第十三話  錦標奪帰





「怯むな、あかり。突き進むんだ」

「そんなことをおっしゃられましても、この人ごみのなかでは……

 科挙の初級試験が終わって2週間。

 今日は合格発表の日だ。

 建康の都をはじめ、主要な街の広場には金榜が立てられ、合格者の名前が貼り出されるのだ。

 ヒカルの住む上虞の街にも、毎年、金榜が設置される。

 正午の発表にあわせて、ヒカルはあかりと出向いてきたのだが。

 わらわらと詰めかける書生の集団や、不合格を知って泣きくずれる親子であふれかえり、広場はたいへんな混乱状態に陥っていた。

 ヒカルとあかりは、果敢にも金榜をめざして人ごみのなかに突入したが、四方八方からぎゅうぎゅうと押し寄せる大人たちの大群に、小柄なふたりは、今にも押しつぶされんばかりだ。



 発表を見にくるのは、受験生やその家族や友人だけとは限らない。

 知り合いが合格していたら、すぐにでも交友を深めようという者や、合格者とお近づきになり、贈賄の機会をうかがおうという者が、怒涛のように押し寄せてくるのだ。

 合格者の約8割は、翌年の春には官吏として採用される。

 若い新任のうちから官吏を抱きこんで、将来、自分たちに都合のいいように動いてもらおうと躍起になる商人や工房主が、あとを絶たないのだ。

 そして、出世のためには先立つモノが必要…と、新規に採用されたばかりの夢多きはずの下級官吏もまた、裕福な商工者との関係を求めている。

 贈収賄はあたりまえ。

 政略結婚や人身御供が横行し、政治は歪み続ける。

 国中から優秀な人材を発掘するための科挙が、政治の不正を増長させているというのが現状だ。

 清廉潔白な役人など、ほんの一握り。

 官民の癒着や閣僚の派閥は、当然のものとして浸透している。

 実際、ヒカルの3人の姉も、大臣や高級官僚に嫁ぐことによって、天元堂の維持安泰に一役買っているのだ。



「ああ、もう。ぜんぜん見えないじゃんか」

「お嬢さま、こちらが少しあきました。前に進めそうですわ」

「ほんとか? よーし、一気に突入だ!」

 人ごみの隙間を縫って、なんとか文字が判読できる位置まで近づく。

 墨の色も新しく、小さな字でびっしりと書き込まれた合格者名一覧。

 ヒカルは彼の人の名前を探した。

「あかり、どうだ? 見つかったか?」

「んもう! あかりは字が読めないと、いつも申しているではありませんか」

「じゃあ、今ここで覚えろよ。塔矢の塔は、こういう字。矢は……」

 ヒカルは、自分の指で、あかりのてのひらにアキラの名前を書いて示そうとした。

 だが、途中まで書いたところで、横から押されて転びそうになる。

 ヒカルは、あかりに字を教えるのをあきらめ、両足にぐっと力を込めて、再び金榜を見あげた。

 高く掲げるように立てられた金榜の一番低いところ……つまり、ヒカルの見やすいところから、順に文字を追っていく。

「あ、和谷が受かってる! ……やった、伊角さんも!」

 級友の名前を見つけては小さく声をあげながらも、目当ての名前を見つけられないまま、文字の列を上へと辿り、そして最後に残った首席合格者の名前に、ヒカルは目を見張った。

「…………マジかよ」

「お嬢さま?」

 そうつぶやいて立ちつくすヒカルの顔を、あかりは、ひょいと覗き込んだ。

 ヒカルはあかりと目が合うと、あかりの腕をつかみ、人ごみをかきわけて広場をあとにした。






 ヒカルはあかりの腕を強くつかんだまま、目抜き通りを走り抜け、天元堂の店先に飛び込んだ。

 そのまま奥へと突き進み、東南の中庭に面した私室へと駆け込む。

「……お嬢さま……いったい……どうなさったと……いうのですか……?」

 はあはあと荒い息をつきながら、あかりが恨めしそうにたずねると、ヒカルは、にぱあっと笑い、あかりの両手をとって、くるくると踊り始めた。

「やったああああぁっ! 合格だ、合格だ! 塔矢も和谷も伊角さんも、みんな合格だ!」

 すでに聞き知っていたヒカルの級友の名前に、あかりも「よろしゅうございましたね」と、満面の笑みで答えた。

 広場には、合格できなかった者や、その家族が泣きくずれていた。

 また、多くの商工者たちが、合格者とのつながりを虎視眈々と狙っていた。

 そんななかで、いくらヒカルとはいえ、叫び出すわけにはいかなかったのだろう。

 自分の部屋に駆け戻って、思う存分、喜びを表現している。

「しかも塔矢のヤツ、首席だぜ、首席。錦標奪帰の大先生さまだ。もう、マジすげーよ、あいつ。ああああぁぁ、もう! やってくれるじゃねえか、あんちきしょーめ!」

 錦標奪帰というのは、上級試験のさらに上の棋士登用最終試験で、首席合格した者を示す言葉ではなかったか。

 あかりの脳裏に、そんな豆知識が浮かんだが、嬉しそうにはしゃぎまわるヒカルの様子を見て、指摘するのも野暮だろうと、ただ黙ってお茶の準備を進めるのだった。






 翌日。

 天元堂の店先に、おかっぱ頭の書生が現れた。

 たまたま用事があって店内にいたあかりは、ヒカルから聞いていたその特徴ある風貌の青年を見て、彼が塔矢アキラであることを瞬時に理解した。

 あかりは青年のもとへ歩み寄り、「塔矢アキラさまですね?」と、小声でたずねた。

 そして、アキラを伴い、店の外へ出る。

 少し離れた防火用水の木箱の陰で、あかりは値踏みするようにアキラを見つめ、慎重に言葉を選んで話しかけた。

「このたびは、合格おめでとうございます」

「ありがとう。……失礼だが、キミは?」

「申し遅れました。わたくし、ヒカル少爺の側仕えをしております、あかりと申します」

「少爺?」

 若旦那を表す敬称に、アキラは聞き返した。

「何か?」

 警戒した目で見つめるあかりに、アキラは小声で告げた。

「あかりさん。ボクは知っているんだ」

「な、なんのことでしょう?」

「藤原佐為塾長から、すべて聞いた」

「いったい、なんのお話です?」

 明らかに狼狽しながらも、あかりは警戒をゆるめない。

 アキラは真摯に訴えた。

「あかりさん、お願いだ。進藤に会わせてくれ。ボクは、キミの大切な小姐を傷つけたりしない。約束する。……進藤に会いたい……ただそれだけなんだ」

 しばしの逡巡ののち、あかりは、そっと息をついた。

「……こちらへ」

 あかりは、アキラを先導して歩き始めた。

 屋敷の表門を通り過ぎ、路地裏に面した通用口へとまわる。

 科挙に合格した優秀な青年を、使用人の通用口から招き入れることを、あかりは申し訳なく思ったが、ヒカルの名誉には代えられない。

 ヒカルが性別を偽って学問所に行っていたことは、進藤家の最重要機密なのだ。

 あかりは人目を避けるようにして、アキラをヒカルの部屋へと案内した。






「と、塔矢!?」

 椅子の上にあぐらをかいて、午後のおやつにと、饅頭をほおばっていたヒカルは、アキラの姿を見て固まった。

 葡萄の果汁を煮詰めて作った甘い餡が、ぽろりと服に垂れる。

「お嬢さまったら! お行儀よくなさいませって、いつもあかりが申し上げておりますのに! まったく、もう! ああ、また、服をべたべたにして……」



 ほぼ1ヶ月ぶりに、感動の再会を果たしたふたりを、あかりの怒声が包み込んでいた。





 女の子に戻ったヒカちゃんと、科挙に合格したアキラさんの再会。

 もっと感動的に書けたらよかったんですけどねえ。

 なんだか恥ずかしかったので、お笑い路線に逃げちゃいました。

 副題の「錦標奪帰」は、「殿試」と呼ばれる科挙の最終試験で、首席合格した人を表す言葉です。

 ちなみに、みなさまご存知の「圧巻」という言葉は、殿試の首席合格者が書いた答案(おもに詩ですね)のことを言いました。

 山のように積まれた答案の一番上に、最優秀の答案が、どーんと乗せられたことに由来するそうです。

 他者を圧倒する巻物……というところから派生したんでしょうな。

 文中に出てきた「金榜」は、優秀者や合格者を発表する掲示板のこと。

 音楽番組のベストテンのコーナーなどで使われる言葉です。

 以上、がびちゃんの「クソの役にも立たない豆知識」でした。←下品(殴)





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このページの画像は「灰の虹」さまから拝借したものです