ハネ ノビ アテ ツギ コスミツケ

     シチョウ アテコミ オイオトシ

     石の響きに耳をすませると

     忘れていた何かを思い出せそうな気がする





  如果天空要下雨   第十六話





「あ……ああ、なんということでしょう。アキラさんが……囲碁を……」

 明子は窓枠から手を離し、ゆらゆらと後退りした。

「まあ、奥様。こちらにいらっしゃったのですか」

 石燈籠の向こうから近づいてくるのは、明子に仕える侍女たちだ。

「若旦那さまにご用でしたか?」

「なぜ、お部屋に入らないのです?」

 細く開いた窓の隙間を見つめたまま、身を震わせる明子を不審に思い、侍女たちは、部屋のなかを覗き込んだ。

「「「……んまあっ!」」」

 異口同音に驚愕の声をあげると、明子の袖を引き、回廊に面した扉へといざなった。

「きっと、あの水汲み娘が、若旦那さまをたぶらかしたのですわ」

「そうでなくては、若旦那さまが、奥様のお言いつけを破るはずがありません」

「即刻、あの娘を処罰せねば」

 侍女たちは口々に訴え、明子が答えぬうちに、乱暴に扉を叩いた。

「若旦那さま。奥様がお見えです。扉を開けますよ。よろしいですね」

 鼻息も荒くそう告げると、扉を大きく開け放った。

 告白のあと、そのまま対局になだれ込んでしまったため、扉に鍵はかけられていなかったのだ。










「進藤ヒカル! 使用人の分際で、若旦那さまと碁を打つとは、なんと不届きな!」

「禁棋令を破ったのみならず、恐れ多くも若旦那さまを引きずり込むなど言語道断!」

「奥様も見届けていらっしゃる。言い逃れはできぬ。覚悟しなさい」

 侍女たちは、荒々しく部屋に踏み入って、大声で怒鳴り散らす。

 アキラとヒカルの驚きは、筆舌に尽くし難い。

 ヒカルは、小姐椅から転げ落ちそうになり、アキラは、実際に転がり落ちて、床の上に座り込んだ。

 アキラは、驚愕のあまり、目の前が真っ白になるような気がしたが、居並ぶ侍女のうしろに母親の姿を見つけ、あわてて立ち上がった。

「お母さん、違うんです! 進藤は何も悪くない! ボクが……ボクが誘ったんです!」

 ヒカルをかばうように立ち、きっぱりと言い放つ。

「まあ。親孝行で知られる若旦那さまが、奥様に口答えをなさるなんて」

「きっと、この娘の影響を受けてしまったのですわ」

 白々しい口調でヒカルを蔑む侍女たちに、アキラは、カッとなって怒鳴った。

「黙れ! 進藤のことを何も知らないくせに!」

 めずらしく激昂したアキラの厳しい視線に、侍女たちは、思わず押し黙った。

 今がチャンスとばかりに、アキラは明子に告げる。

「お母さん。本当に、進藤は悪くないんです。ボクが無理を言って、進藤に碁を教えてもらっていただけなんです。罰するなら、ボクを罰してください」

 だが、碁盤を目にしたショックから抜け切れず、いまだ呆然としている明子には、アキラの声は聞こえていないようだ。

「奥様!」

 アキラのうしろから、甲高い声があがった。

「塔矢の……若旦那さまの言ってることは、半分ホントで半分ウソだ。オレだって、碁が大好きなんだ。若旦那さまに碁を打とうって誘われて、オレ、すっごく嬉しかったんだ」

 ヒカルは、アキラの横から前に出て訴える。

「オレたちふたりとも同罪だ。禁棋令を破ったのは、若旦那さまだけじゃないし、オレだけでもない」

「奥様に向かって、なんという口のききかたでしょう」

「身分をわきまえなさい」

「うるせえっ!」

 アキラに怒鳴られたショックから立ち直った侍女たちだったが、ヒカルに一喝されて、再び押し黙る。

「だけど、奥様。これだけは言わせてくれ。どうして禁棋令なんて作ったんだ? 碁にヤキモチやいたり、碁を憎んだり。気持ちはわかるけど、そんなのナンセンスだぜ」

 ヒカルは書棚に駆け寄り、古い棋譜を取り出した。

「旦那さまの棋譜だ。旦那さまに会ったことはないけど、どんな人だったのか、棋譜を見ればわかる」

 寡黙で穏やかな性格。

 公明正大で勤勉なタイプ。

 厳格な雰囲気だけど、懐に入った者には、このうえなく優しい。

 アキラと何度も並べてきた棋譜から、ヒカルは、行洋の人柄をそう推察していた。

「違うか……とと。違いますか?」

 今さらのように言葉遣いを直し、ヒカルは明子の目をじっと見つめた。








 明子は、ヒカルの言葉に目を見張った。

 生前の行洋は、まさにヒカルが語った通りの人物だったのだ。

 明子の脳裏に、過ぎ去った昔の思い出が浮かぶ。

 先々帝の后腹の皇女として生まれ、蝶よ花よと育てられて。

 年頃になると、国一番の商家である塔矢家に、当然のように降嫁した。

 夫となった男は、店の経営に忙しく、あまり明子と一緒に過ごす時間は持てなかった。

 たまの余暇には、行洋は自室に篭り、碁盤の前に座って過ごした。

 何かを瞑想するかのように目を閉じて、明子を見ることはなかった。

 誰かと対局することがあっても、相手は明子ではなかった。

 明子は……碁を知らなかったから。

 できることなら棋士になりたかった、と、語った夫。

 大店の長男に生まれたばかりに、将来を決められてしまった夫。

 明子には、彼が碁盤に向かうのを邪魔することはできなかった。

 本当は、ほんの少しでいいから、自分との時間を持ってほしいと言いたかったけれど。

 皇女のプライドが邪魔をして、素直になれなかった。

 話しかければ、夫は、きっと微笑み返してくれたはずだったのに。

 店の者には内緒にしていた、「棋士になりたかった」という本音を、明子にだけは語ってくれたのだから。

 燃え上がるような恋ではなかったけれど、行洋と明子のあいだには、穏やかな愛が、確かに存在していたのだから。











「奥様が碁をおぼえれば……棋譜を読めるようになれば、旦那さまのことを、もっと身近に感じられるのにな」

 ぽつりとつぶやかれたヒカルの言葉に、明子は、足を一歩踏み出した。

 ヒカルの手から、そっと棋譜を受け取る。

「そこに、あのひとの思い出が残されているの?」

 碁盤の上の石へと視線を移す。

「碁を打てば、あのひとを感じられるの?」

 ヒカルは、明子の前を通り過ぎ、碁盤に向かって座った。

「佐為が……えっと、養父が亡くなってすぐの頃、オレも碁から離れたことがあった。だけど、違うってわかったんだ。碁盤に向かえば、オレと佐為はつながっていられる。もう、一緒に打つことはできないけれど、佐為は今でも、オレのそばにいるんだって感じられる」

 盤上の石をじゃらりとくずし、黒白の石を、交互に音高く打ちつけていく。

   ぱち  ぱちり

     かち  かちり

「棋譜を並べると、佐為の笑顔が見える。石の音を聴いてると、佐為の声が聞こえてくるんだ」

 ヒカルの打つ石の音だけが、室内に響いた。

 アキラは、そんなヒカルを見守り、侍女たちは、その場に立ち尽くし。

 明子は、ヒカルの手元を見つめながら、石の響きに耳をすませていた。

(あれほど嫌っていた碁石の音が、耳に心地よいなんて)

 明子の目に映るヒカルの姿は、いつしか、思い出のなかの行洋と重なっていた。









 30手ほど定石通りに打ち進めると、ヒカルは立ち上がった。

 明子の右手を取り、白と黒の石をひとつずつ乗せる。

「旦那さまが愛した碁を…………奥様も好きになれると思うよ」

 ニカッと笑うヒカルに、明子は大きく頷いた。

「ええ、そうね。……あなたが教えてくれるのでしょう?」

 教えを乞う明子の微笑みは、いつだったかのアキラの表情と、よく似ていた。

 高鳴り始めた鼓動は、話の唐突さによるものだけではないだろう。

 あわてふためくヒカルを目の端にとめながら、明子は、すっと立ち上がった。

 そのまま、扉のほうへと歩いていく。

 アキラの館のまわりには、いつのまにか、人だかりができていた。

 騒ぎを聞きつけた使用人たちが集まってきたのだ。

 明子は、彼らに向かって宣言した。

「禁棋令は、今日をもって廃止します」

 高らかに言い放ったその表情は、恋する少女のように輝いていた。






 ご都合主義で安易なオチ。

 これぞまさしく Gabism ですな。

 しかし、碁盤に向かうヒカちゃんと行洋さんが似てるなんて、そんなわけないじゃんねえ。

 ちなみに、今回の脳内BGMは「やわらかせんしゃ」。

 蚊に刺されやすいので、いつも「ウナ○ーワ・クール」を持ち歩いてるのですが、たまに忘れることがあって。

 外出先(たいてい職場)で、「蚊に刺されたから、もう帰る!」と不機嫌になってたところ、ついたあだ名が「やわらか番長」。

 本当に帰っちゃったのは一度だけ。←社会人としてどうかと←それを許す職場もどうかと

 ……このへん、日記ネタですな。←だったらここに書くな

 次回、最終回です。





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