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翌日の午後。
7回目の水汲みから戻ったヒカルを待っていたのは、女中頭の市河だった。
遅い昼食をとろうと、食堂に向かっていたところを、呼びとめられたのだ。
「食事が済んだら、わたしのところへいらっしゃい」
女中頭からの直々の呼び出し。
思いあたることといえば、アキラの侍女になる件だ。
「奥様とか、エラい係の人とか、やっぱ反対してんのかなあ。そりゃあ、そうだろうなあ」
せっかく碁石に触れるチャンスがめぐってきたのに、と、ヒカルは意気消沈した。
いつもならば、茶碗3杯でもたりないくらいの白飯を1杯半しか食べず、肩を落としてとぼとぼと、市河の部屋へと歩いていったのだった。
市河の部屋には先客がいた。
市河と話していたのは、九星堂の店員の制服を着た青年と、全身に白装束をまとった、やや年長の男性。
扉をあけた途端、値踏みするかのようにジロジロと見られ、ヒカルは唇を引き結んだ。
知らない男性ふたりに見おろされて困惑したが、部屋の奥に、金子の姿を見つけて、ヒカルは少しホッとした。
ニタリ
そんな音がしそうな金子の不敵な微笑を見ると、なぜか勇気がわいてくるから不思議だ。
「ああ、来たのね。それじゃあ、さっそく始めましょう」
「始めるって……何を?」
(オレが侍女にふさわしいかどうかの協議とか?)
ヒカルは、おそるおそる尋ねた。
「新しい制服を作るのよ。若旦那さま付きの侍女には、相応の制服が必要でしょう? さあ、芦原さん。お願いね」
市河は、ヒカルに向かって答えたあと、傍らの青年に声をかけた。
芦原と呼ばれた青年は、巻尺を広げながら、ヒカルに近づいてくる。
「君が進藤ヒカルちゃんか。俺は、九星堂本店で採寸係をしている芦原。よろしくね」
やわらかそうな栗色のくせ毛に、愛嬌のある声音。
接客業にぴったりな人物のようだ。
「うーん。18歳って聞いたけど、丈も幅もスレンダーだね。小さな顔とのバランスが抜群にいい。とっても魅力的だよ。どんな服でも着こなせちゃいそうだ」
芦原は、いろいろとヒカルを誉める言葉をかけながら、寸法を測り、紙に書きとめていく。
もっとも、ヒカルはといえば、いきなり巻尺を身体にあてられて、何を言われているかなど、耳に入っていなかったが。
とにかく、自分がアキラの侍女になることは、もう決定事項らしいということだけは理解できた。
(さすが金子さんだなあ。たった一晩で、オレを侍女にするための根回しを済ませちゃうなんて)
ヒカルが頭の片隅でぼんやりと考えているうちに、採寸はどんどん進んでいく。
芦原は、手を動かすと同時に口も動かす。
測られる側が緊張しがちなバストやヒップに巻尺をあてるときには、とくに饒舌になる。
「ボーイッシュな服も似合うと思うけど、オススメは、やっぱりかわいい系かなあ。西の国から取り寄せたレースやリボンでアクセントをつけた、フリルたっぷりのエプロンドレスとか……」
「それを決めるのは俺の仕事だ、芦原」
名調子で話す芦原を制するのは、少し離れたところで煙草を吸っていた白装束の男。
眼鏡の奥から鋭い視線を放ち、射るようにヒカルを見ている。
「んもう~、緒方さんたら、仕事熱心なんだから。そんなふうに見つめたら、ヒカルちゃんが怯えちゃいますよ」
芦原は、おどけて言いながら、採寸を続けていく。
頼まれもしないのに、緒方について、ヒカルに教えてくれた。
「あの人は、人気デザイナーの緒方さん。九星堂が、専属契約を取りつけたんだ。色や柄の影響を受けずに、無からデザインするために、いつも白い衣装を着てるんだよ」
九星堂という超一流のブランドを支えるのは、商品の品質やネームバリューだけではない。
消費者に、「この店で買いたい!」と思わせる心理作戦も、そのひとつである。
美辞麗句で客をその気にさせる芦原や、気難しそうなアーティストの雰囲気を持つ緒方の存在が、九星堂神話を作り上げるのに一役買っているのだ。
ちなみに、仕立ては、完璧な縫製で定評がある下請け業者「九星会」に一任されている。
九星会は、一定水準以上の技術を持つ者からなる工房だ。
そこの最高職人である伊角を指名できるのは、お得意様だけで、一種のステイタスとされている。
さすがに、侍女の制服の仕立てを伊角自身が手がけることはなく、伊角の弟分である和谷が仕立てる予定になっていると、芦原が市河に話していたが、これは余談である。
採寸が終わり、金子がお茶を淹れてまわる。
自分も手伝うべきかと、ヒカルが金子のそばへ行こうとするのを、緒方が引きとめた。
「おまえはこっちだ」
椅子に座って足を組んだまま、横柄に、部屋の中央を指差す。
そこには、さまざまな高さの燭台があり、昼間だというのに蝋燭が煌々と灯され、必要以上に明るくしてある。
ヒカルは、緒方に言われるがまま、そこに立った。
ちらりと緒方の様子をうかがうと、紫煙とともに指示が出された。
「よし。向こうの壁の前まで歩いていって、また戻ってこい」
犬にボールを取ってこさせるかのような言い方に、ヒカルはカチンときたが、とりあえず指示に従って、ずんずんと歩いていった。
(なんだよ、エラソーに。人気デザイナーだかなんだか知らないけど、人が歩いてるのなんか見て、何が楽しいってんだ)
壁の前に着くと、ヒカルは右足に力を入れて、くるっとターンを決めた。
緒方の態度が不満だったせいか、無駄に力んだ結果、ただ向きを変えただけでなく、その場で1回転半まわっていたのだが、それは、とくに問題にはならない。
緒方が、「ほう」と、おもしろそうに唇の端をあげていたことに、ヒカルは気づかなかった。
再び、ずんずんと歩き、もといたところへと戻ってくる。
林立する燭台の中心で立ち止まると、「これでいいデスか、緒方センセー」と、仏頂面で問う。
美術や音楽で生計を立てている人間は、ピンからキリまで「センセー」だ。
純粋に褒めたたえるための尊称であると同時に、からかいの意味も持つ言葉であり、ヒカルはもちろん、後者の意味で使った。
緒方自身も、そのことに気づいたはずだが、意外なことに、彼は喉の奥で笑っただけだった。
「くっくっく。なかなかおもしろいヤツだ」
白装束の懐から煙草を取り出すと、燭台に顔を近づけ、火をつける。
紫煙を吐き出すとともに、再び指示を出す。
「今度は笑ってみせろ。最高の笑顔だ、いいな」
(笑えだって? 楽しくもないのに? 嬉しくもないのに? 昼メシ半分も食べてないのに?)
市河に呼び出された驚きで、昼食もろくに喉を通らなかったのだ。
緒方のイヤミったらしい物言いに対して、心中で悪態をついているうちに、そのことを思い出してしまい、ヒカルは、キリキリと奥歯を噛みしめた。
(まあ、これも若旦那と碁を打つためだ。しょうがない。ひとつ、いい顔を見せてやるとするか)
ヒカルは、深く息を吸って真顔になると、ゴクリとつばを飲み込んでから、緒方に向き直った。
ニカ~っ
目を三日月型にして、歯をむき出して、とびきりの作り笑顔を披露する。
喩えるならば、悪徳商人か下級官吏。
具体的には、贈収賄のまさにその瞬間の表情。
「おぬしも悪よのう」
「お代官さまこそ」
お約束のセリフが、ぴったりだ。
市河も芦原も、なぜか申し訳ない気持ちになって、ヒカルから目をそらした。
金子は、細い目を少しだけ大きくし、緒方は、煙草の灰をポロリと床に落とした。
どうだっ!とばかりに胸を張るヒカルに、緒方は、ただ咳払いを返すと、さらに別の指示を出した。
「これで最後だ。この部屋にあるものを使って、おまえの魅力を最大限に発揮するポーズを取ってみろ」
緒方が出した3つの指示は、当然、デザイナーにとって必要な情報を得るためのものだ。
初めて会う客であっても、動きや表情から個性を見抜き、用途に応じて、最も似合う服をデザインする。
たかが使用人の制服であっても、情報収集に手を抜かない…………緒方が一流デザイナーたる所以である。
だが、そんな緒方の思惑など知らないヒカルは、突然の指示に、顔をしかめるばかりだ。
(はあ? 魅力? なんだ、そりゃ。オレはモデルでもなんでもねえっつーの。なんでポーズなんか取らなきゃならないんだよ)
しかたなく、部屋のなかをきょろきょろと見回すが、今まで自分の見た目にこだわったことなどないヒカルには、自分を引き立ててくれるアイテムなど、想像もつかなかった。
(ああ、もう。めんどくせーな。制服ひとつ作るのに、なにこだわってんだよ、この白鷺デザイナーめ!)
悪態をつきながらも、ふと燭台に目をとめ、ヒカルは、しばし逡巡した。
(魅力を最大限に発揮するってことは、オレらしさをガツンとアピールするってことだよな…………よーし、コレだっ!)
ヒカルは、部屋中の燭台を一ヶ所にかき集め、蝋燭の火を消さないように注意しながら、燭台の特徴を調べていった。
ヒカルの身長よりもある長いもの、膝下くらいの短いもの。
重心が高くひょろっとしたもの、重心が低くどっしりとしたもの。
市河から何本かの紐を借りて、燭台同士を手早くまとめていく。
結び目が解けないことを確認すると、ヒカルは、「よっしゃ、いくぜ!」と、掛け声をかけた。
箪笥ほどの大きさになった特大の燭台の束を頭の上に乗せ、片足をうしろにまげて、その先にも、やや小ぶりな束を乗せる。
さらに、両手に大きめな束を持って、ポーズは完成だ。
「できたぞっ! どーだ! 魅力的だろ?」
得意満面で、緒方に向かって叫ぶ。
先程の作り笑顔よりも、ずっと愛らしい表情だ。
「……あ、ああ」
ヒカルは、力自慢大会かなにかと勘違いしているようだが、緒方は、その完成されたポーズを見て、息を飲んだ。
燭台の光を反射して煌く金色の前髪。
得意技が決まって、満足そうな大きな瞳。
まばゆいほどの光があふれるなか、ヒカル自身が輝きに満ちている。
「これほどの逸材に巡りあえるとは。……だが、難しい。実に難しいぞ」
緒方の眼鏡の縁が、キラリと光る。
一流デザイナーの腕の見せどころだ。
会心の笑みで燭台を担ぎ上げるヒカルを、緒方は眼光鋭く見据え続けた。
蛇に睨まれた蛙は……いや、緒方に見つめられたヒカルは、蝋燭が燃え尽きるまで、燭台を担ぎ続けた。
ひとつ、またひとつと、灯りが消えていくに至って、芦原が、しびれを切らしたように緒方に声をかけた。
「緒方さーん。そろそろ戻りましょうよ。いつまでも見つめてたら、ヒカルちゃんに穴があいちゃいますよ」
「そうね。穴はあかないでしょうけれど、こんなに長い時間、燭台を持っていたのでは、さすがに疲れたでしょう」
市河も、ねぎらうようにヒカルを見た。
「もういいのか?」
ヒカルはケロっとした顔で言い放ち、両手に持った燭台を床におろした。
足に乗せたものと、頭の上の特大のものも、順におろしていく。
そのあいだ、ヒカルはまったくぐらつくことなく、余裕の表情を保っていたのだから驚きだ。
芦原に急かされるように退室する緒方は、まだ名残惜しそうにヒカルを見ている。
きっと、その脳裏には、何千何万というデザインが浮かんでは消えていることだろう。
扉の前で、市河は芦原を呼びとめた。
「なるべく早く仕立てるように、九星会に伝えてちょうだい」
「あそこは仕事が速いから、問題ないと思いますよ。まあ、緒方さん次第でしょうね」
芦原は、緒方をちらりと見ながら、「今回は2~3週間くらいかなあ」と、笑った。
緒方がデザインを決められずに、納期がギリギリになってしまうのは、よくあることらしい。
市河も、心得顔で頷く。
そこへ、ずずいという擬音も勇ましく、進み出る影があった。
「わたしがこのお屋敷にいるうちに、いろいろ教えておかなければならないことがあります」
実に絶妙なタイミング。
さすが金子といったところか。
途中で言葉を切り、「この子の場合は、特に」と、強調するのも忘れない。
「明日からでも、水汲みのあとに見習いを始めてもらいますが、早く衣装を調えないと、まわりに示しがつきませんからね」
緒方に向けられた、金子の迫力あふれる笑みが効を奏し、新しい制服は、6日後にヒカルのもとに届いたのだった。
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