第十五話 遠距離恋愛
| 約束どおり、アキラはすぐに手紙をよこした。 訳知り顔で微笑むあかりから、ヒカルは、ひったくるように手紙を奪い取った。 かつて、藤原佐為塾長から入門を許可する通知を受け取ったときのように、待ちかねた目で文面を追う。 きっちりと大きさの揃った几帳面な字に、ヒカルは「あいかわらずだな」と、小さく笑い声をもらした。 初級試験の合格者が集まって、上級試験に向けての勉強会を始めることになったという、近況を知らせる内容の手紙の最後には、小さく数字が記されていた。 17の四 「あのヤロー……」 ヒカルは、にやりと不敵な笑みを浮かべると、大急ぎで机に向かった。 「16の一六……っと。……これだけじゃ短いな」 ヒカルは、最近、あかりが碁を覚えたことや、中庭の敷石に棋譜を彫りこんで両親に叱られたことを書きたした。 アキラの懐のぬくもりが残っているような気がして、長い紐を通した翡翠の珮を、いつも胸にさげていることは、迷った末、書かないでおくことにした。 「あかりいぃっ! 悪いけど、手紙出してきてくれ! 大至急な!」 アキラが手紙の最後に初手を書き込んだのは、ヒカルからの返事欲しさゆえだ。 ヒカルのことだ、きっと、次の一手を考えるに違いない。 アキラの企みは図に当たり、ふたりのあいだで、頻繁に手紙のやり取りが交わされるようになった。 手紙の内容は、次の一手を示した数字と、最近思いついた手筋についてが中心という、たいそう色気のないものだったけれど。 菊の季節が過ぎ、木枯らしが吹き始めるまでのわずかなあいだ。 雨の降らないこの時期、進藤家では、陽射しのおだやかな日を選んで、虫干しが行われていた。 初代店主によって記された、薬の製造方法に関する巻物をはじめ、蔵に安置してある工芸品や美術品の数々を、中庭に並べて風を通す。 王室からの貴重な下賜品なども含まれているため、中庭には、交代で番の者が立つことになっていた。 今日は、あかりがその任についている。 庭に配された椅子のひとつに腰掛けて、あくびをかみ殺しているようだ。 そこへ、アキラへの手紙を携えたヒカルが、中庭にやってきた。 「よお、あかり。がんばってるか?」 「がんばるもなにも、ただ、こうして座っているだけですわ。……あら。うふふ。また、恋文ですか?」 「こ、恋文ってゆーな! オレは、ただ、塔矢と碁を打ってるだけだってば!」 怒ったような、それでいてどことなく恥ずかしそうな膨れっ面をして、ヒカルは、あかりに手紙を託した。 「はいはい、わかってます。……こちらのお役目が終わったら、すぐにおつかいにいきますわ」 あかりは、「あと2時間ほどで虫干しは終わりですから」と、手紙を懐に入れて、干されている書物を指差した。 天候の変化と、万が一の紛失に備えて、ただ見ているだけ。 いくら仕事とはいえ、何もせずにじっとしているというのは、けっこうつらいものだ。 特に、今日は、書を中心とした巻物が干されているため、字の読めないあかりにとっては、退屈な時間に他ならないだろう。 「気の毒になあ。オレだって、こんなわけのわかんねえ巻物に囲まれて、じっと座ってろって言われた日にゃあ、逃げ出したくなるぜ」 ヒカルは、興味なさそうに巻物のひとつを手に取った。 「なになに? えーっと、緑水青山、涼風名月……って、ちょっと待てよ。うそだろ!? なんで、こんなもんがウチにあるんだ!?」 「詩歌に造詣が深くていらっしゃった先々代が、北方の絹問屋さんから譲っていただいたそうですわ。……それが、どうかしまして?」 あかりは、てのひらの下にあくびを隠しながら答えた。 「どうかしたって……葛氏の書じゃねえか、これ。すっごく貴重な巻物なんだぜ。鶴聖塾の詩の授業で、森下老師が『今の王朝が興るときの混乱で、全国各地に散らばってしまった』って言ってたんだ」 ヒカルは、「すげえ、すげえ」と興奮した様子で、他の巻物にも目を通していく。 「うおっ! これ、陸氏の『山重水復疑無路〜』ってヤツじゃんか。……あっ! こっちのは、観月集の第一巻! すげえよ。マジ、すげえ」 授業で習ったため、ヒカルは、詩人や書家の名前を聞いて、その代表作を挙げるくらいはできるようになっていた。 また、有名な詩を諳んじることも、途中でつかえながらだが、なんとか可能だ。 森下講師による度重なる補講の賜物といえよう。 ヒカルが書物を前にして歓声をあげていると聞いたら、彼は泣いて喜ぶに違いない。 ただし、詩歌に強い関心を表したわけではなく、単なるミーハー気分で盛りあがっているだけだということは、知らせずにおいたほうがよいかもしれない。 理由はどうあれ、書物を前にはしゃいでいるヒカルを目撃したヒカルの両親が、驚きのあまり、天候の急変を心配して空を見あげるのは、それから7分後のことである。 「ねえ、あなた。信じられます? ヒカルが詩を暗誦しているなんて」 「ああ。なんだか夢でも見ているようだ。にわかには信じられんよ」 ヒカルの両親は、建物の陰に隠れて中庭の様子をうかがっていた。 今、中庭では、ゆったりと頭を振って調子をつけながら、ヒカルが得意気に詩を暗誦している最中だ。 時々つかえては、あかりに「ずいぶん変わった詩ですのね」と、突っ込まれているようだが、良家の子息や子女のたしなみと言われる、形式の整った格調高い詩を詠じているのだから、以前のヒカルを考えれば、たいへんな進歩である。 「鶴聖塾には、たくさんの講師の先生がいらっしゃって、碁だけでなく、詩や琴も教えてくださったのですって」 「ふむ。あのヒカルが、碁以外のことに興味を示すとはな。……鶴聖塾へやったのは、正解だったかもしれんぞ」 「あなた?」 「今までは、まったく期待などしてはいなかったが、このぶんなら、結婚も夢ではないかもしれん」 父親は、嬉しそうに目を細めた。 長女も次女も、14歳で嫁いだ。 三女も、15の年には結納を済ませていた。 ヒカルも、すでに16歳。 年齢だけは結婚に適するに至っていたが、いかんせん中身がともなわなかったため、両親は結婚相手を探していなかったのだ。 「善は急げ、ですわ。もともと、容姿はあのように整っているのですもの。しかるべき教養を身につけた今でしたら、きっと素敵なお相手が見つかることでしょう」 ふたりは嬉々として居間へ戻り、年頃の息子を持つ王族や豪商を調べるよう、老執事に命じたのだった。 すでに、ヒカルの姉たちは王族や高官のもとへ嫁いでいる。 進藤家は、息子夫婦が継ぐことに決まっている。 つまり、ヒカルの結婚には、なんの制約もないのだ。 ヒカルが幸せに暮らせるのならば、相手は誰でもかまわない。 当然、科挙の初級試験に合格したばかりで、下級官吏にも満たないアキラであっても。 だが、ヒカルの両親は、ふたりが恋仲であることを知らない。 それどころか、アキラの存在すら知らないのだ。 一生、食べるのに困らない生活を送らせたい。 なるべく多くの資産を持つ家に嫁がせたい。 適齢期を過ぎては、先方に侮られる。 なるべく早く、縁談をまとめなければ……。 娘の人生の安泰を願う両親の思いは、執事に仕事を急がせるに十分だった。 年の瀬も押し迫り、都に近い上虞の街にも初雪が降る頃。 座間将軍の次男との縁談が、進藤家に舞い込んできたのだった。 |
予告通り、急展開です。
相手が座間先生がらみなのは、がび的に、敵キャラ印象が強いからです。
……とは言っても、真の敵は本能寺にあり。←はい?
近いうちに出てきます。
以下は、恒例になりました脚注もどき。
副題は、日本語と同じです。
文中に出てくる葛氏は葛長庚。陸氏は陸游。
いずれも、宋の時代の文人です。←時代考証はどうした(殴)。
観月記は、出張先で見かけた駅の名前(観月橋)から捏造。
とっても綺麗な響きだったので、ついうっかり拝借。
安直でごめんなさい。
お戻りの際は窓を閉じてください
このページの画像は「灰の虹」さまから拝借したものです