「ただいま」を永遠に(7)

 この作品は、沙里さまのリクエストをもとに書かせていただいたものです。


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 ヒカルは外来予選を見事な成績で通過した。

 さらに本戦でも、現在21勝0敗という好成績で、トップをキープしている。

 セーラー服ではないものの、華奢な身体に少年のような服をまとって手合いに臨む凛々しい姿に、棋院関係者やお抱えの記者たちは、碁界のニューアイドル誕生を妄想して、鼻の下をのばしているようだ。



 その日のヒカルの対戦相手は、院生だった。

 奈瀬明日美という、ヒカルより少し年上の少女だ。

 以前からアキラに好意を寄せている彼女にとって、ヒカルの存在自体、不愉快なこと極まりない。

「あなた、塔矢先生のお宅に、ごやっかいになってるんですってね」

 打ちかけの合図とともに、彼女は口をひらいた。

 屈折した羨望感が、彼女に盤外戦をしかけさせたようだ。

「え? ああ、うん。親が事故で死んじゃって。今、先生のとこに居候させてもらってるんだ」

 なんでもないことのように答えるヒカルの口調に、明日美は少々拍子抜けしたが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「ふ、ふうん。それで、それを口実に、塔矢七段を誘惑してるってわけね」

「塔矢七段…? ……ああ、アキラのことか」

 段位で呼ばれても誰のことかわからず、ヒカルは5秒ほど逡巡してからつぶやいた。

 憧れの棋士を呼び捨てにされて、明日美が怒りにうち震えているあいだに、会話を聞きつけた他の受験者が集まってきた。

 おもに男性である。

 塔矢家と何やら関係がありそうだと噂には聞いていたが、実際のところはどうなのか。

 塔矢アキラの婚約者というのは本当か。

 プロ試験合格という狭き門をめざすライバルであるはずのヒカルに、ライバル心以外の感情をもつオトコたちが色めきたっていたのだ。

「ヒカルちゃん。塔矢アキラの婚約者って本当?」

「一緒に暮らしてるって聞いたけど…」

「塔矢先生の奥さんが、ヒカルちゃんに嫁入り修行させてるんだって?」

「藤原佐為先生が仲人をするって、本当かい?」

「ヒカルちゃん自身は、塔矢アキラのことをどう思ってるの?」

 矢継ぎ早にくり出される質問に、ヒカルはもとより、明日美もタジタジだ。

「え? オレはただの居候だよ。先生にもおばさんにも、すごくよくしてもらってるけど…。婚約者だなんて……アキラに悪いよ」

 最後のひとことをつぶやきながら、ヒカルの瞳が寂しそうに笑ったことに気づいた者はなかった。

「じゃあ、ヒカルちゃん、今、フリーなんだね!?」

「塔矢家に嫁入りするって決まってるわけじゃないんだ。そっか、そっか…」

 一様にどよめきたつオトコたちに、ヒカルと明日美は顔を見合わせて、呆れたようにため息をついた。

「オトコって、ほんと、どいつもこいつも…。あーあ。塔矢七段みたいなステキな人って、なかなかいないのよねえ…」

 明日美の独白に、ヒカルはうんうんとうなづいた。

「アキラみたいにカッコよくて、碁も強いヤツ、なかなかいないもんな。モテるんだろーなー…。彼女とか愛人とか、いっぱいいるんだぜ、きっと」

 愛人発言にぎょっとなりながらも、明日美は断言した。

「そんなの嘘よ。塔矢七段は女の子たちに告白されても、ぜんぜんなびかない孤高な紳士なんだから」

「紳士にしちゃあ、すぐにオレの肩とかに手を…っとと」

 アキラに憧れている明日美に、これ以上睨まれてはかなわないと、ヒカルはあわてて自分の口を押さえた。

「嘘でしょーーーっ!! あの塔矢七段がーーーーーっ!?」

 明日美の叫び声が、対局室中に響き渡った。

 やがて周囲の視線に気づくと、明日美はヒカルを部屋の外へと引っぱっていった。

「やっぱり、塔矢七段とあんたって…」

 明日美に襟首をつかまれて、ヒカルはぷるぷると首を振った。

「違うって〜。あいつにとって、オレは妹みたいなもんなんだよ〜」

 ヒカルは自分の言葉が、胸にすとんと落ちてきたのを感じた。

「そっか…。オレ、妹なんだ…」

 悲しげに笑うヒカルに、明日美もそれ以上何も言えず、「午後…負けないからね」と言い残して去っていった。

 のちに大親友となるふたりの少女の長いつきあいは、こんなお粗末な盤外戦から始まったのだった。






 30戦近いプロ試験が終わった。

 ヒカルは1敗したものの、見事に合格を果たした。

 ヒカルが負けたのは、明日美と一悶着あったあの日だけだった。



「おめでとう、ヒカルさん」

「おめでとう、ヒカルv」

「おめでとう。だが、これからが本番だ」

 塔矢家では、ヒカルの合格を祝って、ささやかなパーティーが開かれていた。

 明子が腕をふるったご馳走を前に、ささやかなどと言ったらゲンコツが飛んできそうだが。

「ありがとう! みんなが応援してくれたおかげだよ。先生、おばさん、アキラ。ほんとにありがとう!」

 未成年のアキラとヒカルはアルコール抜きだが、行洋と明子はフルボトルのワインをあっというまに空にして、今度は日本酒の一升瓶を半分ほどあけつつあった。

「そうだわ。酔っ払ってしまわないうちに言っておかないと」

 まだ酔っていないのか、明子よ。

「あさってから、お父さんとふたりで韓国に行ってきますから。お留守番をお願いね」

「韓国?」

 ヒカルがきょとんとした顔でたずねる。

「韓国棋院の催し物に呼ばれてね。5日ほど行ってくる予定だ。『ふたりで』しっかり留守番しているようにな」

 湯飲みになみなみと注がれた酒をあおりながら、行洋は意味深に答えた。

 心臓は大丈夫なのだろうか。

「たかが5日間ぐらい、ちゃんと留守番できるって。な、アキラ」

 ヒカルが振り返ると、例によって鼻を押さえたアキラの姿があった。

 今日は、胸のあたりも押さえているようだ。

(ヒカルとふたりっきり…)

 千載一遇のチャンスを前に、行洋ではなくアキラの心臓が悲鳴をあげたのだった。






 その夜。

 行洋と明子は鼻歌をうたいながら、旅行の荷造りをしていた。

 恐るべき酒豪である。

「アキラさんとヒカルさんが、この家にふたりっきりv」

「いくら奥手なアキラでも、この機会を逃すことはあるまい」

「きっとヒカルさんに告白するはずよ。それより…うふふ。間違いでも起こってくれないかしらv」

「いくらなんでもそれは…」

「あら、あなた。お顔に『押し倒せアキラ』と書いてありましてよ?」

「……///」



 アキラは自室でノートをひろげ、「告白・その策略と展望」という、哀れみを誘うタイトルの台本を書いていた。

 ヒカルはベッドに横になり、「アキラとふたりっきりか…。ちょっと緊張するな///」と、いつになく乙女な思考を展開させていたのだった。



 いよいよ、ホームドラマ脱却なるか!?

 次回、最終話です。




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