第八話  緊緊抱住

            第七話をとばして、ここから再出発の尊姉賢妹へ、補足を少々。
            おがたんは、男の子は大好きですが、女の子は苦手なんです。
            ヒカちゃんが女の子だと知って、恐ろしさのあまり、縮こまってる場面です。




 部屋の壁にしがみつくような格好でうずくまり、ヒカルに背を向けたまま、緒方はヒカルを呼んだ。

「おい、新入り」

 未だに名前を呼んでもらえないことに、少々不快感をおぼえ、ヒカルは「なんだよ」と横柄に返事をした。

「おまえ、まさか…。……俺が女嫌いだと吹聴して歩くつもりではなかろうな」

「ふいちょー?」

 ヒカルは緒方の言葉をくり返した。

「はあ……ったく。そんなこともわからんのか。周囲に言いふらすことだ」

 ヒカルの寡少すぎる語彙にため息をつきつつも、緒方はちらちらとヒカルの様子を気にしている。

「あ、つまり、それって……緒方老師って、女の人が苦手なんだぜー…って、みんなにバラすっていうこと? そりゃあもちろん…」

 ヒカルは、「言うに決まってるじゃん」という言葉を飲み込んだ。



 どうやら、緒方は、女嫌い…いや、女が苦手だということを隠しておきたいらしい。

 七弦の魔術師と異名を取る緒方が、楽壇で華々しく活躍する道を捨て、こんな山奥の私塾にこもっているのも、そのせいだろう。

 大の苦手である女たちの黄色い声を避けることができ、しかも「お稚児さん」はよりどりみどり。

 ここ鶴聖塾は、緒方にとって、まさにうってつけの楽園である。

 だが、もし、世間では異常とされるその性癖が露見したら…。

 佐為塾長は、塾生たちの身の安全を確保するために、緒方を解雇するだろう。

 悪いのは、無理に関係を迫った緒方だ。

 同情の余地はない。

 しかし、おとなしく鶴聖塾を去ってくれるだろうか。

 もしかしたら、腹いせに、ヒカルの秘密を暴露するかもしれない……。



 そこまで考えたところで、ヒカルは頭のなかの算盤をはじき始めた。

 碁以外のことでは、あまり期待できない頭だが、文字通り、死活問題に直面したとあって、それなりの働きを見せたようだ。

「……黙っててほしい?」

 ヒカルは、意地悪そうな表情をつくって、緒方をちらりと見た。

 緒方は、こくこくと、首を大きく縦に振る。

 ヒカルは、満足げにうなづいた。

「じゃあ、交換条件といこうぜ」

 緒方が女嫌い…いや、女が苦手であることを黙っているかわりに、ヒカルが女であることを内緒にしておくこと。

 そして、緒方が塾生に手を出したことを伏せておくかわりに、ヒカルが琴の試験でどんな成績を取ったとしても、絶対に落第させないこと。

「その2番目の条件は、承知しかねるな」

 さすがは七弦の魔術師。

 芸の道には厳しい。

「あっ、そう。じゃあ、佐為塾長に言っちゃおっかなー」

 ヒカルがうそぶいてみせると、緒方は「ちょ、ちょっと待て」と、表情を強張らせた。

「なにも、甲をくれって言ってんじゃないんだからさー。丙でいいんだよ、丙で。1科目でも丁があると、退学になっちゃうんだよー」

 成績は、上から順に甲・乙・丙。

 その下の丁は、不合格を表す。

 つまり、強制退学だ。

「なーなー。丙くれよー、丙」

 どうせ脅すなら、いっそ甲をよこせと言えばいいものを。

 しょせんは小者。

 大悪党にはなりきれないヒカルだった。



「……わかった。その条件、飲もう」

 しばらく考え込んだ後、緒方は苦々しい表情で告げた。

「よっしゃ。商談成立だな」

 ヒカルは、にかっと笑い、「じゃ、そーゆーことで、ひとつよろしく」と、緒方に軽く手を振って、扉のほうへと歩いていった。

 長居は無用だ。

 気が変わった緒方が、いつ追いかけてくるかもしれない。

 ヒカルは大急ぎで扉をあけ、外へと飛び出した。

 ……緒方が、教室の手桶の水で、何度も何度も念入りに手を洗い、「うわ〜ん。ヘンなもの触っちゃったよ〜」と泣いていることなど、ヒカルが知る由もなかった。






 ヒカルは、外の空気を吸って、ほっと一息つくと、舗道の燈籠を頼りに、とぼとぼと歩き始めた。

 ここへ来たとき以上に、夜の闇が濃くなっている。

 風も出てきたようで、少し肌寒い。

 心細さと寒さから、ぎゅっと身体を抱きしめたところで、ヒカルは、自分の格好がひどく乱れていることに気がついた。

 長衣の裾は幾筋にも引き裂かれ、かろうじて一部でつながったままの布が、後ろで長く地面を這っている。

 前をあわせる絲帯は、縫い目からちぎれてしまっていて、なんの用もなさない。

 上着の胸元は大きくはだけ、鎖骨から肩口のあたりまで、夜風を入り込ませる。

 ヒカルの脳裏に、緒方の不埒なまなざしが再び浮かんだ。

 先刻の恐怖がよみがえるような気がして、ヒカルはぷるぷると頭を振った。






「進藤っ! そこにいるのは進藤かっ!?」

 聞き覚えのある声にヒカルが顔をあげると、燈籠の明かりにうっすらと照らされて、人影が近づいてくるのが見えた。

 駆け寄ってくる足音が大きくなるにしたがって、その特徴ある髪型が、夜目にもはっきりと見分けられた。

「とーやぁ…っ!」

 ヒカル自身、思いもよらないほど、頼りない声だった。

「進藤!」

 影がすぐ近くまでやってきて、足音がとまると同時に、ヒカルはアキラの腕のなかにいた。

「緒方老師のよからぬ噂を耳にして…。もう、居ても立ってもいられなかった……っ!」

 ぎゅうぎゅうときつく抱きしめる腕を、ヒカルは無意識のうちに抱き返していた。

「だいじょーぶ…。なんにもなかったから…」

 ヒカルが自分にも言い聞かせるかのようにつぶやくと、アキラは「よかった…」と、ヒカルの首筋に顔をうずめた。

 アキラの息遣いを、はだけたままの襟元に感じる。

 あまり高級ではない洗いざらしの布地を通して、アキラの体温と鼓動が伝わってくる。

 その暖かさに安堵したのか、すう…っと力が抜けていく。

 アキラに寄りかかるようにして、今にもずるずるとその場に座り込んでしまいそうだ。

「し、進藤!?」

 急に重みを増した腕に力を込めて、アキラはヒカルをしっかりと抱きとめた。

 力強さとぬくもりが、ヒカルを心地よく包み込む。

(緒方老師に抱きつかれた時とは全然違う…)

 ヒカルは、安心しきってアキラに体重を預けた。

 アキラはというと、ヒカルに全面的に頼られた喜びと、その細い身体を存分に抱きしめることができた悦びを味わいながらも、じわじわと湧きあがる下半身のうずきと戦っていたのだった。






 やがて、消灯時刻が過ぎ、燈籠の明かりが消え始めた。

 アキラは、「ちょっと待ってて」と言い置くと、ヒカルから身を離して立ちあがった。

 自分を包んでいたぬくもりが遠のいたことに寂しさをおぼえて、ヒカルは、頼りない瞳でアキラの動きを見つめていた。

 アキラは、まだ明かりの灯っている燈籠に駆け寄ると、懐から蝋燭を取り出して火を移した。

 道端の石を拾い、その上に蝋をたらして蝋燭をたて、風で火が消えてしまわないようにと、懐紙で周囲を覆う。

 うすぼんやりとした明るさだが、足元を照らすには十分だろう。

「へえ〜。おまえ、用意がいいな」

 感心するヒカルに、アキラは、ぼそっとつぶやいた。

「おとといが新月だったからね。今夜もまだ、それほど月は明るくないと思って…」

「かあ〜っ。そんなことにまで頭がまわるなんて、おまえ、やっぱ、すげーよ」

 尊敬のまなざしを向けるヒカルに、アキラは不自然な笑顔を作ってみせた。

「河原で痛い目にあっていなかったら、気がまわらなかっただろう」というくだりは、言わないでおくことにしたようだ。






 ヒカルとアキラは、即席の手燭を頼りに、舗道を歩き始めた。

 蝋燭のほのかな明かりを除いては、ただ細い月が、かすかに竹林の影を映すばかりだ。

 夜風にあおられ、竹の葉が、ざわざわと音を立てる。

 だが、ヒカルはもう恐怖を感じなかった。

 ひとりきりではない…というだけではない。

 他ならぬアキラが、そばにいてくれるからだ。

 真面目で優秀で、努力家なアキラ。

 少し身体が弱くて、母親思いの優しいアキラ。

 熱い思いで碁を語るアキラ。

 まだ足が痛むはずなのに、自分を心配して駆けつけてくれたアキラ。

 そして、その力強い腕と、暖かなぬくもり。

(……オレ…塔矢のことが好きなのかもしれない。……ううん、違う。かもしれない、じゃない。好きなんだ…っ!)

 にわかに初恋を自覚して、ヒカルは顔を赤らめた。

 夜の舗道であるがゆえに、隣りを歩くアキラが、そのことに気づくことはなかったけれど。



「……どう? 進藤?」

「へ? な、なに?」

「聞こえてなかったのかい?」

「わ、わりぃ。……で? どうかしたのか?」

 アキラは歩みをとめて、ヒカルに向き直った。

 自覚したばかりの初恋の相手に見つめられ、ヒカルの胸は、否応なく高鳴ってしまう。

 アキラは、言いづらそうに目を伏せて、それからもう一度ヒカルの目を見つめて言い放った。

「蝋燭の火が消えそうなんだ」

「……はい?」

「だから…。蝋燭の長さが、もう、あとほんの少ししかないんだ」

 今、ふたりがいる場所は、琴の教室から食堂までの道程を、半分ほど来たあたり。

 ヒカルの私室がある図書館は、食堂よりさらに先にある。

 ただでさえ敷地内に不慣れな新入生のヒカルが、細い月の明かりだけを頼りにたどり着けるとは考えられない。

「ど、どーすんだよーっ!」

「落ち着いて、進藤。とにかく、少しでも前に進もう」

 あたふたとアキラの袖にしがみつくヒカルをなだめ、アキラは歩きながら、建設的な考えを提案した。

「ここから、ボクの部屋がある寄宿舎までは、蝋燭は、まずもたないだろう。もっと近い建物に行って、明かりを借りる必要がある。……進藤、キミの寄宿舎はどこ?」

「え。オ、オレの部屋…?」

「流星院・碁聖院・棋聖院・俊英院・新鋭院…。ボクの部屋のある俊英院では遠すぎる。キミの部屋のほうが近ければ、そちらへ行って明かりを借りたいんだが」

 男子学生の住む寄宿舎の名前すら初めて聞いたヒカルが、建物の位置関係を知っているわけがない。

 なんとかこの場を乗り切るために、ヒカルは、脳が沸騰しすぎて蒸発するくらい考えた。

「え…っと、さ。オレ、まだここに来たばっかじゃん? 自分の寄宿舎の名前、おぼえてないんだ。だから、ここから、どうやって帰ればいいのかも、よくわかんないんだ」

 かなり波乱万丈な毎日ではあるが、ヒカルが、まだ入塾して8日目の新入生であることは、まぎれもない事実だ。

 強引な嘘も、なんとかまかり通ってしまう。

「そう…か…。それは困ったな。……あ、いけない。もう火が消えるっ! 今のうちに方角を確かめておかなくては…」

 ふたりであたりを見まわすと、竹林の先の中庭に、小さな屋根の輪郭が見えた。

「塔矢。あそこ…」

「中庭の向こうか。……うん、たしか、運動用具置き場があったはずだ」

「とにかく行ってみようぜ」

 急ぎ足で竹林を抜け、中庭に足を踏み入れたところで、蝋燭は、惜しくも燃え尽きてしまったのだった。





 やっと、ヒカちゃんが、恋にめざめてくれました。

 アキラさんは、ヒーローになるには、やっぱり1本たりません。

 副題の「緊緊抱住」は、「ぎゅっと抱きしめてv」くらいの意味です。「Hold me tight」っていう感じかしら。うひゃひゃv

 文中の「絲帯」は、りぼんのこと。ここでは長衣の前をとめるための幅広な紐を言います。みとさまの絵でご確認くださいませ。

 泣きながら手を洗うおがたん…掲示板ネタから拝領いたしました。Mさま、ありがとうございますv




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このページの画像は「紫鳳堂」さまから拝借したものです