「ただいま」を永遠に(5)

 この作品は、沙里さまのリクエストをもとに書かせていただいたものです。


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 そして火曜日はやってきた。

 研究会は午後1時からだが、早めに訪問して、ちゃっかりお昼をごちそうになろうというつわものがいた。

 芦原弘幸である。

 アキラに一番年齢が近いとあって、塔矢家では、行洋の弟子というよりアキラの兄兼友人というポストに置かれている。

 本人もそれを自覚してか、塔矢家を「東京の実家」と豪語しているようだ。

 この日も、お昼のメニューがちらしずしであるとの情報を得て、昼食に間に合うようにと、早めに家を出たのであった。






 塔矢家の前に着くと、数人の有閑マダムが井戸端会議の真っ最中であった。

 お屋敷街のマダムたちなのだから、誰かの家でゆっくりティーパーティーでもすればいいものを。

 まあ、道端で買い物カゴを片手に話すところに醍醐味があるというのもうなづけるのだが、これは余談。

 芦原は、ソツなく「こんにちは〜」と笑顔をふりまいて通り過ぎようとした。

 だが、マダムたちのなかのひとりが、「ちょっと、ちょっと」と、芦原を手招きする。

 女の集団を敵にまわしてはいけないと心得ている彼は、招かれるまま会議に加わった。



「ねえ、ちょっと。あなた、塔矢さんとこのお弟子さんでしょう?」

「あの子、このあたりじゃ見かけない制服よね。どこの高校かしら。もしかして中学生じゃなくて?」

「ひとり息子のアキラくんのお嫁さんだって、もっぱらの噂だけど、結婚式はいつ?」

「もう結納は済んだのかしら」

「学生のうちから住み込みで嫁入り修行なんて、あの子もたいへんですこと」

「塔矢さんって、格式のある碁のお家柄でしょう? 息子さんも朴念仁で恋愛なんて興味ありませんって感じですもの、あの子、きっと苦労するわよ」

 次から次へと質問攻めにあうが、その内容は、芦原にとって初耳なことばかり。

「ええっ!? アキラが結婚!? 住み込みで嫁入り修行???」

 決してとぼけたふりをしているようには見えない芦原のようすに、マダムたちは「収穫なしね」「つまらないこと」と、早々に彼を解放したのだった。






「あら、芦原さん。いらっしゃい。ちょうどお昼にするところだったのよ」

 明子に招き入れられ、芦原は茶の間へ向かう。

 茶の間とは、研究会に使われる和室ではなく、塔矢家のメインダイニング兼リビングルームのことだ。

 行洋・明子・アキラの親子3人と一緒にちらしずしを食べ、ごちそうになったお礼にと、後片づけを手伝う。

 台所の小さなワゴンの上に、ラップをかけたちらしずしが置いてある。

 まだ食べてないのは誰だ?

 芦原の脳裏に、先ほどの井戸端会議の話題がよみがえる。

     セーラー服の制服……

     住み込みで嫁入り修行……

     ひとり息子のアキラくんのお嫁さん……

 芦原の視線に気づいた明子が、それとなく牽制する。

「それはね。わたしのかわいい娘のぶんよv うふふ」

 息子の嫁にと狙い定めたかわいいヒカルを他の男に盗られまいと、塔矢夫妻はご近所の噂を敢えて放置し、門下生たちにもヒカルの存在を隠してきたのだ。

 だが、ヒカルを研究会に参加させる以上、ヒカルは塔矢アキラのものであると誇示しなければならない。

 息子が息子なら、親も親。

 行洋と明子による「ヒカル保護のための害虫対策マニュアル」の作成は、毎晩、深夜にまで及んでいたのだった。






 午後1時を過ぎ、門下生が集まったところで研究会が始まった。

 30分ほど遅れて、ヒカルが「ただいま〜っ!」と帰ってきた。

 明子がとめるのも聞かず、研究会が行われている和室に飛び込む。

 セーラー服姿のヒカルを人前に出すのは得策ではないと考え、先に着替えてくるように序言するはずの明子の役割は、不発に終わった。

「こ、こんにちは」

 門下生たちに注目され、ヒカルは恥ずかしそうに頬を染めて挨拶した。

 白い襟に赤いリボンがまぶしいセーラー服。

 膝上丈のスカートから、すらりとのびた健康的な素足。足元の白いソックスが初々しい。

 金色の前髪が小さな顔をふんわりと包む。

 何より愛らしいのは、興味深々な表情であたりを見回す大きな瞳。

 突然あらわれた妖精のような美少女に、門下生たちは石を取り落としたり、盤面をくずしたり、口をあけて見惚れたり。

 反応はさまざまなれど、驚きの目のなかにハート型が浮かんでいるのは、みな一様だ。

(しまった!)

 ヒカルを見て惚れない男があるものか、ましてやセーラー服なんか反則だと、十分に理解していたはずだったのに対策を怠った自分を、アキラは恨んだ。

「おかえり、進藤くん。おなかがすいているだろう。先に着替えて、食事をしてくるといい。そのあとで、みんなに紹介しよう。……アキラ、手伝ってあげなさい」

 行洋が助け舟を出す。

 明子が任務に失敗した際のBプラン…またの名を二の矢という。



 手伝う…って、着替えをか!?

 その場にいた全員を誤解させるように、わざと言葉を選んだ行洋の真意をくみとり、アキラは「はい」と立ち上がった。

「行こう、ヒカル。今日はちらしずしだよ」

 ヒカルの肩に手をまわし、さりげなくエスコートする。

「やったv オレ、ちらしずし大好きvv」

 ふたりがなかよく部屋を出て行ったのを見計らって、再度、行洋が口をひらいた。

「中断させてすまなかったね。あとで改めて紹介するが、元気で明るい子だよ。わたしの娘だと思ってもらいたい。明子も、実の娘のようにかわいがっている。ふふふ。アキラとの仲もあの通りでね」

 ヒカルがいたら恥ずかしがって否定してしまうであろう事柄については、本人不在のうちに語ってしまうのが吉…と、これは、「ヒカル保護のための害虫対策マニュアル」の受け売りである。

 師匠の娘となれば、うかつに手は出せない。

 すでにアキラと恋人同士、もしくは婚約者かもしれない。

 行洋と明子の作戦は効を制し、女とみれば口説きたがる緒方も、ダークホース笹木も、ぐっとこぶしを握りしめて耐えていた。

 お調子者の芦原などは、棋院会館や碁会所で吹聴してまわってくれるかもしれない。

 それこそ願ったり叶ったりだ。

 行洋は満足そうにうなづいたのだった。






 Gパンにトレーナーというラフな服装に着替えて、再び研究会に顔を出したヒカルは、韓国で注目されている新定石についての検討に参加した。

 細い指で盤面を指しながら、華奢な首を愛らしく傾げ、なおかつ斬新で厳しい意見を出してくるヒカルに、門下生の注目が集まるのは当然のことだろう。

 一度は封印したはずの「男の萌え心」が、うっかり芽を出さないとも限らない。

 アキラは、ここ一番の勝負手を放つ決心をした。

「ヒカル。耳を貸して。…………………………」

「アキラのえっち。オレ、そんなこと、恥ずかしくてできない…」

 アキラの内緒話に、ヒカルは頬を染める。

 しかも呼び捨て。

 やっぱりデキてたんだ、このふたり…。

 門下生たちは、改めてがっくりと肩を落としたのであった。



 ちなみに、アキラの勝負手・内緒話の内容とは。

「あとでボクと笹木さんが対局するんだけど、それに勝ったら、西洋風に祝福のキスをしてくれないか?」

 昨夜、徹夜して考えた最善の一手である。

 ヒカルの答えが是であれば、絶対勝って祝福のキスを手に入れる。

 ヒカルの答えが否であっても、恥ずかしそうに頬を染めて、周囲を誤解させてくれるだろう。

 どちらに転んでも好結果をもたらすこの必殺技は、見事にクリーンヒットとなったのであった。






 その夜。

 研究会の席上で、アキラにささやかれた内緒話は、ヒカルの胸中に一大革命をもたらしていた。

 耳元で甘く話しかけられて、心臓がどきどきしてたまらなかった。

「どーしよう。オレ、アキラのこと好きかも…」

 さっき肩を抱かれたときも、いつだったか雨に打たれて熱を出したときも、アキラの腕は優しく自分を包んでくれた。

 でも、ヒカルにとって、アキラは大恩ある塔矢家のひとり息子で、将来有望なプロ棋士さまだ。

 単なる居候にすぎない自分とは、決してつりあわない…と、芽生えたばかりのあわい恋心を、胸の奥底に閉じ込めるしかなかった。

「祝福のキス…なんて、簡単に言うくらいだから、冗談だったんだろーな。それとも、キスなんか挨拶がわりってゆーくらい慣れてんのかな」

「若手有望株のプロ棋士だもんなー。社会人だもんなー。大人だもんなー…」

 いずれにしても、本気でアキラに恋してはいけない……。それが、ヒカルの出した答えだった。



 長いぞ、長いぞ。リク作品なのに、このだらだらした長さは、いったいなんなんだ〜(汗)。

 次回は「ヒカル、棋院へ行く」の巻です。




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