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水汲み仕事と、アキラの侍女。
二足のわらじではあるが、ヒカルは、うまくこなしていた。
水汲みが終わったあとの自由時間を、アキラとの対局にあてているだけなのだから、それは当然ともいえる。
心配してくれるあかりや明日美をよそに、ヒカルは、この二重生活を思いきり満喫していた。
アキラの部屋には、下女の身分では食べられないような高価なお菓子があったし、何よりも、アキラと碁を打つのが楽しくてしかたがない。
碁を打つのが楽しいのか、アキラと打つのが楽しいのか。
そのあたりは、深く考えないのがヒカルらしい。
「侍女の仕事なんかしなくていいよ。お茶もボクが淹れるから、進藤は碁盤を拭いておいて」
アキラはそう言うが、この待遇のよさは、居心地が悪いくらいだ。
「なんかお礼したほうがいいよな」
好意を受けっぱなしでは、気が引ける。
「でもなあ。オレにできることって……なんかあったっけ?」
馬鹿力には定評があるが、今の状況には関係ない。
「要は、気持ちだよな、気持ち。珍しいお菓子をもらってるし、碁盤も碁石も使わせてもらってるし。そのお礼になるようなことっていったら……」
誰かのために、何かをしようというのは、佐為と一緒に暮らしていた頃以来のことだ。
屋敷勤めで、命じられるままに働くのとは違う。
ヒカルは、佐為に喜んでほしくて花を摘んだ、幼い頃のことを思い出した。
だが、塔矢家には見事な花園がある。
水汲みの帰りに、野の花を摘んできても、あまり意味がないだろう。
「塔矢に喜んでもらえることって、なんだろう。塔矢が好きなものは……囲碁と…………お茶だ」
ヒカルは、金子が絶妙なタイミングで、お茶のおかわりを用意していたことを思い出した。
対局の際、アキラは必ず傍らに茶器を置いているし、ヒカルが長考に入ると、自らおかわりを淹れに立つくらいだ。
「お茶の用意くらいなら、オレにだってできる……かも?」
語尾が疑問形なのが、少々気になるところだが。
とりあえず、ヒカルは行動を開始してみた。
用意するものは、急須と高足の茶杯。
茶杯の蓋も忘れてはいけない。
お盆に急須を置いて、準備完了。
沸かした湯も、ちょうどいい温度にさめた頃だ。
ヒカルは茶筒を手に取り、蓋をひねった。
ばさっ☆
大量の茶葉が、こぼれ落ちる。
お約束の展開だ。
「あーあ。なんでこうなるかなあ。……ま、お盆の上でラッキーだったかな」
ヒカルは茶葉をかき集め、再び、茶筒に戻そうとした。
が。
「あれ?」
ヒカルは、手のなかの茶葉を覗き込んだ。
少量の葉をてのひらの上で転がして、じーっと観察すること数分。
「葉っぱの厚さ、色、大きさ。みんな違う。硬さもいろいろだ」
おなじ種類の茶葉でも、若葉と古葉とでは、外見が異なって当然だ。
「薬草の根っこは、太さによって、煎じる時間が違ったよな。お茶もそうなのかな」
佐為の病を治そうと、薬草を見分けていた頃の知恵が、目を覚ましたのだろうか。
ヒカルは、茶葉をお盆の上に広げた。
そして、やわらかそうな明るい色の小さな茶葉だけを選んで、急須に入れていった。
「塔矢…じゃなかった。えーっと、若旦那さま~。お茶をお持ちいたしましましま~」
若旦那と呼びかけるヒカルを、アキラは咎めなかった。
わざと呼んでいるのがみえみえだからだ。
後半の「しましま~」は、ふざけているのか、それとも本当にわかっていないのか、判断に苦しむところだが、それはさておき。
「進藤。もう待ちくたびれたよ。お茶はいいから、早く打とう」
棋譜を並べていた盤面から顔をあげて、アキラは訴えた。
そして、ヒカルに給仕させては、碁盤の上にお茶の雨が降らせかねないと、アキラは自ら、茶器に手をのばした。
蓋で茶葉をよけ、静かに口をつける。
その様子を、ヒカルは、やや緊張した面持ちで見つめた。
「……ん?」
アキラは茶杯を離し、不思議そうに見つめた。
ぱちぱちと目を瞬かせてから、再び口をつけ、ゆっくりと味わった。
渋みは、ほとんどない。
強すぎない苦味のあと、ほのかに残る甘み。
そして、緑茶のさわやかな香りが、鼻から抜けるように広がる。
「進藤。このお茶の葉、どこで手に入れたんだい?」
ずいぶんと上等な茶葉みたいだけど、と、アキラは興味深そうに尋ねた。
「……気に入った?」
ヒカルは、おそるおそる訊き返した。
「うん。すごくおいしいお茶だ。新茶の時期ではないし……」
何度も味を確かめるアキラに、ヒカルは、「オレが淹れたからに決まってんじゃん」と、うれしそうに笑った。
それからというもの、アキラは、ヒカルの「秘密のお茶」を楽しみにするようになった。
茶葉にまじっている茎や古葉を取り除き、新芽の部分だけを選り分けるのが、おいしさの秘訣なのだが、ヒカルはこれを内緒にした。
アキラに教えたら、自分でも試してみるに違いない。
そうなっては、ヒカルがアキラのためにしてあげられることが、なくなってしまう。
だから、ヒカルは、「秘密のお茶」と称したのだ。
茶葉を吟味するのは、根気が必要な作業である。
そのつど行っていたのでは、お茶の用意に時間がかかりすぎて、貴重な対局時間が削られてしまう。
ヒカルは、自室に茶筒を持ち帰り、夜中のうちに選り分けて、一煎分ずつ分包しておいた。
同室のあかりや明日美に知られるのが、なんとなく恥ずかしくて、ヒカルは、彼女たちが寝静まるのを待って、作業を行った。
朝早くから水汲みに行かなければならないヒカルにとって、夜更かしは確かに辛い。
それでも、自分が淹れたお茶を、おいしそうに飲むアキラの姿を見ることが、ヒカルの楽しみになっていたのだ。
最初は、居心地の悪さを払拭するためだった。
それがいつしか、アキラの喜ぶ顔見たさへと変わっていた。
その変化を、ひとは「恋のはじまり」と言うらしい。
ヒカル自身は、まだ気がついていないけれど。
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