第七話  性騒擾






 後ろ手にひねられた腕の拘束が、ふとゆるんだ。

 逃げるなら今だ…と、ヒカルは両足に力を込めた。

 だが、今度は、両腕と身体をまとめて抱きしめられる。

 呼吸がとまるかと思うほどの強い力に、喉が、きゅうっと苦しげな音をたてた。

 肺のあたりをしめつけられているせいか、思うように息を吸うことができない。

 やがて、ふわりと身体が浮くのを感じた。

 そして、一瞬ののちに、背中に衝撃が走る。

    どん……っ

 部屋全体に響きわたる鈍い音が、並べられた机の上に、自分の身体が落とされたことを、ヒカルに教えていた。

 しめつける力はなくなったものの、今度は、打ちつけられた背中の痛みに息がとまる。

    カツン……

 もともとわずかであった距離を、さらに縮めようとする靴音。

 燈籠のほの暗い灯りに、ゆらゆらと動く長身の影。

 寝台と化した机の上に片膝をつき、その影は、ゆっくりと覆いかぶさってくる。

 恐怖と苦痛に震えるヒカルの肩が、机に強く押さえつけられた。



「やめろっ! 離せっ! さわんな…っ」

 じたばたと足を動かし、夢中で這い出そうともがくヒカルに、緒方は余裕の笑みを浮かべた。

「往生際が悪いぜ。おとなしく協力しないと、つらい思いをするのは、おまえ自身だ」

「誰がおとなしく殺されてなんかやるもんかっ!」

 ヒカルは、自由になる肘から先の部分を振り回す。

「殺す…?」

 語尾をあげてつぶやく緒方の隙をついて、ヒカルは緒方の顔をバリバリと引っ掻いた。

「人殺し! 人殺し!」

「やめんか!」

 緒方は、ヒカルの両手首をつかんで、机に押しつけた。

 体重をかけて、ヒカルの身体全体にのしかかる。

「おまえ、この状況がわかってないのか?」

「なにがだよっ! オレを机に縛りつけて、手とか足とか、ちょっとずつ切断して、オレが死んでいくのを見て楽しむつもりなんだろっ! この変態殺人鬼!」

 身体の自由を奪われて、ヒカルの思考は、恐慌の極地に陥っていた。

 あまりにも飛躍しすぎたその想像に、緒方は「ふん」と息をもらした。

「誰が変態だ。それに、俺は人殺しじゃない」

「じゃあ、なんでこんなことするんだよ……っ!」

「くっくっく。わからないのか」

 わずかに口元をあげた淫猥な表情に、ヒカルは、何度かまばたきをくり返した。

 すぐ近くに迫っている緒方の白い長衣を、じっと見つめる。

 裏地にもおなじ白い布が使われ、下に重ねられた着物も、すべて白だ。

 佐為塾長も白い長衣を好んで着るが、下には見事な織り柄の紫色の着物を着ている。

 手触りから判断するに、緒方が着ているものも、かなり上質な布地だろう。

 地位も富も、それなりに得ている成人男子なのだから当然だ。

 だが、身につけているものが、すべて白で統一されているというのは、明らかにおかしい。

 他の講師たちは、色や柄や布地の織りにこだわって、己が雅な趣味の持ち主であることを誇示しているというのに。

 なぜ白一色?

 ヒカルは、はっとして叫んだ。

「わかった! おまえ、白鷺教だなっ! 西のほうの山奥には、人間を生贄にする古い宗教があるって聞いたことがある! 白鷺教の教徒は、みんな白い着物を着てるって。オレを生贄にするつもりなんだ! そうだろっ!」

「違うっ! 何を言い出すんだ、おまえは。そんな洒落心のない土着宗教と一緒にするな! 俺のこの美的感覚がわからんのかっ!」

 思わず余裕を失い、我を忘れて叫んでしまった緒方だったが、次の瞬間には、ヒカルの言動の幼さに、嗜虐心が頭をもたげていた。

 ヒカルの両腕を、自分の片手でまとめてつかみ、頭の上にぐいっと持ちあげる。

 もう片方の手で、ヒカルの長衣を一気に引き裂いた。

 着物の下に手を入れ、うしろへと手をすべらせていく。

「くっくっく…。まだわからないか? ん?」

 緒方の手が、ヒカルの内衣を引きおろしにかかった時、ようやく合点がいった。

(え!? ええっ!? ええええーーーっ!? マジかよーーっ! オレが女だって、いつバレたんだ!?)

 ヒカルは驚きと恐怖に顔を引きつらせ、舐めまわすような緒方の視線を避けて、固く目をつぶった。






 その頃、食堂では。

 ヒカルが席を立ったあとも、アキラは和谷たちに囲まれて、他愛もない雑談を、聞くともなしに耳にしていた。

「しかし、あの話には驚いたよなー」

「あの話って……ああ、足立さんと今西さんが別れたっていう、アレか」

「ずいぶん長く続いてたらしいけど。今西さんが、片桐さんに乗り換えたんだって?」

「ああ。ここじゃあ女の子と出会う機会はないけど、男だったらよりどりみどりだもんな」

「片碁笥の恋かあ。……むなしいなあ」

 片碁笥の恋云々の一節に、アキラはギクリとして顔をあげた。

「なんだよ、塔矢。どうかしたのか?」

「い、いや。別に…」

 なんでもないというように白湯に手をのばす。

「お固い塔矢に、この話題はキツかったかな」

「そ、そんなことは…」

 頬を赤らめるアキラを、どう思ったのか、級友たちは、さらにこの話題で盛り上がろうと企てる。

「そういや、緒方老師のアノ噂って、マジだったらしいぜ」

「例の『お稚児さん趣味疑惑』か」

「そう、それそれ。片碁笥の恋なんていう色恋めいた話じゃなくて、夜の相手をさせるだけなんだと」

「げ〜。それって最低じゃん」

「ところがさ。その気がなかったはずのヤツが、一度夜を共にすると、たちまち緒方老師の虜になっちまうんだってよー」

「うええええ。信じらんねえ」

「そんなにスゲエのかな、緒方老師って」

「確かに、見た感じからして『お盛ん系』だよなー」

    がたんっ

 アキラは、椅子を倒す勢いで立ちあがった。

「? どうしたんだよ、塔矢」

 級友たちの視線の先には、ぜーはーぜーはーと、肩で息をするアキラの姿がある。

「ボ、ボボボボ、ボクは、これで失礼させてもらうよ。それじゃっ!」

 いつもの沈着冷静な雰囲気はどこへやら。

 あわただしい挨拶だけを残して、食堂をあとにする。

「……やっぱ、塔矢にはまだ早かったかなあ、猥談は…」

「あんなに真っ赤になっちゃって。ほんとオクテだよなー」

「あのぶんだと、初恋もまだだぜ、きっと」

「それどころか、独り寝のタシナミもまだ…」

「ぶはははっ! ちげーねえ」

「おいおい、いくらなんでも、それは塔矢に失礼なんじゃないか?」

「そんなこと言って、伊角さんだって笑ってるじゃん」

 あとに残された面々は、アキラをネタにさんざん笑いあっていた。



 食堂を出たアキラは、竹やぶの舗道を歩いていた。

 無意識のうちに、琴の教室へと向かっている。

 和谷たちから緒方の性癖について聞いたとき、アキラは生きた心地がしなかった。

 今にも緒方の毒牙にかかろうとしているヒカルの細い肢体が目に浮かび、思わず立ちあがっていた。

(進藤……進藤……進藤っ! どうか、間に合ってくれ…っ!)

 まだ少し痛む足のことなど忘れて、知らず歩みが速くなる。

 辺りの燈籠の灯が揺れ始めていた。

 消灯時刻に消えるようにと、蝋燭の長さが揃えられているのだ。

 燈籠をのぞき込むと、残りはあとわずか。

 この蝋燭が最後まで燃え尽きたら、ヒカルの笑顔も消えてしまう……そんな思いにとらわれて、アキラは蝋燭を手にとった。

 まだ少し長さを残しているその様子に、祈るような表情を向ける。

 はかなく揺らめく蝋燭を手に、逡巡することしばし。

 アキラは蝋燭の火をそっと吹き消すと、懐に入れて、再び歩き始めた。

 そして、遠くに教室の灯りが見えてくる頃には、アキラは走り出していたのだった。






 そして、舞台は再び琴の教室へと移る。

 音響がよく防音に優れた密室は、緒方にとって至高の空間だ。

 ほのかな息遣いも、すすり泣く声も、また別の意味での鳴き声も、すべてを美しく響かせて、かつ外には漏らさない。

 緒方は、今日の獲物に目を向けた。

 固く目をとじて、カタカタと小さく震える小さな身体に、手をすべり込ませる。

 まだ細い背中から腰のあたりを堪能し、さらに下へと這わせていく。

 細いながらも、少しは肉づきのよい双丘をなで、そのあいだへと指をくぐらせる。

「ひ……っ」

 詰めた息のあいだから、ヒカルは小さな悲鳴を漏らした。

 内衣を半分おろされた状態で、背中から次第におりてきた手が、意図を持って蠢いているさまに、恐怖が高まっていく。

 足の付け根あたりに押しつけられた熱い欲望と、首すじにかかる荒々しい息遣いに、震えはさらに大きくなる。

 うしろをさぐっていた緒方の手が、前へとまわってきたとき、ヒカルの恐怖は頂点に達した。

「うわあああああーーーーーっ!」








 叫んだのは、緒方だった。

「な、な、な。ない。ない。……ないっ!」

 ヒカルの秘密の部分を軽く叩くようにして、何かを探していた緒方は、突然、身体を起こし、ヒカルの胸に手をのばした。

    むにゅ

「…………ある。ほんのわずかだが……確かにある…」

 幼いヒカルにとって、羞恥の対象としての比重は胸にあったようで、その胸をつかまれて、ヒカルはにわかに我に返った。

「なにしやがる、この変態野郎っ!」

 緒方が身体を浮かせたことによって、わずかにあいた空間を利用して、しっかりと膝をまげ、力をためてから、思いっきり蹴りを放つ。

    ゲイン☆

 見事に決まった蹴り技が、どこに入ったかは、緒方の名誉のために伏せておこう。



 しばらくして、なんとか回復した緒方が、狼狽した様子で確認する。

「お、おま、おまえ…。女だったのか…」

「女だって知らないで、オレに手ェ出してきたのかよ。ますますもって変態だな」

 部屋の隅でうずくまり、ガタガタと震える緒方と、そんな彼を腕組みして見おろすヒカル。

 形勢逆転は明らかだった。

「? なに震えてんだよ。そんなに痛かったか?」

 ヒカルは、「まずいトコ蹴っちまったかなー」とつぶやきながら、緒方に近づいた。

「くっ、来るなっ! 寄るなっ! 触るなっ! 近寄るなっ!」

「なんだよ! ひとが、せっかく心配してやってんのに…」

「黙れっ! 半径5公米以内に近づくな!」

「はあ? なにそれ…」

 碁以外の学問に疎いヒカルには、緒方の言葉が理解できない。

 きょとんとした表情で、距離を詰める。

「うわあっ! やめろ! 来るなっ! 俺は女が苦手なんだああああーーーーーっ!」



 口から泡を吹きそうな勢いで叫ぶと、緒方は頭を抱えて、さらに小さくうずくまるのだった。





 おがたりあんのみなさま、深くお詫び申し上げます。

 アキラスキーのみなさま、拙宅のアキラには、期待するだけ無駄だということが、再確認できたことと存じます。

 副題の「性騒擾」は、セクハラという意味です。

 文中にでてくる「内衣」は、下着のこと。ここでは「おぱんつ」を表しています。

 今回は、ページの内容と画像配布元さまのご意向を考慮して、背景画像の使用は自粛しています。

 ところで、足立さんと今西さんと片桐さん、おぼえてますか? 一応、ヒカ碁キャラなんですよ。←キャラブックを紐解いてみた





お戻りの際は窓を閉じてください