第十八話 重逢・私奔・暴露
| アキラが上虞の街に着いたのは、翌日の夕暮れ時のことだった。 降り続いていた雪がやんだのを見計らってか、夕食のための買い物に向かう人々が、足早に行き交っている。 アキラは人ごみを避け、少し離れた商家の陰から、天元堂の店先の様子をうかがう。 正々堂々と正面から名乗りをあげ、ヒカルに結婚を申し込むのは、棋士登用試験に合格してからだと、アキラは自分を戒めていた。 一書生に過ぎない今は、気軽に会うこともできない秘密の恋人同士なのだ。 店の様子をうかがいながら、以前通った裏口から、こっそり邸内に忍び込もうかと考えていたところ、運よくあかりが店に出てきた。 アキラは、あかりに気づいてもらおうと、動物の鳴き声を真似た。 「……わんわん」 これが動物の鳴き真似の試験だとしたら、どんなに甘い試験官であっても不合格を言い渡すだろう。 それでも、その声はあかりの耳に届いたらしく、怪訝そうな目で、きょろきょろとあたりを見まわしている。 幸いにも、その口元が、「こんなヘタくそな犬の鳴き真似、聞いたことがないわ」という形に動いていたことは、アキラに気づかれることはなかった。 そして、アキラの姿を認めると、あかりは人目をはばかりながら、小走りにアキラのもとへ向かったのだった。 「アキラさま。……ああ、老天爺、感謝します」 すがるような目で見つめるあかりに、アキラは違和感を覚えた。 この少女は、時には主を叱りつけながらも、絶対に主を守り通すような、もっとたくましい侍女ではなかっただろうか。 少なくとも、存在するかどうかもあやふやな天の神仙に感謝するような性格の少女ではないはずだ。 アキラは、すぐに疑問を口にした。 「あかりさん。進藤の身に何か……?」 あかりは表情を強張らせると、以前にも隠れたことのある防火用水の木箱の陰に、アキラを連れていった。 そして、この1ヶ月あまりのあいだに起こったできごとを、アキラに話した。 「なんだって!? 進藤に縁談が!?」 棋士登用試験に合格するまでは…などと、のんびり構えていた隙に、事態が急変していたことを知り、アキラは愕然とした。 そして、ヒカルが塞ぎがちになり、寝台に閉じこもっていると聞くや、あかりの肩を揺さぶった。 「あの進藤が食事も摂らないなんて……。あかりさん、進藤に会わせてくれ!」 「ええ、もちろんですわ。お嬢さまに会ってくださいませ。……さあ、こちらへ」 あかりは、夕闇と人ごみにまぎれて、アキラを進藤家の裏口から招き入れたのだった。 「ヒカルお嬢さま。あかりでございます。簾子をあけてくださいませ」 ヒカルの寝台の前に立ち、あかりは小声で訴える。 だが、簾子は一向に動く気配がない。 うしろで待機していたアキラは、あかりを押しのけると、「進藤、失礼するよ」と、簾子を大きくあけ放った。 寝台で膝をかかえて座り、胸元にさげた翡翠の珮を玩んでいたヒカルは、聞き覚えのある声に顔をあげた。 語頭を強調し、語尾を喉に詰まらせるような、特徴のある話し方。 言葉を区切ったあとの最初の音を強めるクセ。 厳しいような、それでいて、どこか甘く囁くような声。 ヒカルの一番好きな声。 一番聞きたかった声。 「とー…や…?」 あけ放たれた簾子の向こうに、愛しいひとの姿があった。 ヒカルは、信じられないといった表情で、目をしばたかせた。 「塔矢? ほんとに塔矢?」 「進藤!」 アキラは寝台のうえに飛び乗り、ヒカルを抱きしめた。 「塔矢! 塔矢! 塔矢……!」 ヒカルもアキラを抱き返し、その腕のなかで、声をあげて泣いた。 熱い抱擁を目の当たりにして、独り身のあかりは、顔を赤らめながら、お茶の準備を進めたのだった。 寝台に並んで座り、アキラはヒカルの肩を抱き寄せた。 ただでさえ小柄なヒカルの身体は、さらに小さくなっていて、アキラの腕のなかにすっぽりとおさまってしまう。 元気いっぱいに飛びまわっていたヒカルが、今では儚い存在のように見える。 「進藤。こんなに痩せてしまって……。食事もろくに摂っていないと聞いたよ」 アキラが心配そうに顔をのぞき込むが、ヒカルは、まだ涙がとまらないようで、こみあげる嗚咽に返事もままならない。 それでも、なんとか嗚咽をこらえ、ヒカルは無理に笑顔を作った。 「……上級試験、合格おめでとう」 「試験なんか……っ!」 アキラは、ヒカルを抱く腕に、ぎゅっと力を込めた。 棋士になるなど何事でもない。 なにより大切な宝物を、手に入れられるのならば。 アキラは決意を固めると、ヒカルの両肩に手を置いた。 何事かと目で問いかけるヒカルを見つめ返し、アキラは、一呼吸置いてから口をひらいた。 「進藤……このまま逃げないか?」 「塔矢?」 「キミは天元堂の令嬢であることを忘れて、ボクは棋士になる夢を忘れるんだ」 「ムチャ言うなよ。そんなのダメに決まってるだろ!? 棋士になって、お母さんに孝行するんじゃなかったのかよ」 ヒカルは頭を横に振って、猛反対した。 「ボクの母は、意外とたくましいひとなんだよ。今まで、ひとりで畑をやってきたんだから。それに、3人なら、もっと大きな畑が作れるし、少しはラクをさせてあげられると思うんだ」 アキラは、「キミのようなお嬢さまには、畑仕事は無理かなあ」と、考え込むように首を傾げた。 「バカにすんじゃねえっ! 鍬だろうが鎌だろうが、なんでも使いこなしてみせるって。金星村に隠れてなんかいないで、いっそのこと、揚子江沿いに引っ越すのもいいかもな。あのあたりは、作物がよく採れるんだろ?」 ヒカルは、鍬を振るう動作をして見せた。 豪奢な刺繍が施された綾衣の広袖がめくれ、白く細い腕が、肘のあたりまであらわになる。 アキラは目のやり場に困り、思わず下を向いた。 そんなアキラの所作を見て、自分のはしたなさに気づき、ヒカルは慌てて袖を元に戻した。 そして、襟を正し、まっすぐに座り直す。 「オレを連れて逃げてくれ。オレは、おまえの嫁になるっ!」 さきほどまでの儚げな様子は、もはや見えない。 ヒカルは、力強い瞳でアキラを見つめた。 「それでしたら、ちゃんとお食事を召し上がって、体力をつけていただかなくてはなりませんわね」 いつのまに戻ったのか、あかりが円卓のうえに茶器を並べている。 「あかりもお供いたします。一緒に連れていってくださいませね、お嬢さま、アキラさま」 「おまえは残れ、あかり。オレは、おまえにも黙って家出したことにすればいい。そうすれば、おまえは罪に問われない」 主家の娘の出奔を見逃したとあらば、その罪は重い。 今まで通りに、高級侍女として待遇されることなどありえない。 あかりは、座間将軍に捕らえられて手打ちにされるだろう。 もし、仮に許されたとしても、どこの屋敷もそんな彼女を雇ってはくれまい。 だが、進藤家に限って言うならば、その心配はない。 ヒカルの性格をよく知る両親のことだ。 「あの子ならば、あかりの協力などなくても、屋敷を抜け出すくらい容易くやってのけるだろう」と、思い込み、あかりの無実を信じてくれるに違いないのだ。 ただ、ヒカルが将軍家に逆らったのち、天元堂はどうなるのか。 両親や使用人たちの未来は、まったくわからない。 そういう意味では、あかりを屋敷に残したところで、安泰な生活が約束されているわけではないのだが、駆け落ちにつきあって、貧しい暮らしを強いられるよりはマシだろうと、ヒカルは、あかりを置いていくと言ったのだ。 ところが、あかりは、頑として首を縦には振らなかった。 「残れ」「いやです」「残れってば」「絶対についていきます」の応酬のあと、あかりはヒカルの前に跪いた。 「あ、あかりっ! なにすんだよ、立てよ!」 ヒカルは、あかりの両腕をつかんで立たせた。 あかりは侍女とはいっても、ヒカルの乳姉妹だ。 ヒカルがあかりを跪かせたことなど、過去に一度もない。 「あかりは進藤家に仕えているのではありません。ヒカルお嬢さまに仕えているのです。たとえ地の果てだろうと海の底だろうと、どこまでもお嬢さまについていきます」 「あかり……。ごめん……ごめんな。おまえまで巻き込んじまって……」 ヒカルは、あかりに抱きついた。 「誤解なさらないでくださいませ、お嬢さま。あかりは、ご一緒させていただきたいから、ついていくのです。あかりのわがままで、連れていっていただくのです」 「おまえはほんとに、オレにはもったいない、最高の乳姉妹……いや、最高の友達だよ!」 「お嬢さま!」 ヒカルとあかりは、互いに手を取りあって、くるくると踊るように友情を確かめあったのだった。 ヒカルとあかりが荷物をまとめているあいだに、アキラは出奔の手筈を練っていた。 「明日の夜、進藤家のひとたちが寝静まった頃、ボクが犬の鳴き真似をして……」 「その作戦は却下ですわ、アキラさま」 ヒカルの長衣を動きやすいように短く縫いなおしていたあかりが、すかさず反対する。 「なんで?」 ヒカルが不思議そうにたずねると、あかりは目を左右に泳がせながら、「……その声を聞いて、誰かが起き出すかもしれませんから」と、なにかを取り繕うように答えた。 「ふーん。それなら、塔矢が来てる今日のうちに、家を出ちまおうぜ。今なら雪もやんでるし」 「そうだね。新しく雪が積もると、足跡が残ってしまう。不特定多数の人間に踏み固められている今の状態なら、その心配がない」 「じゃあ……」 「うん、今夜決行だ」 アキラもヒカルの意見に賛成し、出発は今夜と決まった。 しんと静まり返った真夜中の進藤家。 3人は息をひそめ、足音を忍ばせて回廊に出た。 書生姿がすっかり板についたヒカルと、初めての男装に少し恥ずかしそうなあかり。 ふたりを守るようにして、アキラが先頭を歩く。 厨房の脇から塀伝いに進み、清掃用具置き場の前を通りかかったところで、何かの灯りが見えた。 使用人の誰かが手洗いに出たのだろうか。 慌てて清掃用具置き場の陰に隠れたが、少し物音を立ててしまったらしく、人影が近づいてくる。 「誰かいるのか?」 人影はさらに近づき、身を寄せあって縮こまる3人は、とうとう灯りに照らし出されてしまった。 「ん? あんたは……ヒカルお嬢さま!? こんな時間に何を……」 手燭を持った使用人が、呆然と立っている。 「真柴……」 あかりは唸るようにつぶやいた。 「そっちの書生はあかりさんか。そんな仮装なんかして。いったいなんの遊びです?」 真柴は眠たそうに目をこすりながら、あたりを手燭で照らした。 そして、大きな行李と、アキラの姿を見つけてしまったのだ。 「な、なんなんだ、あんた。まさか、ヒカルお嬢さまと駆け……」 「見逃してちょうだい、真柴」 真柴が最後まで言い切らないうちに、あかりが懇願した。 「お嬢さまには、心に想う方がいらっしゃるのよ。座間将軍のご子息との縁談なんて、とんでもない話だわ。お願いよ、真柴。お嬢さまのお気持ちを察してあげて」 「真柴……だったか。頼むよ、見逃してくれ」 「真柴殿、お願いです。ここを通してください」 3人は、揃って真柴に頭をさげた。 ところが。 「誰か来てくれーーーっ! お嬢さまがお屋敷を抜け出そうとしておいでだーーーっ! ヒカルお嬢さまは駆け落ちなさるおつもりだぞーーーっ!」 深夜の邸内に、真柴の叫び声が響きわたった。 それはまるで、闇を切り裂き、風をも凍らせるかの如く、3人の耳に冷たく突き刺さったのだった。 |
とうとうここまで来ました。ほぼ原作どおりに進んでいるはず。←ほんとかよ
ヒカルとあかりの関係は、がびの大好きな「還○格格」という物語に出てくるお嬢さまと侍女にそっくり。
「紫薇」というお上品な深窓のお嬢さまと、わりとしっかりものの侍女「金鎖」。
でも、ヒカルは「紫薇」じゃなくて「小燕子(かわいくて悪戯好きでお調子者な主人公)」だな。
機会がありましたら、ぜひ読んでみてください「○珠格格」。
TVドラマが原作で、その脚本家が小説にした物語です。
中国語版と台湾語版があります。
さて、恒例になりました、がびちゃんのクソの役にも立たない豆知識。
「老天爺」もしくは「天」というのは、「oh my god」とおなじような意味です。
感謝するとき、なんてこったい…というとき、どちらの場面でも使います。
前にも出てきましたが、「簾子」は「カーテン」です。
壁に埋め込み式になっているベッドと、部屋との境界につけられたものです。
モスキートネットの役割もあったようです。
副題は「再会・駆け落ち・発覚」という意味です。
まるで、巨人・大鵬・卵焼きですな。
ああ、雰囲気ぶち壊し……(苦笑)。
ところで、アキラさんの声って、こんな説明でいいですかねえ。
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このページの画像は「紫鳳堂」さまから拝借したものです