「ただいま」を永遠に(1)

 この作品は、沙里さまのリクエストをもとに書かせていただいたものです。


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 ある晴れた日曜日の昼下がり。

 凛とした静寂を常とする塔矢家だが、その日は朝からバタバタと物音が絶えなかった。

 朝早くに外出した主は、先程、ホームセンターのレジ袋をさげて帰宅。

 それと入れ替わるように、今度は、明らかに主婦のものと思われるガマグチを握りしめた息子が、大慌てで飛び出していく。

 やがて、運送業者のトラックが門の前に停まると、普段はしとやかな和風美人で通っているはずの良妻賢母が、つっかけサンダルの音も勇ましく、玄関先へと躍り出て、嬉々として業者に指示を与え始める。



 あまりにも普段とは異なる様子に、周囲の耳目が塔矢家に集まる。

 ある者は自宅の庭から。

 また、ある者は勝手口のドアの隙間から。

 にわかに提供された娯楽的見世物を、お屋敷街の有閑マダムたちはおおいに楽しむ。

 なかには、今日に限って井戸端会議の場所を塔矢家前に変更した者もあった。

「夜逃げ…いえ昼逃げかしら」

「それにしては妙に雰囲気が華やいでいるわねえ」

「ご主人がまたひとつタイトルを獲得したのかしら」

「それにしては門下生の姿が見えないわ」

「もしかしたら…ひとり息子のアキラくんが、お嫁さんをもらうのかもしれなくてよ。まだ17歳とはいっても、囲碁のプロとして、立派に活躍しているそうじゃない?」

「……それだわ」

 幼い頃から物静かでおとなしく、運動会以外で全力疾走なんかしたことありません…って顔をしたアキラが、喜び勇んでお使いに出ていったのだから、近所の住民がそう考えるのも無理はない。


    [[塔矢さんちにお嫁さんが来るんですってよ]]


 噂とは、あっという間に広がるものである。

 ご町内のトップニュースとして食卓の話題にのぼるまでに、そう時間はかからないであろう。






 さて、その日の夕刻。

 塔矢家の前に、一台のタクシーが停まった。

 背中までかかる長い髪をひとつに結んだ青年にかかえられるようにして、セーラー服の少女がおりてくる。

 青年の名は藤原佐為。

 少女の名は進藤ヒカル。

 佐為にとってヒカルは姪。年の離れた姉・美津子の娘だ。



 ヒカルの腕のなかには、白い布につつまれた木の箱がふたつ。

 少しうつむきかげんなその瞳は、涙の色に染まっている。

 彼女は昨日、両親を弔ってきたばかりだった。

 日曜日にもかかわらず、制服を着ているのはそのためだ。

 傍らに立つ佐為も、黒いスーツを身にまとっている。






「藤原さん、このたびは御愁傷様でした。まあ、あなたがヒカルさんね。お待ちしてましたのよ。さあ、早くお入りになって」

 塔矢家の良妻賢母(詐称疑惑が急浮上中)・明子にうながされ、ふたりは主に挨拶をするべく、客間へと向かった。



「よく来てくれた。お義兄さんとお姉さんのご冥福を心からお祈りする」

 塔矢家の主・行洋が、哀悼の意を表する。

 そのとなりには、いつのまに戻ったのか、アキラが控えている。

 お茶を淹れていた明子も、少し遅れて席につく。

 重く沈んだ空気が漂うのを嫌って、明子はヒカルに微笑みかける。

「ヒカルさん、どうぞ楽になさってね。今日から、ここがあなたの家になるのですから」

「……はい」

 ヒカルは少しとまどいながらも、恥ずかしそうな笑顔で答える。

 元来、明るく元気な少女なのであろう。

 その笑顔にうながされるようにして、佐為が口をひらく。

「塔矢先生。本当に、なんとお礼を申し上げたらよいのか…。今回のことでは、何から何まで、先生のご厚意に甘えてしまって…。甚だご迷惑とは存じますが、姪をよろしくお願いいたします」

 座布団をはずし、畳に額をこすりつける佐為にならって、ヒカルも深々と頭を下げる。

「頭を上げなさい、藤原くん。長年タイトル戦で競い合った我々のあいだで、そんな水臭い挨拶はなしにしようではないか。君が、君の思う碁を求めるために、少しでも役に立てるのならば、私にとって、こんなに嬉しいことはないのだよ」

 普段は寡黙な行洋だが、今日ばかりは好敵手の心中を慮って熱弁をふるう。






 佐為は、かつて三冠を手にしたトップ棋士だった。

 塔矢行洋という、やや年長ではあるが無二のライバルとともに、日本棋院の二強とうたわれていたものだ。

 しかし、佐為の碁に対する姿勢は、数年前から少しずつ変化の兆しを見せ始めた。

 姪のヒカルに碁を教えているうちに、碁を伝えることに心地よさを感じる自分に気がついたのだ。

 たしかに、しのぎを削りあう半目勝負に、打ち震えるほどの喜びをおぼえることも事実。

 だが、佐為の目は、しだいに世界へとひらかれていった。

 アメリカ・ヨーロッパ・オーストラリア。

 碁を知らずに過ごしている人々に、手談の興趣を伝えて歩く。

 そして、2年前。

 狭い日本の棋界にとらわれることなく、世界中の人に碁の魅力を伝えたい…と、日本棋院を退役したのだった。

 以来、時間的制約の少ない中国甲級リーグに籍を置きながら、世界中で普及活動を続けているのだ。



 そこへ姉夫婦の訃報が舞い込んだ。

 結婚記念日のお祝いにとドライブに行った帰り道、義兄がハンドル操作を誤り、助手席の姉ともども、崖下に転落したというのだ。

 夫婦水入らずで…と、留守番を決め込んだヒカルが無事だったことは、まさに不幸中の幸いだった。

 急いで帰国し、進藤家をたずねると、他人行儀な親戚たちに囲まれて、ヒカルは膝をかかえて泣いていた。

 ヒカルは中学2年生。

 教育費や生活費などの経済的な問題もさることながら、難しい年頃の娘を引き取ることに難色を示すのも無理からぬことではあるが、その口論たるや聞くに耐えないものであった。



 葬儀の場での「姪御さんをあずからせてはもらえまいか」という行洋からの申し出に、佐為は一も二もなくうなづいた。

 行洋の言葉が、同席していた息子の視線を追っての物であることに、佐為は気づいていたけれども。

 セーラー服の襟に顔をうずめるようにして、ぽろぽろと涙をこぼすヒカルの横顔を、アキラがまばたきもせずに見つめていたことにも、佐為は気づいていたけれども。

 17歳にしてリーグ入りする棋力とともに、その微笑ましい…いや、好ましい人柄も、佐為はよく知っていたから。



 天然系アキヒカ「子」を書いております都合上、同居とか同棲とか、オイシイ話には縁遠くなってしまいがちで、少々物足りない思いをしていたところに、このリクですよっ!

 沙里さま、ありがとうございますvvv



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