立ち読み処(おそらくみなさん座っておられるとは思いますが)
帯坂異聞−たとえばこんな80m−(R18)
ヒカルは男の子です
冒頭の5ページ分です。
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役場の近くには行政書士事務所。 パチンコ屋の近くには両替所。 寺院の近くには仏具店。 それなら……日本棋院の近くには?
日本棋院会館は、東京都千代田区にある。 地下鉄三線とJRが交差する市ヶ谷駅から、およそ80メートル。 地下鉄の出口からは、なだらかな坂をのぼる一本道だ。ゆっくり歩いても3分とかからない。 この坂の名前は「帯坂」という。 怪談「番町皿屋敷」に登場する女中・菊が、その名の由縁である。 青山主膳の屋敷に勤める菊は、手をすべらせて家宝の皿を割ってしまう。抜き身の刀を持った主人に追われ、髪を振り乱し、ほどけた帯を引きずりながら、必死で駆け下りたのが、この坂である。 皿坂ではなく、帯坂とは。 艶な名前をつけたものだ。 対局での失着を悔やんだ棋士が、肩をうなだれ、おぼつかない足取りで坂をおりると、同じように失態を犯したお菊さんが、ずるずると帯を引きずって、仲間を求めて現れる――――そんな、碁界ならではの怪談も、まことしやかに語られている。 さて、この帯坂。 またの名を「参道」という。 アマチュアの囲碁愛好家たちが呼び始め、それが定着したものである。日本の囲碁の総本山にふさわしい名称だ。 もっとも、現在は別の名で呼ばれているが。 都心のオフィス街にありながらも、この一帯だけは、少々趣の異なる喧騒に包まれている。 帯坂を通るのは、棋院会館へ向かうプロ棋士やアマチュア愛好家ばかりではない。いや、坂の上に位置する企業に勤める者は、敢えて別の道へ迂回するというから、広い意味においては、囲碁関係の人間だけが通る坂道だと言ってもいいのかもしれない。 奇妙な言い回しになってしまったが、これには理由がある。 棋院会館に用事がある者の他に、帯坂に軒を連ねる店を目的地とする者がいるからだ。 棋院会館が建てられた当時から、坂の両脇には、日本棋院所属棋士が、門下ごとに店を出している。 商売の内容は、門下によって千差万別だったのだが、ここ数年は似通った傾向に落ち着きつつある。 それは――――棋士喫茶である。 メイド喫茶や執事喫茶、最近では妹喫茶というコアなものも登場しているというが、この棋士喫茶は、それらとは一線を画している。従業員がメイドや執事に扮するまがいものとは異なり、棋士喫茶で客の相手をするのは、正真正銘現役バリバリのプロ棋士たちなのだから。 当初は、プロ棋士の指導碁を目当てとした定年退職後のアマチュア愛好家が多く来店していた。だが、数年前、少年雑誌に囲碁を扱った漫画が掲載されてからというもの、若い女性の姿が目立つようになった。 日本中、いや、世界中から女性たちが押し寄せる。旅行代理店では、「棋士喫茶ツアー」なる商品を売り出して、好評を博しているというのだから驚きだ。 連日のように、若い女性たちが黄色い声をあげて練り歩く華やかさには、信仰や敬虔といった響きを伴う「参道」という名は、いささか不似合いだ。 いつしか帯坂は、再び名を変えた。 今では「花道」と呼ばれている。 棋士喫茶では、棋士がコーヒーや紅茶をサーブしてくれる。 一緒にお茶を飲むことも、指導碁を頼むこともできる。もちろん、記念写真を撮ることだって可能だ。 完全予約制で、利用時間は一時間。貸切のその時間は「持ち時間」と呼ばれ、希望があれば、残り時間10分になると秒読みが行われる。演出が効いていて、なかなかおもしろい。 部屋には対局時計が置かれており、時計がカチっと上がると、事前に客から聞いていたリクエストに応えて、棋士が、一言お決まりのセリフを言う。 どんなセリフでもお望みのままなのだが、意外なことに「ありません」が人気だという。プロ棋士をひれ伏させたかのような幻想に、喜びを感じるのかもしれない。女性というものは、多かれ少なかれ、倒錯した嗜虐心を持っているらしい。 花道の店のなかで、最も人気があるのは、塔矢行洋五冠が経営する「俊英茶房」だ。 二番人気は、森下茂男九段が経営する「流星カフェ」である。 俊英茶房には、緒方精次や塔矢アキラといった美形棋士が名を連ね、流星カフェには、進藤ヒカルや和谷義高といったアイドル棋士が揃っている。 公表されてはいないものの、例の囲碁漫画の主人公は、流星カフェの進藤ヒカルをモデルにしたと推測されている。俊英茶房の塔矢アキラが、主人公のライバルのモデルだということも、ファンのあいだでは有名な話だ。 主人公にゆかりの店よりも、ライバルがらみの店のほうが繁盛しているのは、俊英茶房の棋士に魅力があるからか。それとも、漫画の登場人物の人気を反映してのことか。 いずれにしても、女性の嗜好をとやかく言うと後が恐ろしいので、説明はここまでにしよう。 ヒカルとアキラは、それぞれの店の看板棋士だ。遠方での対局がないかぎり、ほぼ毎日、店に顔を出している。 肝心な囲碁の勉強をする時間を削りつつ、囲碁の普及も棋士の務めと割り切って、いやいやながらも棋士喫茶で笑顔を振りまいている。もっとも、健全な営業をモットーとする棋士喫茶は、閉店時間が早いため、それからでも十分に勉強する時間は持てるのだが、それはさておき。 そんな彼らには、秘密があった。 二人は、恋人同士なのだ。 5年前、名人戦の一次予選で対局して以来、二人は互いにライバルだと公言してきたが、やがて、彼らのあいだには、ライバルという言葉だけでは表しきれない感情が生まれた。 そのことに気づいたのは、アキラのほうが早かった。 恒例となった北斗杯前の合宿も、これが最後という年の夜、アキラはヒカルに思いのすべてを打ち明けた。 アキラに告白されて、ヒカルも自分の気持ちを自覚し、二人は晴れて恋人同士となったわけである。 現在、市ヶ谷から地下鉄で20分ほどの場所にある賃貸マンションで、二人が一緒に暮らしていることは、棋院関係者ならば、誰もが知っていることだ。 だが、花道の客に知られれば人気を落としかねないと、みな、かたく口を閉ざしている。 それぞれの店の収入に応じた上納金が、日本棋院に納められ、貴重な財源となっていることは周知の事実だ。それが、まわりまわって、棋士たちの対局料として支払われるのだから、他の門下の足を引っぱろうという者が現れることもない。 いわば、公然の秘密というわけである。 自宅であるマンションはもとより、棋院会館の四階より上のフロアでは、いちゃいちゃラブラブ。それでも、駅と棋院を結ぶ80メートルの花道では、目から火花を散らすライバル棋士を見事に演じきる。なかなかの役者ぶりである。 店の仕事を終えると、二人は別々の電車で帰途につく。もしタイミングよく、同じ電車に乗ることになったとしても、同一車両に乗り合わせるわけにはいかない。 マンションのある最寄り駅で待ち合わせて、食事をして帰るのが、彼らの日課だった。 ○ ● ○ ● ○ その日も、女性客たちの黄色い声を背に受けながら、ふたりは花道を後にした。 市ヶ谷駅へ向かう80メートルのあいだ、二人は一切、口をきくことはない。 駅の改札を通り、地下鉄のホームに着くと、ヒカルはホームの一番前でとまり、アキラは一番うしろまで歩く。都営新宿線に乗って、終点の笹塚で降りる。 駅の改札口を抜けたところで、二人は、めでたく再会を果たした。 「やっと会えたね、進藤」 「さっき別れたばっかじゃねえか」 「そんな意地悪を言うのは、どの口だい?」 アキラはヒカルの顎に手をかけて、上を向かせた。 初めて会った小学生の頃から、アキラのほうが背が高く、20歳になった今でも、それは変わらない。 凛とした漆黒の瞳に上から覗かれて、ヒカルは頬を染め、ぷいっと顔を背けた。 「やらしい目で見んなっつーの。そんなことより、さっさとメシ食いに行こうぜ。オレ、すげえ腹減ってんだから」 ヒカルの強気な態度が、ただの照れ隠しであることなど、アキラはお見通しである。 「しかたがないな。それなら、食後のデザートにキミをいただこうか。……本当は、ボクにとってのメインディッシュはキミなんだけどね」 アキラは名残惜しそうに、ヒカルの金色の前髪に口づけた。 ちなみに、ここは、天下の公道である。 「バ……っ。道の真ん中で恥ずかしいことすんな」 真っ赤になって後ずさるヒカルに、アキラは「ここじゃなければいいんだね?」と、しれっとした顔で言う。 うまく切り返すことができず、ヒカルは、耳まで赤くして唸るばかりだ。 「ああ、もう! さっさとメシ行くぞ、メシ!」 無理やり話題を切り替えて歩き出すヒカルのうしろを、アキラは、小さく笑いをこぼしながらついていった。 笹塚駅近辺には、ふたりの行きつけの店が何軒かあるが、今夜はヒカルのリクエストで、駅の裏手の定食屋に入った。 「オレ、ハンバーグ定食。ライス大盛!」 「ボクは……そうだな、豚肉の生姜焼き定食と生ビール」 「お、なんだよ、自分ばっかし。そんなら、オレも……えーっと、生レモンサワーね」 そこそこ酒を嗜むアキラとは違い、ヒカルは酒に弱い。たかがサワー一杯でも、首すじまで真っ赤になってしまう。 そこがまた色っぽくて堪らないというのは、アキラの言である。 酔ったヒカルのしどけない姿を想像し、アキラが笑みをもらすのを見て、ヒカルは口をとがらせた。 「なんだよ! 今日は、おまえが一緒だから、飲んでもいいんだろ!」 以前、和谷たちと居酒屋に行った際、ヒカルは酔っ払って、足腰が立たなくなったことがある。アキラが迎えに行って、事なきを得たが、それ以来、アキラのいないところで酒を飲んではいけないことになっているのだ。 アキラに迷惑をかけたという自覚があるヒカルは、それを忠実に守っているが、実際のところ、色気を振りまくかのような酔い姿に焦ったアキラが、防衛策として命じたのだということを、ヒカルは知らない。 「何も言ってないだろう? ただ、酔ったキミの火照った身体を想像したら、つい……ね」 小声で囁くアキラに、ヒカルは「この変態野郎!」と、悪態をつくのがやっとだった。 空腹を訴えていた言葉の通り、ヒカルは、ハンバーグをがつがつと口に運んだ。 本当にハンバーグだけである。つけ合わせの人参といんげんは、アキラに怒られる前に、サワーとともに、噛まずに飲み込んでしまっている。 アキラがビールをおかわりし、生姜焼きに少し箸をつけた頃には、すでにヒカルは、おかずを食べ終わりつつあった。 「進藤。ライスの大盛を注文したんだから、計算しておかずを食べないと……」 そう小言を言いながらも、アキラは、自分の皿をヒカルの前に差し出した。 「サンキュ♪」 ヒカルは、遠慮なく生姜焼きに手をのばした。まだほとんど手のつけられていないおかず類が、次から次へと、ヒカルのライス皿へと移動していく。 ライスの上におかずを乗せて、丼物状態にしたヒカルは、今度は、ちゃんとライスも一緒に食べている。 アキラはといえば、いつものことだと、愛しげに見ているばかりだ。 「はあ〜。食った食った」 満足そうに自分の腹をさすり、猫のように目を細めるヒカルの頬は、たった一杯の生レモンサワーの影響を受けて、ピンク色に染まっている。 目の毒ともいえるヒカルの状態に、アキラは高まる鼓動を抑えながら会計を済ませ、帰路を急いだ。 |
ほもえろ小説です。自分でもびっくりです。
ぬるくないです。ほんとにえろえろです。