第十二話  真実的故事





 過酷な八日間が終わり、辻馬車の列が鶴聖塾へ帰ってきた。

 寄宿舎へと向かう塾生たちは、みな、顔に疲労の色を浮かべてはいるものの、その足取りは軽い。

 実力を出し切って満足してきた者。

 ヤマがはずれて、玉砕してきた者。

 二週間後の結果発表まで気もそぞろで、授業には身が入らないことだろう。

 それでも、試験終了時に特有の明るい笑い声が、鶴聖塾に満ちあふれていた。



 不眠不休に近い状態で答案の作成に臨んでいたため、アキラは少し体調をくずしていた。

 空気のよどんだ狭い独房が、想像以上に劣悪な環境だったせいもあるだろう。

 ふらふらと馬車から降りてきたところを、伊角と和谷に見つけられ、両脇を抱えられるようにして私室に戻った。

 身体全体を覆い尽くすような熱と倦怠感に、臥床を余儀なくされた。

 熱に浮かされる夢うつつの時間のなかで、気にかかるのはヒカルのこと。

   見舞いにでも遊びにでも、ここに来てくれたらいいのに。

   そういえば、出迎えにも顔を見せなかったな。

   詩の再試験に備えて、猛勉強の真っ最中なのだろうか。

   絵画の課題の再提出も、期限が迫っていたっけ。

   補習や宿題に追われて、忙しく過ごしているんだろうな。

   会いたい。

   進藤に会いたい……。

 5日間ほど寝込んだ末、ヒカルにもらった薬の効果もあって、ようやく熱がさがり、今日から授業に出ようかと、アキラは支度を整えて寄宿舎を出た。

 朝食を済ませたところで、和谷に肩を叩かれた。

「おはよう、塔矢。もういいのか?」

「ああ、もうすっかり。いろいろ世話になってしまって。助かったよ。ありがとう」

 やや寝くたびれた感はあるものの、顔色は悪くない。

 和谷は「そっか、よかったな」と一息ついてから、本題に入った。

「佐為塾長から呼び出しがかかってたぜ。熱がさがって、起きられるようになったら、応接室に来いってさ」

 塾長からの呼び出し。

 それは、たいていの場合、何かよくないことが起こった場合の個人面談を意味する。

 授業で不合格になったとか。

 塾生同士でケンカをしたとか。

 優等生のアキラにかぎって、そんなことはないだろうと思いつつも、和谷は心配そうに顔を曇らせている。

 アキラ自身も、困惑した表情で、こぶしを口元にあてて考え込んだ。



 4時間目の授業が終わると同時に、アキラは教科書を抱えたまま、佐為の待つ応接室へと向かった。








 重厚な造りの扉の前で、アキラは襟を正した。

 身に覚えがないとはいえ、塾長からの直々の呼び出しとあっては、緊張を禁じえない。

 深く深呼吸してから、アキラは扉の向こうへ呼ばわった。

「塾長。塔矢アキラです。お召しに従い、参上いたしました」

  ぎいいぃ……

 軋んだ音をたてて扉がひらく。

 最敬礼で叩頭するアキラの前に現れたのは、藤原佐為そのひとだった。

「待っていましたよ、塔矢アキラ。ああ、そんなにかしこまる必要はないと、いつも言っているではありませんか。ほら、頭をあげて。それより、もう身体の具合はよいのですか? また少しやせてしまったのではないですか?」

 佐為は、何年も待ちかねていたかのように次々と話しかけながら、アキラを室内に招き入れた。



 碁盤の前に向かいあって座ったものの、対局が始まる気配はない。

 佐為は、碁の相手としてアキラを呼びつけたわけではなかった。

 縁結びの神の遣いになるべく、アキラと話をしようと思ったのだ。

 だが、いったい何から話せばいいのか。

 自らの思いつきに、いてもたってもいられず、アキラがやって来るのを一日千秋の思いで待っていたというのに。

 佐為は、そわそわと身を揺すり、視線をさまよわせた。

 手持ち無沙汰のように、碁笥の蓋をかぱかぱと鳴らすこと数分。

 意を決して、アキラの目を見つめた。

 アキラは顔をこわばらせて、佐為の言葉を待った。

「……ヒカルは家に帰りました」

  ガタッ!

「なんですって!? いつ!?」

「ひいぃ〜。アキラ、落ち着いてください〜」

 激昂して立ちあがったアキラに、佐為は袖で顔を覆った。

「す、すみません」

 アキラは非礼を詫び、すぐに椅子に座りなおしたが、その後は、何かを考え込むように一点を見つめたまま、微動だにしない。

「確かに、今日の授業には出ていなかったけど……」

 小さなつぶやきではあったが、佐為の耳には届いていたようだ。

「ええ。アキラたちが都へ出発した翌日に、ヒカルは上虞の天元堂へと使いを頼みました。そして、12日の昼過ぎに、迎えに来た馬車に乗り込み、家へ帰ったのです」

 淡々とした佐為の口調が、それが事実であることを物語る。

「進藤は自分で迎えを頼んだというのですか? そんなバカな!」

 わなわなと震える唇を、てのひらで覆い隠し、アキラは荒い息をくり返した。

「あの日……ボクが都へ出発する日、進藤は、碁をやめないと言いました。ずっとこの道を歩くと。碁の勉強を続けるうえで、鶴聖塾以上の環境なんて、他にはないはず。それなのに、なぜ……」

 信じられないと頭を振るアキラに、佐為は痛ましそうに目を細めた。

「ヒカルは、辛くてここにはいられないと言っていました。悔しくて、寂しくて、もう限界だと」

 アキラ自身も、苦しんでいるような、悩んでいるようなヒカルのようすには気づいていた。

 だが、それが、悔しいとか寂しいとか、そういう言葉で表されるような類のものであったとは、にわかには信じられない。

 我が事のように取り乱すアキラを見て、佐為は、自分の考えが正しかったことを知った。

 そして、アキラになら、すべてを告げてもよいだろうと結論づけた。



 佐為は「少し物語をしましょうか」と、切り出した。

 それは、風変わりだけれど探究心にあふれた魅力的な少女の物語。

 佐為は、アキラに、ヒカルの秘密を打ち明けた。

 ただし、ヒカルの恋の話だけは伏せたままで。

(告白する前に、相手の気持ちを知ってしまうなんて、『ふぇあ』じゃありませんものね♪)

 佐為は心の奥底でにんまりと笑ったが、その唇から紡ぎ出されるのは、せつなく悲しい物語だった。






「そ、それじゃあ、進藤は……!」

 ……女の子だったのか。

 呆然と口をあけ、焦点のあわない目をして、アキラは固まった。

「まったく気づいていなかったみたいですね」

 やっぱり片碁笥の恋だと思い込んでいたのですね、という言葉は、なんとか飲み込んで、佐為は、くすくすと笑った。

 驚きの瞬間から開放されると、アキラは、懐中から翡翠の珮を取り出して、それを穴があくほど凝視した。

 二匹の蝶と牡丹の花。

 どこから見ても、女性の持ち物にふさわしい優美で可憐な意匠だ。

 ことあるごとに手に取って、何度も見つめていたのに、なぜ今まで気がつかなかったのか。

 そして、さらにもう一点。

 親友ともいうべき間柄の自分たちが、互いの部屋を行き来していなかったという事実に思い至る。

 アキラは、ヒカルの寄宿舎を知らないままだった。

 まさか、図書館の隠し扉の向こう側に階段があるなんて、思いもよらなかった。

 ヒカルも、アキラの寄宿舎が俊英院であることは知っているが、広い館内のどこにアキラの私室があるのかまでは知らないはずだ。

 ここ数日の間、見舞いにでも来てくれないだろうかと、淡い期待をしていたが、かつて、ヒカルが自分の寄宿舎へ遊びにきたことは、一度としてなかったことに気づく。

 男性の部屋を訪ねるなど、もってのほかだったのだろう。

 アキラは、うつむいて唇を噛んだ。

 才能を開花させることが許されない少女は、自分の出発を、どんな気持ちで見送ったことだろう。

 ヒカルの胸中に思いを馳せ、佐為も、その秀麗な眉を歪めた。



「アキラ」

 しばしの無言のあと、佐為は、明るく奮い立たせるような声音で問いかけた。

「は、はい」

「あなたは、このままでいいのですか? ヒカルはもう十五歳。年頃の娘さんなのですよ?」

 裕福な商家のお嬢さまなのだから、いつ嫁に行ってもおかしくはないと、言外に匂わせる。

「進藤はボクのものです。誰にも渡さない……!」

 きっぱりと断言し、こぶしを握りしめて立ちあがったアキラを、佐為は満足そうに見あげるのだった。





 今回は、ヒカちゃんが出てきませんでした。しくしく。

 副題は「本当にあった物語」という意味ですが、ここでは「タネ明かし」とでも意訳したいところです。

 ギャグ禁止と自分を戒めていたくせに、ちょびっとだけ、お笑いっぽいシーンを入れちゃいました。

 あ、そうそう。前回の背景画像について、おたよりをいただきました。

 「やべえ。ドリーム見せちゃったかも(←口の悪いヤツ)」と、反省すべき点がありましたので、ちょっと一言。

 あのブツの図案は、「こうもり」と「雲海」です。

 最近、ネットオークションで入手した彫刻で、そんなに高価なものではありません。

 自分で電動ドリルで穴をあけて、紐やらビーズやらをくっつけた、正真正銘の「メイド・イン・がび小屋」です。

 蝶と牡丹の図柄じゃないんです。

 本場ミャンマーから直輸入したアンティークでもないんです。

 以上、ネタバレ(?)でした。




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このページの画像は「一実のお城」さまから拝借したものです