如果天空要下雨   第十一話





 

 水汲み仕事と、アキラの侍女。

 二足のわらじではあるが、ヒカルは、うまくこなしていた。

 水汲みが終わったあとの自由時間を、アキラとの対局にあてているだけなのだから、それは当然ともいえる。

 心配してくれるあかりや明日美をよそに、ヒカルは、この二重生活を思いきり満喫していた。

 アキラの部屋には、下女の身分では食べられないような高価なお菓子があったし、何よりも、アキラと碁を打つのが楽しくてしかたがない。

 碁を打つのが楽しいのか、アキラと打つのが楽しいのか。

 そのあたりは、深く考えないのがヒカルらしい。

「侍女の仕事なんかしなくていいよ。お茶もボクが淹れるから、進藤は碁盤を拭いておいて」

 アキラはそう言うが、この待遇のよさは、居心地が悪いくらいだ。

「なんかお礼したほうがいいよな」

 好意を受けっぱなしでは、気が引ける。

「でもなあ。オレにできることって……なんかあったっけ?」

 馬鹿力には定評があるが、今の状況には関係ない。

「要は、気持ちだよな、気持ち。珍しいお菓子をもらってるし、碁盤も碁石も使わせてもらってるし。そのお礼になるようなことっていったら……」

 誰かのために、何かをしようというのは、佐為と一緒に暮らしていた頃以来のことだ。

 屋敷勤めで、命じられるままに働くのとは違う。

 ヒカルは、佐為に喜んでほしくて花を摘んだ、幼い頃のことを思い出した。

 だが、塔矢家には見事な花園がある。

 水汲みの帰りに、野の花を摘んできても、あまり意味がないだろう。

「塔矢に喜んでもらえることって、なんだろう。塔矢が好きなものは……囲碁と…………お茶だ」

 ヒカルは、金子が絶妙なタイミングで、お茶のおかわりを用意していたことを思い出した。

 対局の際、アキラは必ず傍らに茶器を置いているし、ヒカルが長考に入ると、自らおかわりを淹れに立つくらいだ。

「お茶の用意くらいなら、オレにだってできる……かも?」

 語尾が疑問形なのが、少々気になるところだが。

 とりあえず、ヒカルは行動を開始してみた。



 用意するものは、急須と高足の茶杯。

 茶杯の蓋も忘れてはいけない。

 お盆に急須を置いて、準備完了。

 沸かした湯も、ちょうどいい温度にさめた頃だ。

 ヒカルは茶筒を手に取り、蓋をひねった。

   ばさっ☆

 大量の茶葉が、こぼれ落ちる。

 お約束の展開だ。

「あーあ。なんでこうなるかなあ。……ま、お盆の上でラッキーだったかな」

 ヒカルは茶葉をかき集め、再び、茶筒に戻そうとした。

 が。

「あれ?」

 ヒカルは、手のなかの茶葉を覗き込んだ。

 少量の葉をてのひらの上で転がして、じーっと観察すること数分。

「葉っぱの厚さ、色、大きさ。みんな違う。硬さもいろいろだ」

 おなじ種類の茶葉でも、若葉と古葉とでは、外見が異なって当然だ。

「薬草の根っこは、太さによって、煎じる時間が違ったよな。お茶もそうなのかな」

 佐為の病を治そうと、薬草を見分けていた頃の知恵が、目を覚ましたのだろうか。

 ヒカルは、茶葉をお盆の上に広げた。

 そして、やわらかそうな明るい色の小さな茶葉だけを選んで、急須に入れていった。










「塔矢…じゃなかった。えーっと、若旦那さま~。お茶をお持ちいたしましましま~」

 若旦那と呼びかけるヒカルを、アキラは咎めなかった。

 わざと呼んでいるのがみえみえだからだ。

 後半の「しましま~」は、ふざけているのか、それとも本当にわかっていないのか、判断に苦しむところだが、それはさておき。

「進藤。もう待ちくたびれたよ。お茶はいいから、早く打とう」

 棋譜を並べていた盤面から顔をあげて、アキラは訴えた。

 そして、ヒカルに給仕させては、碁盤の上にお茶の雨が降らせかねないと、アキラは自ら、茶器に手をのばした。

 蓋で茶葉をよけ、静かに口をつける。

 その様子を、ヒカルは、やや緊張した面持ちで見つめた。

「……ん?」

 アキラは茶杯を離し、不思議そうに見つめた。

 ぱちぱちと目を瞬かせてから、再び口をつけ、ゆっくりと味わった。

 渋みは、ほとんどない。

 強すぎない苦味のあと、ほのかに残る甘み。

 そして、緑茶のさわやかな香りが、鼻から抜けるように広がる。

「進藤。このお茶の葉、どこで手に入れたんだい?」

 ずいぶんと上等な茶葉みたいだけど、と、アキラは興味深そうに尋ねた。

「……気に入った?」

 ヒカルは、おそるおそる訊き返した。

「うん。すごくおいしいお茶だ。新茶の時期ではないし……」

 何度も味を確かめるアキラに、ヒカルは、「オレが淹れたからに決まってんじゃん」と、うれしそうに笑った。










 それからというもの、アキラは、ヒカルの「秘密のお茶」を楽しみにするようになった。

 茶葉にまじっている茎や古葉を取り除き、新芽の部分だけを選り分けるのが、おいしさの秘訣なのだが、ヒカルはこれを内緒にした。

 アキラに教えたら、自分でも試してみるに違いない。

 そうなっては、ヒカルがアキラのためにしてあげられることが、なくなってしまう。

 だから、ヒカルは、「秘密のお茶」と称したのだ。

 茶葉を吟味するのは、根気が必要な作業である。

 そのつど行っていたのでは、お茶の用意に時間がかかりすぎて、貴重な対局時間が削られてしまう。

 ヒカルは、自室に茶筒を持ち帰り、夜中のうちに選り分けて、一煎分ずつ分包しておいた。

 同室のあかりや明日美に知られるのが、なんとなく恥ずかしくて、ヒカルは、彼女たちが寝静まるのを待って、作業を行った。

 朝早くから水汲みに行かなければならないヒカルにとって、夜更かしは確かに辛い。

 それでも、自分が淹れたお茶を、おいしそうに飲むアキラの姿を見ることが、ヒカルの楽しみになっていたのだ。





 最初は、居心地の悪さを払拭するためだった。

 それがいつしか、アキラの喜ぶ顔見たさへと変わっていた。

 その変化を、ひとは「恋のはじまり」と言うらしい。

 ヒカル自身は、まだ気がついていないけれど。





 メイドさんといえば、お茶の用意ですよね。←ベタだな←ほっとけ

 本文に出てくる「茶杯」は、湯飲み茶碗のこと。

 茶碗蒸しの器みたいな形で、上にいくほど直径が広がっています。

 おまけに、底には高い足がついているので、安定感は悪いです。

 急須のことを、中国語で「茶壷」といいますが、通じにくいので「急須」にしました。

 単なる水差しのようなもので、茶漉しの機能はいまひとつ。

 湯飲みにお茶っぱが入ってしまうので、ササっと蓋でよけて、その隙に飲みます。

 優雅なようで、せせこましい。

 がびんちで飲んでいるのは、プーアル茶。

 減肥茶とも言われますが、効果のほどは……どうでしょう。

 効いてるから、この程度で済んでいるとか?

 古いお茶ほど値が張りますが、10年モノ程度でも、十分にカビくさい熟成された香りを楽しむことができます。

 ちなみに、唐の時代のお茶は、蒸して団子状に固めて乾燥させた茶葉を、ぐつぐつと煮出していたそうです。

 沸騰したお湯に塩を入れて、そこへ茶葉を加えたという記録もあります。

 化学で習う「モル沸点上昇」ってヤツですかい?

 乾麺や青菜のゆで方を想像しますね。





お戻りの際は窓を閉じてください