第十七話  断線






 表通りの賑わいは、ヒカルの部屋へも聞こえていた。

 ヒカルは寝台の下に隠しておいた螺鈿の小箱を取り出した。

 そのなかには、アキラからの手紙が、大切にしまってある。

 ヒカルは、昨日届いたばかりの手紙を読み返した。

 一日早く着いてしまった新年の挨拶と、次の一手。

 まめな彼らしく、近況報告も欠かさない。

 母親が風邪をこじらせて寝込んでいるとの連絡があったので、上級試験が終わったら、一旦、故郷の金星村に帰るつもりだ……と、書いてある。

 彼が棋士をめざすのは、苦労してきた母親に、少しでも楽な暮らしをさせるためである。

 きっと、今すぐにでも、故郷へ帰りたいに違いない。

「どんな人なんだろうなあ、塔矢のお母さんって」

 ヒカルは、アキラの母親の姿を想像してみた。

 真面目で誠実で賢くて優しくて、それでいて、どこか少し頼りないところもあるアキラ。

「やっぱり、おかっぱなのかなあ」

 ひとしきり想像して、くすくすと笑ってから、ヒカルは真顔に戻って、ため息をついた。



 手紙を片手に寝台を降りて、碁盤に向かう。

 アキラの記した一手は、すでにそこに並べられている。

 ヒカルは碁笥に手を入れて、石をつまんだ。

 碁はまだ中盤に入ったばかり。

 ここは、序盤のワカレを生かして、中央へ勢力をのばす力強い大ゲイマ。

 盤の一点をめざして打ちおろすその瞬間。

 ヒカルの手は空中にとどまり、そのまま碁笥へと戻った。

「……投了だ」

   じゃら

 ヒカルは石をくずした。

「……もう…おしまいだ。この碁も、手紙も、オレたちも」

 再び寝台へと戻り、ヒカルは枕に顔を伏せた。



 その後、アキラのもとにヒカルからの手紙が届くことはなかった。








 1月下旬。

 外出から戻ったあかりは、頭や肩に積もった雪を振り払って、ヒカルの部屋を訪れた。

「ヒカルお嬢さま。あかりでございます」

 部屋のなかに冷気が入り込まないように、あかりはすばやく扉をくぐった。

 だが、外出前にあかりが火を入れた炭盆の炭は、すでに燃え尽きてしまっており、部屋のなかといえども、かなり冷えている。

「お嬢さま……」

 あかりは簾子の前に近づき、ヒカルに話しかけた。

 あの日以来、ヒカルは一日のほとんどを寝台にこもって過ごすようになっていたのだ。

「広場へ行って、金榜を見てまいりました。アキラさまは、上級試験に合格なさいましたよ。以前、お嬢さまに教わった『塔矢』という字が、まんなかより少し上にありました」

 そっと声をかけ、簾子のなかの気配をうかがう。

「そっか……。ありがとな、あかり。……外、寒かっただろ?」

 普段の元気いっぱいなヒカルとは別人のような弱々しい声ではあるが、返事が返ってきただけでも、と、あかりは息をついた。

「さきほど厨房の前を通りかかりましたら、麺を打っておりました。今日のおやつは、汁に少しとろみをつけた拉麺にいたしましょう。きっと身体が温まりますわよ」

 食欲の権化のようだったヒカルだが、このところ、三度の食事すら食べたり食べなかったりという日が続いている。

 ましてや、間食に手をつけるかどうか甚だ疑問ではあったが、あかりは、ヒカルの好物である拉麺を用意させるべく、厨房へと向かったのだった。










「あらまあ、アキラさん……!」

 両手に木の枝をかかえて、山あいの雪道を歩いていた女性が、驚いたように青年を凝視した。

 アキラの母親の明子である。

「ただいま戻りました、お母さん。もうお加減はよろしいのですか?」

 アキラは、母親の腕から木の枝を取りあげた。

「ええ、もうすっかり。わざわざ心配してきてくださったのね。ありがとう」

 ふたりは並んで歩き、やがて、粗末な小屋にたどりついた。

 決して豊かとはいえない金星村のなかでも、とりわけ質素なつくりの小屋が立ち並ぶ一角に、アキラの家はあった。

 入り口の板戸は歪んでおり、明子が力いっぱい引くと、きしんだ音をたてて、ようやくひらいた。

 明子が火を起こしているあいだ、アキラは木の枝を乾かすべく、壁伝いに並べた。

 その石作りの壁は、ところどころが割れており、すきま風を入り込ませている。

 壁伝いに並べた木の枝が、少しは風を遮ってくれるが、雪の湿り気を帯びてしまい、なかなか乾かないという逆説を引き起こしているのが現状だ。

 だからといって、炭を買えるほどの貯えなどなく、山に落ちている枝を、薪がわりに使うしかないのだ。

 雪によって水分を多く含んだ枝は、くすぶるように煙をあげるばかりで、狭い室内を暖めるにも十分とはいえなかった。



 家のなかであるにも関わらず白い息を弾ませて、母と息子は積もる話に花を咲かせた。

 板張りの床にじかに座り、白湯の入った湯飲みで手を温めながら。

 息子は、科挙の初級試験に首席で合格したことや、上級試験に合格したことを話し、母親は、金星村の作物が今年は少しはよく取れたことや、裏山の冬柑子の実が大きく育ちつつあることを話した。

「3月の棋士登用試験に合格したら、やっと親孝行ができます。もう、お母さんにこんな苦労はさせません。一緒に建康の都で暮らしましょう」

 アキラの言葉は、明子の涙腺を緩ませるに十分だった。

「アキラさんがこんなに立派に育ってくださっただけで、わたしは満足なのよ。春には一人前の棋士になるのですから、これからは、ご自分の幸せを考えなさいな」

 袖口で頬をぬぐいながら、明子はにっこりと笑った。

 明子の「幸せ」という言葉に、アキラは恥ずかしそうに目を伏せた。

「まだ合格できると決まったわけではないのですが……棋士になったら……その……」

「まあ、なにかしら、アキラさんが口ごもるなんて。早くおっしゃいな」

 促されて、アキラは顔をあげた。

「……棋士になったら、け、けけ結婚します。幸せにしたい人がいるのです」

 結婚、というところで噛んでしまったのはご愛嬌だ。

「まあ……v アキラさんも、そんな年になったのねえ。それで、どこのお嬢さんなの?」

 息子の恋に興味津々な様子で、明子は膝を進めた。

「上虞で大きな薬商を営む天元堂という店のお嬢さんで、名前を進藤ヒカルさんといいます。棋士になったら、お母さんと彼女と、3人で暮らしたいと思っています」

「大店のお嬢さんと……。アキラさんもヤルわね。どこで知り合ったの?」

「それが……実は、鶴聖塾で」

 アキラは、鶴聖塾でのヒカルの様子や、将来の約束について話した。

「そんなお嬢さまが男装してまで碁の勉強を志すなんて。たいへんな苦労だったのでしょうね」

 感激屋の明子が、ほろりと涙をこぼすなか、アキラは「いえ、かなり自然体に見えましたけどね」と、乾いた笑いをもらした。





「それで……アキラさんは、手紙がこなくなった理由に、思いあたることはないのですか?」

 話題は、ヒカルからの手紙が途絶えたことに移っていた。

「手紙を介して打っていた碁も、まだ中盤に差しかかったばかりです。あの展開なら、中央へ飛ぶか、手つかずの右上隅に肩ツキか。どちらにしても長考する場面ではないはずなのですが……」

「もう、アキラさんったら。今は碁のことはいいのです。ヒカルさんからの手紙だけが届かないの? それとも上虞方面からの手紙すべてが途絶えてしまっているのかしら?」

 明子は、郵便事故を示唆した。

「級友のところに、上虞からの手紙が届いていることは確認済みです」

「ということは、ヒカルさんの手紙は投函されていないということね」

 明子の言葉に、アキラはいくつかの可能性を思い浮かべた。

 側仕えのあかりが、手紙を投函するのを忘れているのだろうか。

 それならば、まだいい。

 だが、もしも、ヒカルが手紙を書いていないのだとしたら?

 重病に罹って寝込んでいるとか。

 お転婆の度が過ぎて、大怪我をしてしまったとか。

 あるいは心変わり……

「そんなはずはないっ!」

 アキラは、立ちあがってぶるぶると拳を握りしめた。

「進藤に会ってきます。きっと、なにか事情があるに違いない。進藤は、つらい事や悩み事があっても、自分からは言い出さないんです。今も、ひとりで泣いているかもしれない」






「朴念仁のアキラさんを、これほど夢中にさせるなんて。いったいどんなお嬢さんなのかしら。お会いするのが楽しみだわ♪」

 明子は、まだ見ぬ嫁に思いを馳せ、嬉しそうに笑った。

 そして、貴重な毛織物をほどいて作った襟巻と、冬場の保存食である干し芋を、アキラに手渡した。

「お母さん!? だめですよ。これは冬のあいだの大事な……」

 襟巻はともかく、干し芋は受け取れないと、アキラは首を振った。

「上虞の街まで歩いていくのでしょう? 着く前に、ふらふらになってしまうわ。そんな情けない姿で、ヒカルさんに会うつもりなの?」

 明子は干し芋を押しつけて、にっこりと笑った。

「それに……春になれば、アキラさんは棋士になって、お給料をいただけるようになるのでしょう?」

「もちろんです!」

 さきほどまで、「まだ合格できるかどうかわからない」と、謙虚な姿勢をくずさなかったアキラだが、今では、獲物を狙う狩人のように、ぎらぎらと目を光らせている。

 ヒカルも、棋士の資格も、母親の楽な暮らしも、すべて手に入れる……と。

 アキラは板戸に手をかけた。

 がたがたと音をたてる戸の向こうから、雪が吹き込んでくる。

「清道原から街道に出たあたりで、辻馬車が見つかればいいのだけれど。この雪では心配だわ」

「馬車になど乗らなくても、前に向かって進んでいれば、必ず上虞の街に着きます。進藤を想うボクの情熱の前には、この程度の雪、なんでもありません……いってきます」



 明子は戸口の前に立ち、しだいに小さくなっていく息子の後ろ姿を見送った。

「進藤を想うボクの情熱……ね。アキラさんったら、意外と熱情家だったのね。うふふ。早く未来のお嫁さんにお会いしたいわv」

 やがて、雪に遮られてその姿を見失った頃、明子は空を見あげた。

「吹雪にならなければいいのだけれど……」

 灰色の空は、絶えることなく白い雪を降らせ続けていた。





殻に閉じこもってしまったヒカちゃんと、直情行動に走るアキラさん。

再会の時は、もうすぐそこだ! がんばれ、ふたりとも!

明子さんが、少女のようにかわいらしくなってしまいました。

こんなにおっとりしてて、過酷な生活を乗り切ってきたのかってところが、かなり疑問。←おいおい

それから、あたりまえですが、この時代に郵便制度が存在したという史実はありません。

副題の「断線」は、糸が切れること。転じて、物事が途絶えるという意味でもあります。

手紙やら碁やら恋人関係やら、そういうもの全部をひっくるめて、切れてしまったことを表現したかったんですが。

ひねりすぎたかな。←またかよ

次はストレートに行こう。




お戻りの際は窓を閉じてください






このページの画像は「紫鳳堂」さまから拝借したものです