「ただいま」を永遠に(2)
この作品は、沙里さまのリクエストをもとに書かせていただいたものです。
お戻りの際は窓を閉じてください
夕食を終え、佐為は塔矢家を辞した。 行洋や明子に何度も頭を下げ、ヒカルに何度も「お利口にするんですよ」と言い聞かせて。 「オレ、もう中2だぜ。こども扱いすんなよな」と頬をふくらませるヒカルに、アキラの心臓は、ドキドキと自己主張をくり返した。 斎場でひとめぼれした自分を不謹慎だと咎めながらも、ひとつ屋根の下で生活するという天恵ともいえる展開に、アキラは興奮を隠し切れなかった。 「あ…」 アキラは、自分の鼻を押さえて自室へと走り去っていった。 それを目の端に捉え、行洋は「若いとは、よいものだな…」と、感慨深げにつぶやいたのだった。 明子に案内され、ヒカルは新しく用意されたという自分の部屋に向かった。 広い塔矢家の最奥。 中庭をはさんでアキラの部屋と向かいあわせの客間に、急遽、手を加えたものだ。 普段、酒を過ごした門下生たちが寝泊りする部屋ではなく、遠方の親戚が訪ねてきた際に使われる上等な和室だったが、年若なヒカルのために、明子が洋風に改造したのだ。 「時間がなくて、既製品ばかりなのよ。ごめんなさいね」 明子は、そう言いながら、ヒカルを部屋に招き入れた。 すべて同じメーカーのもので統一された、ダークブラウンのベッドに机にタンス。 畳をあげて、フローリングマットを敷き詰め、部屋の中央には、ベージュ色のアクセントラグ。 カーテンやベッドカバーは、佐為からの「ヒカルは元気な少年みたいな子で…」という事前情報をもとに、あまり性別を意識させないグリーンを基調としたチェック柄。 もとが和室であるがゆえに、いやおうなく存在するふすまには、コルクのシートを貼って、ポスターや写真を飾ることができるようにと、工夫を凝らした。 わずか一日で用意したにしては上出来だ。 「わあ。すげー…。かっこいいv」 ヒカルはベッドの上に腰掛けた。 ほどよくスプリングのきいた感触に、知らず顔がほころぶ。 「気に入ってくれた?」 ほっとしたようすで、明子がたずねる。 「うんっ…じゃなくて、はいっ! ……急にこんなことになったのに、いろいろよくしてくれて、ほんとにありがとうございます」 ヒカルはベッドから飛び降りると、ぺこりと頭をさげた。 「そんなこと気にしないでいいの。それに、敬語なんて水臭いわ。おばさん、ずーっと女の子が欲しかったんだもの。ヒカルさんが来てくれて、とってもうれしいのよ」 明子はにっこりと微笑むと、初日で緊張しているであろうヒカルを気遣って、「それじゃあ、おやすみなさい。荷解きは明日にしましょうね。おばさんも手伝うわ」と言い残して、部屋を出ていった。 「おばさん、いい人だな」 ヒカルは部屋着に着替えると、ごろんとベッドに横になった。 「先生と息子は、いまいちよくわかんなかったけど。とくに息子の…アキラっていったっけ。17歳でプロ棋士なんだってなー。すげーや」 緊張と疲れが一気に襲ってきて、「背が高くって、けっこういいオトコだったよなー。今どき、地球上でおかっぱが似合う男っていったら、あいつぐらいだろーなー…」とつぶやきながら、夢の世界へと誘われていったのだった。 「あなた、一世一代の大手柄よv」 ひとり碁盤に向かう夫に背後から抱きつき、明子は数年ぶりに夫を誉め称えた。 「目が大きくって、かわいくって。人懐っこそうないいコじゃないvvv」 「弔いの席で、よくこんな名案を思いついたものだと、我ながら感心したよ。アキラがあの子をじっと見ているのに気づいた時、この機会を逃したら、次はないように思えてな。かなり強引に話を進めてしまった」 「恋人いない歴17年のアキラさんに、ようやく春が訪れるのね。夢みたいだわ」 断っておくが、決してアキラがモテないわけではない。 年上の女性棋士や院生の女の子たちの熱いまなざしを受けても、何も感じず、一般のファンから告白されても、「ボクは碁以外のことに興味はありません」と、つっぱねてしまうのだ。 「孫を抱く日も、遠くないかもしれんな」 「あら、ダメですよ。ヒカルさんはまだ中学生なんですから。それに、お預かりしている以上、責任というものがありますわ」 「そんなことを言って、明子、その怪しい笑みはなんだ」 「うふふ。あなたこそv」 ヒカルの知らないところで、「孫を抱く」という塔矢夫妻の夢は、熱く語られていたのであった。 さて、その頃、アキラはというと。 鼻血はおさまったものの、ティッシュを詰めた状態で机に向かい、なにやら考え込んでいる。 先程のヒカルの独白にもあった通り、見目麗しい青年であるが、鼻ティッシュはいただけない。 美形キャラ失格といったありさまである。 「お母さんは、ヒカルさん。お父さんは進藤くん。それならボクは……」 ヒカルをどのように呼ぶべきか、アキラは悩んでいた。 「進藤さんでは他人行儀だし、進藤くんでは後輩のようだし…。ヒカルちゃんv……悪くないが、親戚の子を呼んでるみたいな響きだな」 アキラはノートをひろげ、さらさらとペンを走らせながらつぶやいた。 「経験豊富な男たちと違って、ボクは恋愛ごとに関しては、まったくの初心者だ。彼女のようなかわいい子と恋人同士の関係になるためには、友達からのスタートではなく、一足飛びに友達以上恋人未満な雰囲気を演出して、他者を牽制する必要がある。……と、すると…」 ノートに記された候補の上に、次々と線が引かれていく。 進藤 ヒカル ヒカルさん ヒカルちゃん ヒカちゃん ……おい。 「ヒカちゃん」を残すのか? 「進藤。ヒカル。ヒカルさん。ヒカルちゃん。ヒカちゃん。……難しいな」 別のページに、改めて5つの選択肢を書き直し、それらをじっと見つめる。 「……そうだ。最近は『○○っち』という呼び方が、流行っているっていうじゃないか」 アキラは、せっかく5つにしぼった選択肢に、新たに3つを書き加えた。 進藤っち ヒカルっち ヒカっち 「ボクが『進藤っち』って呼んだら、彼女はボクを『塔矢っち』って呼ぶんだろうか。……それは、ちょっと問題だ」 ヒカルっちと呼んだら、自分はアキラっち。 ヒカっちと呼んだら、自分はアキっち。 どちらも不本意らしい。 「やはりヒカちゃんとアッくんというのが、妥当な線かな…」 アキラは再び別のページをひらくと、相合傘を描き、その名を記した。 「明日は、ボクから『おはよう、ヒカちゃんv』と話しかけて、ボクのことをどう呼んだらいいのかとまどう彼女に、『ボクのことはアッくんと呼んでくれ』と誘導する。うん、これでいこう」 妄想ともいうべき作戦を綿密に練りながら、いつしかアキラは、机に伏せたまま眠ってしまったのだった。 翌日。 塔矢家の早い朝に慣れないヒカルは、遅れて起きてきた。 アキラは作戦を心のなかで復習し、ヒカルが席に着くのを待つ。 「うわーん、ごめんなさーい! 寝坊しましたーっ! 先生、おばさん、おはよーございまーす」 ヒカルは慌てて食卓につくと、隣にすわるアキラに、にこっと微笑みかけた。 「おはよ、アキラ」 「お、おはよう、ひ、ひ、ヒカルv」 昨夜のアキラの作戦は、水泡に帰した。 だが、互いに呼び捨てという、もっとも恋人らしい…いや夫婦にも通ずる呼称に、満足しないわけがない。 向かいにすわる行洋と明子は、座卓の下でハイタッチならぬロータッチを交わし、喜びをわかちあっている。 「……あれ? どうしたんだ、アキラ。ほっぺのとこと、鼻のとこが、なんか赤くなってない?」 ヒカルは自分の顔を指差して、小首をかしげた。 その愛らしいしぐさに、アキラの心臓は爆発寸前だ。 「え? あ…ええっと、これは…。……そう、ゆうべは遅くまでパソコンで棋譜の整理をしていてね、机で寝てしまったんだよ」 アキラの苦しまぎれなごまかしに、ヒカルは感嘆の声をあげる。 「へえぇぇぇ。プロ棋士って大変なんだな」 静寂を常とする塔矢家の食卓は、この日を境に、明るい笑い声に包まれた楽しいものへと一変するのだった。 |
「アッくん」「ヒカちゃん」と呼ばせたほうが、よかったですか?
このお話のなかのアキラさんは、ヒカルGETめざして突っ走る強引な策士……の予定なんですが。ヘタレ系のにおいがぷんぷん漂ってきますねえ(汗)。どーしたんだ。しっかりしろ、アキラ!
お戻りの際は窓を閉じてください