名の書かれた外紙をひらいた。 さらに、幾重にも白紙が巻かれているのは、内容の重大さを表しているのだろう。 「……謹啓 進藤正夫さま…」 流れるような墨の走り。 上品な香りをたきしめた薄い紙。 ときに勇壮、ときに繊細な美しい文字に、典雅な世界を垣間見て、父親は知らず緊張をおぼえた。 その緊張を共有する者を求めてか、無意識のうちに、声に出して手紙を読み進めていた。 「……お嬢さまの性別については、他の門下生には一切知らせず、ご滞在いただく部屋も、寄宿舎ではなく、夜間は立ち入り禁止の図書館の階上に、特別にあつらえて…」 手紙をのぞき込んで、ヒカルと母親も、文字を目で追った。 「「「……ご尊父さまとご母堂さまにおかれましては、どうぞご心配なくお嬢さまをお預けくださいますよう、謹んでご案内申し上げます。……藤原佐為」」」 いつしか3人は、声をそろえて手紙を読んでいた。 「藤原先生が、じきじきに手紙をくださるとは…」 「しかも、うちのヒカルのために特別なご配慮を…」 いまだ夢心地の両親に向かって、ヒカルは確認した。 「ねえ、お父さん、お母さん。行ってもいいよね? いいよね? ねえってばー」 もはや、両親は首を縦に振るしかなかった。 ヒカルは拳を高々と振り上げた。 「……いやったあああぁぁぁっ!!」 そして、その雄叫びは、広い屋敷全体に響きわたったのだった。 もしも、手紙が届くのが、あと少し遅かったら。 ヒカルが両親に説得されて自室に戻ったあとで、その手紙が届いたならば。 寝た子をわざわざ起こすこともないと、両親は、それを黙殺したことだろう。 数奇な運命の歯車は、このとき、すでにまわり始めていたのかもしれない。 |
三国時代の武漢たちも、囲碁を好んだといわれています。
当時の碁盤が十九路九星であったかは、疑問視されているそうですが。
ちなみに「建康」は、今は「南京」と呼ばれています。
実際の地名を出したり、副題に中国語ちっくなものをつけたりして、みなさまを騙す気満々で書いてます。
どこまでがホントで、どこからがウソか、みなさまが判断に苦しんでくださったら、大成功なんですけどね。
よっしゃ、騙すぞおぉぉ♪
ムリかなー。……っつーか、それができたら、プロフェッショナルだよな(苦笑)。
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このページの画像は「灰の虹」さまから拝借したものです