最終話 雪融化 蝴蝶飛





 進藤家を出発した新娘行列は、街道を東へ向かっていた。

 だが、上虞の街を出てすぐに、吹雪に見舞われた。

 祝事を滞らせてはならないと、供人たちは必死に行列を進めたが、座間将軍の屋敷まで、まだかなりの道のりがある。

 雪が少し小降りになるまで待とうと、清道原近くの山中で行列がとまったのは、まったくの偶然だった。

 清道原。

 そこには、アキラが眠っている。








 鮮紅の新娘装束を着せられたヒカルは、花輿のなかで、ただぼんやりと座っていた。

 すでに、涙は枯れてしまったのかもしれない。

 雪や風のせいで、輿が大きく揺れても、何も感じなかった。

 葦笛の音がやみ、輿がとまっても、気がつかなかったくらいだ。

 供人のひとりが、物見窓の外からヒカルに声をかけた。

 行列がとまった理由を説明されても、ヒカルには、何を言われているのかわからなかった。

 自分には関係ない、どこか遠い話のように聞こえる。

 ヒカルが黙ったままでいると、供人は、そのまま去っていった。

 輿のそばに付き従っていたあかりが、「お寒くないですか?」と、心配そうに声をかけるが、ヒカルは、それにも答えない。



 少し離れたところで、男たちの話し声がした。

 身体を温めようと、酒を飲んでいるらしい。

 祝事の供人たちには、必ず酒が振舞われるものなのだ。

 少し酔いが回り始めたのか、かなり大きな声で話しているが、内容など、ヒカルの耳には入っていなかった。

 今いる場所の名前が出るまでは。

「おい。この先は、清道原だろ?」

「それって、例の書生の……」

「ああ。ここから少し行ったところに、お嬢さまを連れて逃げようとした、バカな若者が埋まってるらしいぜ」

   バサッ

 ヒカルは、花輿の簾を跳ねあげた。

 輿から飛び降りると、供人たちに問いかけた。

「今の話、本当か? ここが、清道原の近くだっていうのは」

 顔を隠す面沙をかぶっているので、ヒカルの表情は見えない。

 だが、新娘が花輿から飛び出してくること自体が、常軌を逸した行為だ。

 供人たちの驚きは、想像に難くない。

「は、はい。さようで」

 ある者は、呆然と口の端から酒をたらしながら、またある者は、酒瓶を落としそうになりながら、こくこくと首を縦に振っている。

「塔矢……!」

 ヒカルは、面沙を脱ぎ捨てて、山中に走っていった。

「お嬢さま!」

「ヒカルお嬢さま!」

 あかりや供人たちが、あわてて後を追う。

 鮮紅の装束は、視界の悪い吹雪のなかでもよく目立つ。

 白い世界を一点だけ赤く染める存在を、あかりたちは追いかけた。

 ところが。

 部屋に閉じこもっていたヒカルのどこに、そんな力が隠されていたのだろうか。

 供人たちを振りきって、迷うことなく雪山の奥深くへと走っていく。

 あまりの速さに、誰も追いつけない。

 そして。

 とうとうヒカルを見失ってしまったのだった。








 アキラの眠る場所に向かって、ヒカルは走った。

 その場所は、自室で泣き暮らしていたヒカルに、母親が教えてくれていた。

「片田舎の金星村ではなく、天下を見おろす見晴らしのよい清道原こそ、理想高き若者の墓地にふさわしいだろう…と、明子さまを手伝って、金星村のみなさんが埋葬したのですって」

 涙ながらに話す母親の言葉に、ヒカルは何も答えなかったけれど、その場所の名前は、しっかりと心に刻み込んでいた。

   あの優しい笑顔には、もう会えないけれど。

   一度だけでも、墓前に跪かせてほしい。

   その眠りの安らかなることを、祈らせてほしい。

 母親から聞いた道を、ヒカルは走り続けた。

 雪が少し小降りになったおかげで、視界は確保できた。

 刺繍の靴に雪が滲みるのも構わず、重い新娘装束をたくしあげて、ヒカルは走った。

 やがて、大きな杉の木の向こうに、広く世界がひろがった。

 三方を切り立った岩肌に抱かれ、残る一方で遠く建康の都を見おろす絶景の地……
清道原に着いたのだ。

 ヒカルは、鮮紅の新娘装束を脱ぎ捨てた。

 祝意を表す紅色の衣装で、アキラの墓前に跪くことなどできない。

 ましてや、それは、他の男のために着せられたものだ。

 ヒカルは、うすい内衣一枚だけをまとった姿になって、白い息を吐きながら、梅の木を探した。

 清道原に、たった一本だけある紅梅の木の根元に、アキラが眠っていると聞いたのだ。

「あった……」

 雪をかぶった枝に、それでも小さな紅いつぼみをつけた梅の木を見つけ、ヒカルはその根元に跪いた。

 真新しい石碑には、最愛の人の名前。

「塔矢……」

 ヒカルは、いとしそうに、その名を指でなぞった。

「触らないでちょうだい!」

 険しい声に、ヒカルが振り向くと、そこには、アキラに似た女性が、ヒカルの装束を持って立っていた。

 明子である。






「あなたなのね……。あなたが、わたしの大事なアキラさんを殺した、進藤ヒカル……!」

 明子は、憎々しげにヒカルを睨んだ。

「違う! オレは……」

 立ちあがって否定するが、自分が何かを言い返せる立場ではないと、ヒカルは、唇を噛みしめた。

「何が違うの? あなたはアキラさんを見殺しにした。そして、将軍の息子に嫁ぐのでしょう? ……この新娘装束を着て!」

 明子は装束をヒカルに押しつけ、なおも罵った。

「アキラさんを裏切って、自分だけ幸せになるのね。自分だけよければ、それでいいのね。……あなたさえいなければ……あなたに出会ってさえいなければ、アキラさんは棋士になって、幸せな人生を送ったはず。ああ、かわいそうなアキラさん……」

 それでも、ヒカルは、黙って立っていた。

 何も言い返す資格はないと、自分に言い聞かせて。

「しょせんは卑しい商人の娘よ。棋士という崇高な道をめざすアキラさんよりも、財と地位のある将軍家を選んだのですもの。せいぜい、そのうす汚い幸せにひたればいいわ」

 さすがに、これには黙っていられなかった。

   ヒカル自身が、棋士になりたかったのに。

   棋士になるというアキラの夢を、ずっと応援していたのに。

   将軍の息子とではなく、アキラと一緒に生きたかったのに。

「塔矢のお母さんだからって、勝手なこと言うな! オレが選んだのは、塔矢ひとりだ! 塔矢と一緒じゃなきゃ、オレは幸せになんかなれないんだ!」

 そのとき。

 低くこもるような地響きがして、地面が大きく揺れた。

 墓碑のうしろの崖から、小さな雪の玉が、いくつも落ちてくる。

 ヒカルが崖の上を見あげると、おびただしい量の雪が、急な斜面を滑り落ちてくるのが目に入った。

 雪崩だ。

「危ない! お義母さん!」

 ヒカルは、明子を力いっぱい突き飛ばした。

 勢いよく倒れ込んだ明子が、身体を起こして、自分たちがいたところへ目を向けると、そこにはただ、雪の野原が広がっているだけだった。








 それから、どれくらい経っただろうか。

「ヒカルお嬢さまーーーーっ!」

「お嬢さまーーーーっ!」

 あかりや供人たちの声が近づいてくるのを、明子は雪の上に座り込んだまま聞いていた。

 アキラにそっくりな顔を見て、あかりは、すぐに彼女が明子だとわかった。

「あなたは、アキラさまの……。ヒカルお嬢さまはどこですか?」

 あかりは、ヒカルの行方を尋ねた。

 明子は、がくがくと震える指で、雪の上を指し示した。

 木々をなぎ倒して滑り落ちていった雪崩の後には、さらに深い雪が積もっている。

 あかりは悲鳴をあげ、供人たちは、あわてて雪を掘り起こした。

 紅い布を見つけて引っぱり出すが、それは抜け殻で、本人の姿はどこにも見えない。

「これは、お嬢さまの……」

 雪崩の勢いで木の枝に引き裂かれたのか、誂えたばかりの装束は、まるでボロ布のように破れ、汚れていた。

「わたしを助けてくれたのよ。……お義母さん…って、呼んでくれたの。あんなに酷いことを言ったのに」

 あかりの持つ新娘装束に、そっと手をのばし、明子はヒカルの名を呼んだのだった。












 いつのまにか、雪はやんでいた。

 雪崩が起きてから、かなり時間が経っている。

 もはや、ヒカルが生きている可能性はないに等しい。

 あかりや供人たちの間に、絶望感が漂い始めた頃。

   ひらり ひらり

     ふわり ふわり

 雲の切れ目から差し込む光の帯のあいだから、二匹の蝶が飛んできた。

 春まだ早い、雪の清道原に。

 人々が呆然とするなか、蝶は、あかりと明子に近づき、ひらひらと舞う。

「……ヒカルお嬢さま?」

 あかりが、思わず名前を口にすると、片方の蝶が、あかりの肩にとまった。

 もう片方の蝶は、明子の肩にとまっている。

「……アキラさん……なの?」

 明子が声をかけると、蝶は答えるかのように翅をひろげ、宙に舞った。

 あかりの肩の上へ行き、もう一匹の蝶を誘うように翅を揺らす。

 そして、二匹の蝶は、空の彼方へと飛んでいった。
















「確かに、追ってこいとは言ったけれど……まさか、こんなところまで追ってくるなんて」

「なんだよ、文句あんのかよ」

「大ありだよ。キミには幸せになってほしかったのに……」

「言っただろ? オレは、おまえと一緒じゃなきゃ、幸せにはなれねえんだよ」

「もちろん聞こえていたよ。だから……こうして迎えに来たんだ。母を助けてくれて、ありがとう。ボクが迎えにきたのは、キミだけだからね」

「じゃあ、あの雪崩の犯人は、おまえだったんだな。おまえって、意外にやることが派手だよな。で? このあと、どうするよ?」

「そうだね……せっかくだから、しばらくこうして飛んでいようか」

「ええーーーっ! 飛んでばっかりじゃ、つまんねえよ。碁が打てねえじゃん」

「それじゃあ、目隠し碁でもしようか。……16の四」

「そうこなくっちゃ。えー…っと、16の十七」

「うまれかわったら、今度こそ一緒に暮らそう。……4の三」

「…………おう。……4の十六」

「その時には、誰もが棋士を目指せる世界になっているといいね。……16の十五」

「おう、そうだな! ……13の十七!」














    あ、なんだ 子供いるじゃん

       対局相手さがしてるの?  いいよ ボク打つよ

    ラッキーだな 子供がいて!  やっぱ年寄り相手じゃ もり上がんねーもんな!

       奥へ行こうか  ボクは塔矢アキラ

    オレは進藤ヒカル  6年生だ

       あっ ボクも6年だよ






   新しい物語の始まりは、もうすぐそこに……。



                                           劇終





 ……ふたりとも、蝶になってしまいました。

 原作(『梁祝』を元ネタにした映画やドラマ)では、主人公「英台」は、後追い自殺をするパターンが多いのですが、

 ヒカちゃんに自殺させるのは、どうしてもイヤだったので、明子さんをかばってもらうことにしました。

 独占欲のかたまりのアキラさんは、その気になれば雪崩も起こせるんですね。こいつはすげえや。

 人生は一度きりですが、がびには、今度うまれてきた時こそ幸せになってほしい…という人がいました。

 安易にうまれかわりを信じてはいけないと思いますが、今回だけは勘弁してください。

 年年歳歳人相似 歳歳年年花不同。

 いろんな意味に解釈できますな(苦笑)。

 ……ぜんぜん話は違いますが、最終回の脳内BGMが「雪山賛歌」と「愛ちゃんはお嫁に」だったので、ちょっと困りました(笑)。



 さて。

 「こんな結末イヤーーーーっ!」「こんなの、がびちゃんじゃないやい!」と、おっしゃるみなさま。

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 長いあいだ、おつきあいいただきまして、ありがとうございました。

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このページの画像は「一実のお城」さまから拝借したものです