如果天空要下雨   第六話

 

  


 ヒカルは、アキラに問われるがまま、自分の生い立ちについて話した。

 生まれてすぐに、両親と離ればなれになったこと。

 養父と暮らしていたが、死に別れたこと。

 以来、いろいろな屋敷で、下働きをしてきたこと。

 碁石も碁盤も持っていないため、地面に線を描いて、棋譜を並べていたこと。

 禁棋令を知っても、大好きな碁がやめられなかったこと。

 アキラはただ、黙って、ヒカルの話に耳を傾ける。

 話が終わると、アキラは目を閉じて、小さく息をついた。

「そうか…………キミは、ずいぶん小さい頃から苦労してきたんだね」

「んー……まあ、苦労っていやあ苦労かもしれないけど、オレにとっては普通だったし」

 両親も養い親も亡くし、幼くして下働きに出たことを、普通だと言い切るヒカルの器の大きさに感心しながらも、アキラは、ふと思いついて尋ねた。

「それで、キミは、いつから囲碁を? 勤め先の屋敷でおぼえたのか?」

「ううん、違う。佐為に……えっと、オレを育ててくれた人に習ったんだ」

 けろっとした顔で答えたヒカルに、アキラは目を見張った。

「さい?」

「ああ、うん。藤原佐為」

「ふ、藤原佐為先生だって!?」

「佐為を知ってるのか……っとと、知ってるんですか?」

 ヒカルは、ここに至って、ようやく自分の言葉遣いの不適切さに気づき、慌てて言い直した。

 ちらりとアキラの反応をうかがうが、咎めたてる気配はない。

 むしろ、別のことに気を取られているようだ。

「藤原佐為先生といえば、皇帝の囲碁指南役で、稀代の名手。神の一手に最も近いと言われた棋士……」

 ぶつぶつと唱えていたかと思うと、突然、ヒカルに向き直った。

「進藤ヒカル! 今から、ボクと一局打ってくれ!」

「へ? 今から?」

 いきなり何を言い出すのかと、ヒカルは、ぱちくりと目を瞬かせた。

 この屋敷に敷かれた禁棋令や、アキラやヒカルの身分を考えれば、この提案は、無謀としか言いようがない。

 だが、まっすぐにヒカルを見つめてくるアキラの視線は、今から打とうというその言葉が、本気であることを雄弁に物語っていた。

「打たせてくれるのか!? ほんとに!?」

 ヒカルは、目を輝かせて、身を乗り出した。

 誰かと対局するのは、ヒカルとて久しぶりだ。

 否やがあるはずもない。

「あ。だけど、禁棋令バリバリ実施中の九星堂には、碁盤も碁石もないんじゃ……」

 目隠し碁を覚悟して、頭の中に碁盤を描き始めるヒカルに、アキラは、「ちょっと待ってて」と言い置いて、奥の書斎へと小走りに向かった。






 アキラが席を立ってすぐに、金子が菓子の入った器を持って現れた。

「葡萄の果汁を煮て餡にした饅頭よ。甘いものが嫌いじゃなかったらどうぞ」

 差し出されたそれは、ふんわりと柔らかそうで、まだほんのりと湯気が立っていた。

「うわあっ。オレも食べていいの? いっただっきまーす♪」

 ヒカルは饅頭を手に取ると、あんぐりと口をあけて、かぶりついた。

 真柴に殴られたせいで、口の中が少し切れていたが、柔らかな饅頭も、ほどよい甘みのある葡萄の餡も、傷にさわることのない優しい感触だった。

「柑子を煮て作る餡もおいしいけど、酸っぱいものは、しみるでしょう? 葡萄を使ってもらって、正解だったみたいね」

 饅頭をほおばって、幸せそうに顔をほころばせるヒカルを見て、金子は、満足そうに頷いた。

「すごいなあ、金子さんって。なんでも知ってるし、てきぱきしてるし。何より、堂々としててカッコいい。若旦那さまを叱り飛ばしちまうんだもんなあ」

 ヒカルに尊敬のまなざしを向けられ、金子は、まんざらでもなさそうに笑みを浮かべた。

「なあなあ。金子さんも碁打つのか?」

 饅頭を咀嚼しながら、ヒカルは尋ねた。

「ルールくらいは知っているけど、そんなに強くはないわね。そういえば、以前、侍女同士の団体戦に、助っ人として出たことがあったかしら」

「禁棋令のある九星堂に勤めてるのに、碁の大会に出たのか?」

「奥様には内緒よ」

 金子は、にやりと口元を上げてみせる。

 おカタいばかりの侍女ではないらしい。

「そっか。じゃあ、金子さんも、若旦那さまの同志なんだな」

「同志とまではいかないわ。言ったでしょ? そんなに強くはないのよ。同志だなんて、とんでもないわ。対局するのがやっと。……あら、発見なさったみたいね」

 ふと、金子は書斎を振り返って言った。

 見れば、書斎の扉付近で、アキラが立ち往生している。

 その腕にかかえられているのは…………足つきの碁盤だ。

 アキラの足元がおぼつかないのも頷ける。

「わあっ♪」

 ヒカルは、大急ぎでアキラの元へと駆けつけ、碁盤をひょいと取り上げた。

 それはもう軽々と。

「本当に、キミは力持ちだね」

 八寸の足つき碁盤を胸に抱いて、くるくると踊りながら運ぶヒカルに、アキラは感嘆の声をもらした。








 まだ夕方だというのに、金子は、ぴっちりと窓を閉め、扉に鍵をかけた。

 扉の前には簾子を張り、金子が待機して、いざという時に備える。

 低めの小姐椅に座って、アキラとヒカルは碁盤を囲んだ。

 碁笥を押しつけあい、なかなか先手後手が決まらない。

 ニギリの結果、アキラが黒、ヒカルが白を持って、対局が始まった。

「「お願いします」」

 久しぶりの碁石の感触に、知らず、心が逸るのは、お互いさまだ。

 四隅を占め、カカリとシマリに続いてヒラキ。

 十五手までは、よくあるパターンで進んだ。

 十六手目。

 ヒカルのボウシから、盤面は一気に覇権争いへと突入した。

 黒は、二線三線で低く生きるのを潔しとせず、白も、天王山を譲らない。

 互いに、相手の石に覆いかぶさるように。

 抜きん出て、中央を駆け巡るように。

 両者、一手も緩めぬ攻めの碁を展開する。



 やがて。

 中央に広く睨みをきかせる白の一手が、勝敗を決した。

「……ありません」

「ありがとうございました」

 勝ったのは白。

 ヒカルだ。

 勉強のためにと、さらに20手ほど打ってみたが、白の優勢は変わらない。

 逆に、おなじだけ手を戻し、最善手を探ってみても、黒に勝機は見つからなかった。






「まいったな。こんな碁は初めてだよ」

 アキラは、少し悔しそうに目を細めながらも、充実感に頬を紅潮させてつぶやいた。

「若旦那さまも、すごいよ。かなり打つじゃん…っとと、打つじゃないですか」

 勝利を手にして、ヒカルは笑顔全開で対局相手の健闘を讃えたが、またもや使用人として失態を犯したことに気づき、首をすくめる。

 そんなヒカルを見て、アキラは、クスっと笑った。

「キミとボクは同志だと言っただろう? ふたりだけの時は、敬語を使う必要はないよ」

「でも……」

「逆に、ボクがキミに敬語を使わなければいけないのかもしれない」

「へ? なんで?」

 きょとんとして小首を傾げるヒカルに、アキラは不本意そうに口をとがらせながら答えた。

「対局してみてわかった。キミとボクとでは、実力の差が大きい。おそらく二子…いや、三子は置かなければならないと思う。上手に敬意を払うのは、悔しいけれど当然のことだ」

 自分の実力を真摯に認めるアキラに、ヒカルは口をはさむことができず、黙って聞いていた。

「藤原先生に碁を習い、仕事の合間に棋譜を並べて過ごしてきたキミと、10年間、頭のなかでしか碁を思わなかったボクとでは、仕方のないことかもしれない。だけど」

 アキラは、一旦、言葉を切って、ヒカルをじっと見つめた。

「キミに教わりながら、ボク自身も勉強して、すぐに追いついてみせるさ」

 晴れやかな笑顔で言い切ったアキラに、ヒカルは、びっくりして腰を浮かせた。

「教わりながら……って。ええっ!? オレが若旦那さまに碁を?」

 下働きの娘が、大店の若旦那に碁の指導をするなんて、尋常なことではない。

 身分や立場が云々というよりも、もっと物理的な問題が立ちふさがる。

 時間は?

 場所は?

 ふたりが私的に会っているところを他の使用人に見られたら、不審がられるに違いない。

 アキラは、こぶしを顎にあて、何かいい方法はないものかと考え込んだ。

 ヒカルはといえば、いきなりの展開に、目を白黒させるばかりだ。

「それなら、いい考えがありますわ」

 お茶のおかわりを乗せた盆を持って、ずずいと身を乗り出したのは、他でもない金子だった。



 



 金子さん、さらに威風堂々。

 原作の葉瀬中の卒業式で、金子さんが平然と(いや泰然とかな)ツーショットを撮ってるシーンが印象に残っていて、
 いつか影の主役を張ってもらいたいと思ってたんですわ。

 このあとは、金子さんの提案で、ベタもベタ、もうベッタベタな展開へと進みます。

 水戸黄門の印籠登場シーンのように、たいへんわかりやすいですな。

 ちなみに、香港や中国の時代劇では、印籠シーンに酷似した「金牌提示シーン」が頻出するんですよ。

 皇帝から賜った金牌を持つ美男子(もしくは美女)が主役であることが多いようです。

 横暴な下級官吏に対抗するために、金牌を使うわけですわ。←これもまたわかりやすくて、たいへん結構

 さてさて、話がそれました。←いつもだろ←それは言わない約束よ、おとっつぁん←まだ時代劇をひっぱるか

 文中に出てくる「小姐椅」は、高さ20cmぐらいの座椅子のこと。

 お嬢さま用の椅子なのに、なんでアキラさんの部屋にあったのか不明。←おい←だって足つきの碁盤で打ってほしかったんだもん

 ところで、葡萄餡の饅頭、おぼえてますか?

 もう、これ以上は出てこないと思い(以下略)。





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