如果天空要下雨   第十四話

 






 その日の水汲みを終えたヒカルは、午後の乾いた風に吹かれながら、花園を歩いていた。

 あかりと明日美も一緒だ。

 どちらかと言えば、あかりと明日美がメインで、ヒカルはおまけ、といった風情である。

 あれこれと花を吟味するふたりのうしろを、ヒカルは落ち着かない表情でついていく。

 その口元は、さざなみのように少々ゆがんだ形に引き結ばれているが、頬はほんのりと赤く染まっており、「照れくさいです」というヒカルの心情を、大いに物語っていた。

 それもそのはず。

 すべてを打ち明けさせられたあげく、こうして、アキラの部屋に飾る花を選ぶために、花園に連れてこられたのだから。










 あの夜。

 ヒカルから話を聞き出すと、ふたりは、それぞれの感想をもらした。

「幼い日の淡い初恋。そして運命の再会。ああ、なんてロマンチックなの!」

「囲碁がサクセスストーリーの鍵を握っていたなんて。チャンスはどこに転がっているかわからないものなのね」

 玉の輿を狙うあかりは、瞳をうっとりと潤ませ、キャリアアップをめざす明日美は、自身に言い聞かせるかのようにつぶやいた。

「いや、別に、初恋とかチャンスとかってわけじゃ……」

「「ど・こ・が・ち・が・う・の・よ!」」

 ヒカルがごにょごにょと訂正しようとするのを、間髪入れずに否定する。

「若旦那さまは、ヒカルに思いを寄せていらっしゃるわよ。部屋を出ていかれた時の、あのご様子……。……うん、絶対に間違いない」

「仮に、最初は囲碁の指南が目的だったとしても。今は、ヒカルにメロメロよ。十年ぶりの劇的な再会に、心を動かされないほうがおかしいわ」

 そして、お約束のように、「ヒカルは若旦那さまのことをどう思ってるの?」という問いへと発展した。

「えっ? オレ……?」

 そんなこと考えたこともない…といった様子のヒカルに、あかりと明日美は、ため息をついた。

「水汲みのあと、碁を打つのが楽しいの? それとも、若旦那さまと一緒にいることが楽しいの?」

「朝早くから水汲みに行かなきゃいけないのに、夜遅くまでお茶っ葉を選り分けるなんて、好きな人のためじゃなきゃできないことよ」

「なっ……知ってたのか」

 ふたりが寝静まってから、こっそり茶葉の吟味をしていたことがバレていたなんて。

 ヒカルの頬は、ゆでた蛸のように真っ赤に染まった。

「その赤くなった顔が、なによりの答えなんじゃないの?」

「自分の気持ちを、素直に言ってごらんなさい。ほら!」

 詰め寄るふたりの顔を上目遣いに見つめてから、ヒカルは目を閉じて、すーっと深呼吸した。





 アキラは、真面目で優しい。

 九星堂の次期社長だけあって、きりっとした雰囲気もあるが、くだらないことでヒカルと口喧嘩をするような、少々幼い面もある。

 絹織物を扱う店の若旦那でありながら、あまりにも個性的なセンスの持ち主だというのもご愛嬌だ。

 そんな言葉で表される特徴よりも、ヒカルの胸に強く響くのは。

『ボクはキミと出会えて嬉しかったよ』

 ヒカルを救ってくれた、あの言葉だ。

 直接、「キミのせいじゃない」と言われたわけではないけれど、ヒカルにとって、それは確かに、赦しの言葉だった。

 長いあいだ、ヒカルの心の奥底に、澱となって沈んでいた苦しみ。

 幼い頃のこととはいえ、今なお自省の念に駆られる、自分勝手で無意味な行動。

 アキラは、それを意味のあることだと言ってくれたのだ。

 真摯に訴えるアキラの姿が、ヒカルの目の奥に焼きついて離れない。

(……これが恋なのかな)

 今までも、主人と侍女というただの雇用契約以上に、友好的な関係だという自覚はあった。

 もしかしたら、知らないうちに、少しずつ好きになっていたのかもしれない。

 そして今。

 ヒカルは、確かにアキラに恋をしていた。



「オレ……塔矢のこと、す、す……好き……かも」

「かも、は、余計でしょ?」

「これだから、おこちゃまは……」

 真っ赤になったヒカルに向かって、あかりと明日美は、優しく包み込むように微笑んだ。










 かくして、「若旦那さまに熱烈アタック大作戦」という、誰が聞いても恥ずかしくなるような作戦名のもと、3人は花園にいるわけである。

「若旦那さまは、どんな花がお好きなの?」

 訊かれても、ヒカルには花のことなど、さっぱりわからない。

「じゃあ、何色が好きなのよ。聞いたことないの?」

 好きな色は知らないが、食べ物の好みなら知っている。

 焼き餃子よりも水餃子。

 ラーメンは醤油。

 ゆでたまごは固ゆでだ。

「塔矢の好きな花も色も知らないよ。あいつが好きなのは囲碁だよ」

 好きな人のために花を選ぶという恥ずかしさもあって、ヒカルはなおざりに答えた。

「もうっ。ヒカルも若旦那さまも、囲碁囲碁囲碁。囲碁ばっかりじゃない」

「いっそ、碁石みたいに白と黒の花があればいいのに」

 不満気に口をとがらせるふたりに、ヒカルは、あわてて「しーっ」と人差し指を立てた。

「禁棋令のことを忘れたのかよ。誰が聞いてるか、わからないんだぜ」

 ヒカルに制されて、あかりは慌てて両手で口をふさぎ、明日美は首を縮めた。

「それにしても、奥様は、どうして禁棋令を敷いたのかしら」

 明日美の問いに、あかりが、「使用人が囲碁にかまけて仕事をさぼるのを防ぐためじゃないの?」と、答える。

 九星堂の使用人のあいだでは、確かに、そう言われている。

 だが、ヒカルには、思うところがあったようだ。

「……たぶんだけど。亡くなった旦那さまを思い出すのが、つらいんだと思う」

 ヒカルは遠い空を見あげながらつぶやいた。

「旦那さまは囲碁が好きだったんだろ? 旦那さまが生きてる頃は、碁にヤキモチ焼いてたんじゃないかな」

 ヒカルも、佐為が皇帝の指南役として伺候する時には、家にひとり残され、さびしい思いをしたものだ。

 そんな経験から、ヒカルには、明子が碁に行洋を盗られたような気持ちになったことは、容易に想像できた。

 けれど、ヒカルと明子のあいだには、決定的な違いがある。

 自身が碁を打つか打たないか、だ。

 ヒカルは、碁を思うたびに、佐為がいつでも自分とともにあることを強く感じることができる。

 ヒカルと佐為を、碁が強く結びつけていると言ってもいいだろう。

 だが、明子は?

 明子には、行洋と碁盤を囲んだ思い出がない。

 自分から行洋を奪った碁への憎しみしかないのだ。

「奥様はきっと……旦那さまのことが、今でもすごく好きなんだよ」

 ヒカルは、禁棋令の理由を、そう結論づけた。

「碁にヤキモチかあ。なんか胸がキュンとしちゃうわ」

「なるほど。さすがは恋するオトメね」

「そ、そんなんじゃねえよぉ……」

 きゃらきゃらとにぎやかに騒ぐ3人を、花園の外から見ている人影があった。

 それは、今まさに、話題にのぼっていた人物である。










 あくる日の朝。

 いつものように各支店からの報告が済んだあと、明子は、部屋へ戻ろうとしているアキラを呼びとめた。

「アキラさん。ちょっとよろしいかしら。お願いがあるのよ」

「はい。なんでしょうか」

 ニコニコと機嫌よく話しかけてくる母親に、アキラも笑顔で応える。

 さわやかな朝にふさわしい、親子の会話の手本そのものだ。

 だが、明子の言う「お願い」は、思いがけない内容だった。

 まるで、高く澄んだ晴れやかな空から、雷雲が立ち込める低い空へと、天気すら変えてしまうかのような。

 明子は、にっこりと微笑みながら告げた。

「アキラさんに仕えている侍女を、わたくしに譲ってくださらないかしら」

「な……っ!」

 アキラの笑顔は、一瞬で凍りついたのだった。





 佳境です。

 やっと禁棋令がらみの話が出てきました。

 あと2~3回ってところです。

 邦題を「ヒカちゃん出世魚物語」にするか「ヒカちゃんのエセ中華シンデレラ」にするか検討してみたものの。

 どちらも、よろしくないようなので却下。

 書き下ろしを加えて、秋の新刊にしようと思っているので、歌謡曲の題名をぱくったままというわけにもいかず。

 しめきりまで、あと2ヶ月弱です。

 かっちょいいタイトルが思い浮かばないと、『灰姑娘』になってしまう可能性が。

 中国語で『シンデレラ』という意味です。

 無彩色つながりで『白黒姑娘』とか。←センスなし

 ダメダメ! だって表紙はフルカ……ごにょごにょ。





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