オレがアイツでアイツがオレで 第1話
毎年開催が決定されるほどの大盛況のなか、北斗杯は幕を閉じた。 初めてのジュニア国際棋戦に、てんやわんやだった日本棋院も、ようやく平穏な日常を取り戻しつつあった。 そんな5月下旬のこと。 進藤ヒカルと塔矢アキラは、半年ほど前から、アキラの父・行洋の経営する碁会所で待ち合わせて、対局するようになったのだが、最近、少々おかしな具合になっていた。 時間にルーズなヒカルが来る前から、時間厳守のアキラが来ているのは当然のことだ。 だが、ここ最近は、それが顕著になり、アキラは約束の時間よりもずいぶん早く来て、ヒカルを待つようになったのだ。 ヒカルが来るまでのあいだ、受付係の市河に淹れてもらったコーヒーを片手に瞑想するアキラの姿が、多くの常連客に目撃されている。 (あのときの進藤……可憐だったなあ) まさか、こんなことを考えているとは誰も思うまい。 ひとり盤に向かい精神を集中させているのだろうと、感心することしきりだというからバカバカしい。 誰にも邪魔されないのをこれ幸いと、アキラは鼻の下を伸ばし、だらしなく口まであけて妄想の世界にトリップする。 脳裏に浮かぶのは、北斗杯の韓国戦の後のヒカルだ。 男泣きとは大きくかけ離れた女々しさたっぷりの姿だったが、アキラ曰く可憐だったらしい。 めそめそ。 もしくは、ぐしぐし。 そんなヒカルの涙に、アキラはハートを撃ち抜かれてしまった。 もともと、ヒカルのことを憎からず想っていたアキラだったが、この日を境に「進藤☆激ラブ」に目覚めてしまったのである。 だからといって、面と向かえば相変わらずケンカ腰だ。 とくに対局では手加減などするわけがない。 今日も今日とて、碁会所で盤を囲んでいるのだが、やはりアキラが優勢である。 中盤を過ぎ、中央のせめぎあいも一段落して、ヒカルには一発逆転を狙った打ち込みしか残っていない状況だ。 「ここで投げてるようじゃ、高永夏には勝てねえっつーの」 北斗杯で勝てなかったことが堪えているのか、ヒカルは、ぼそりとつぶやきながら、隅に打ち込んだ。 「次はわからないさ。だけど、この打ち込みは……手になるのか疑問だぞ」 アキラは、ヒカルの実力を認めながらも、打ち込まれた石を軽くあしらった。 「手になるかどうか、やってみなくちゃわからないじゃん」 かなり強引ながらも、ヒカルは続けて打った。 ワタリは無理だろうが、セキでも上等。 最悪、活きがなくても、後々、コウダテのひとつにでもなれば御の字だ。 ヒカルは打ち込みを足がかりに、大いに暴れまわった。 隅には魔物が棲んでいると言ったのは誰だったか。 星への一間高ガカリから3手ほど進んだだけで放置されていた中途半端な広さゆえに、打ち込まれたアキラのほうが苦労を強いられる。 「弱きじゃん。コウに弾くなんて、オマエらしくない感じ」 ヒカルのアテにアテ返したアキラの慎重な判断に、ヒカルは遠慮なく石を取り上げた。 「ここで無理しても意味がないからね」 己の形勢判断を信じ、あくまでも余裕な態度で応じると、アキラは別の大場へ向かった。 まもなくヨセに入ろうという今、カミトリは大きい。 「ああそうですか……っと。あれ?」 ヒカルは、当然のようにアテ返し、素っ頓狂な声をあげた。 「……ん?」 ヒカルの石をカミトったアキラも、何かに気づいたようだ。 「オレがこうしたら……見ろよ、塔矢」 「三コウか、めずらしいな」 三コウとは、同時に3箇所にコウができることを言う。 この状況になると、永遠にコウを取り合うことになってしまう。 たとえば、白が1箇所目のコウを取り、黒が2箇所目のコウを取る。白が3箇所目のコウを取れば、黒が1箇所目のコウを取る。白は2箇所目のコウ、黒は3箇所目……そして、最初に戻る、と。 つまり、決着がつかなくなるのだ。 公式戦では、無勝負で打ち直しとなる。 「なあ塔矢。三コウにしてみていい?」 「そんなことを言って……。勝ちがなくなったからじゃないのか?」 「んなわけねーだろ。勝負はこれからだ! だけど、三コウなんて狙ってできるもんじゃないだろ? 経験してみてえよ。オレ、初めてなんだ」 ケイケンシテミタイ ハジメテナンダ 決してアダルトな意味での発言ではないのだが、アキラは思わず顔を赤らめた。 「ん? どうかしたのか、塔矢」 上目遣いに覗き込むヒカルから、アキラは目をそらし、コホンと咳払いをした。 「なんでもないよ。……はいはい、どうぞ」 「やりぃ♪」 ヒカルは、いそいそと石を持った。 パチリ ヒカルが石を打った途端…………。 ピシャッ ドドドーーーーン 窓の外に稲妻が走り、雷鳴が轟いた。 そして、その直後。 「あら、停電?」 市河の声が飛んだ。 「近くに落ちたんじゃねえか?」 「市っちゃん、蝋燭、蝋燭」 「いや、懐中電灯だろう」 常連客が騒ぎ出すなか、すぐに明かりはついた。 最近の電力会社のシステムは優秀なようだ。 「ああ、びっくりした。三コウの呪いかもな」 「バカなことを」 「だって、タイミングばっちりだっ…た……」 笑いながら顔を見合わせて、ふたりは固まった。 「な……っ」 「うそ……」 盤をはさんだ向こう側。 ヒカルの前にはヒカルがいて、アキラの前にはアキラがいて、互いの顔を見つめていたのだ。 「「いったいどうなってるんだ……?」」 つづく |
2007.01.03 初出
2011.10.25 再掲