THE・都市伝説(2)  (キリリク「THE〜」シリーズのふたりです)

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 ヒカルが、親元を離れて、マンションで一人暮らしを始めた。

 恋する健全な青少年アキラにとって、「一人暮らし」という言葉は、魅力的と表現してあまりある。

 いくら高収入な若手実力派棋士とはいっても、毎度の逢瀬に都心の高級ホテルをリザーブするには限度があるし、両親の留守を狙って恋人を自宅に招くのも少々落ち着かない。

 休前日に限らず一年中でも入り浸りたい、合鍵が欲しい、もしくはそのまま同棲、さらには結婚に突き進んでしまいたい……アキラの正直な胸の内である。

 だが、ふたりのスケジュールがあわず、なかなかヒカルの部屋を訪ねる機会はやってこない。

 さすがのアキラも、初回から強引に押しかけるわけにいかず、うずうずしながらも我慢強く待っていたのだが、こういうときに限って、ふたりが揃って休みという日に恵まれない。

 一週間経っても。

 二週間経っても。

 一ヶ月を過ぎた頃、ようやくオフの日がかさなった。

 アキラが狂喜乱舞したことは、想像に難くない。

 待ちに待ったその日。

 引越し祝いにと、グリーンの鉢植えを携えて、アキラはヒカルのマンションを訪問した。






 ヒカルの住むマンションは、日本棋院会館まで乗り換えなしで行ける私鉄沿線にあった。

 地下鉄と相互乗り入れしている利便性の高い沿線ではあるが、それほど家賃は高くないという。

 間取りは1LDK。

 ベッドと洋服ダンスだけを置いた寝室は、文字通り、寝るだけの部屋だ。

 テレビを見たり、食事をしたり、漫画を読んだりするのは、ダイニングを一続きになっているリビングルームである。

 碁盤もここにある。

 アキラは、その陽当たりのよいリビングに通された。

「昼メシまだなんだろ? 今、用意してるからさ。そのへんに座っててくれよな〜」

 キッチンの暖簾ごしに、ヒカルの声が聞こえる。

 アキラは碁盤の前に座り、クッションに身を預けた。

 碁盤には直射日光があたらないように配慮されているが、座るアキラの背には、ぽかぽかとした陽光が降り注ぎ、なんとも心地よい。

 キッチンのほうからは、味噌汁の匂いと包丁の音。

 時折、ヒカルの鼻歌も聞こえてくる。

「こんな生活をしてみたい……」

 アキラは、ふたりの将来を妄想して、うっとりと目を閉じた。






「じゃじゃじゃじゃーーーーん♪」

 得意気な声に、アキラは目をあけた。

 すると、小さなちゃぶ台の上に、食事のしたくが整っていた。

 少しどころではなく焦げた卵焼き。

 素材がわからないほど、原型を留めていない具の入った味噌汁。

 唯一まともに見えるのは、茶碗に盛られた白いご飯くらいだ。

 だが、恋は盲目とは、よく言ったもの。

 アキラの目には、高級料亭で出される料理よりもすばらしく見えた。

「すごいな。これ全部、キミが作ったのかい?」

「へへっ。初めて作ったから、あんまりうまくできなかったけど」

 ヒカルは、一人暮らしを始めてから一ヶ月のあいだ、外食やコンビニ弁当で済ませていたのだという。

 今日は、アキラが部屋に来るということで、特別に料理をしてみたのだと、恥ずかしそうに打ち明けた。

 アキラが喜ばないわけがない。

 目を閉じ、天井を向いて拳を握りしめ、感動に打ち震えている。

「さめないうちに食おうぜ」

 ヒカルに勧められて、アキラは箸を持った。





 焦げた卵焼きのなかからは、殻のカケラがいくつも出てきた。

 甘い卵焼きを作ろうとしたのか、砂糖の味しかしない。

 味噌汁は、むせるような塩辛さが特徴的すぎて、具の切り方がいびつなことなど、可愛らしいくらいだといえよう。

 アキラに勧めながら、自分も箸をつけていたヒカルは、あまりにも壮絶な味に、ぺっぺっと吐き出した。

「なにこれ〜。超まず〜」

 ヒカルはお茶で口を漱ぎながら、アキラをちらりと見た。

 ここまで失敗しては、アキラの反応など、見るまでもなかったかもしれないと思いつつ。

 だが、予想に反して、アキラは嬉しそうに卵焼きを食べ、味噌汁を飲んでいるではないか。

「おい、塔矢。イヤだったら、無理して食わなくていいんだぞ」

 ヒカルはアキラを気遣って言ったが、アキラは「キミが作ってくれたものを残すなんて、もったいない」と、にっこりと微笑むばかりだ。

 その口のなかから、たまに聞こえてくる「じゃりじゃり」という音が、あまりにも物悲しい。

 ヒカルは気づかなかったが、アキラの額から首すじにかけて、暑くもないのに汗が流れている。

 アキラの頭のなかでは、「据膳食わぬは男の恥」という懐かしい言葉が、ぐるぐるとまわっていた。

 女性からの色っぽい誘いを断ってはいけないという、江戸時代のダンディズムを表現したもので、「男なら出されたメシは黙って食え」という話ではない。

 しかし、女性に恥をかかせてはいけないという意味においては、まったく関係がないとも言い切れない。

 据え膳どころか、饐え膳に近い味ではあったが、アキラは、黙々と食べ続けた。

 ところが、白いご飯を口に入れたとき。

 さすがのアキラも、箸を取り落とし、手で口を覆ってしまった。

 破壊的な、という形容詞が、料理にふさわしいこともあると、初めて知った瞬間だった。

「し…進藤……。このお米、なんだかおかしくないかい?」

 あくまでも、ヒカルのせいではなく、材料が悪いのだと、フォローする姿勢が涙を誘う。

「え? そうか? 昨日、スーパーで買ったばっかだし、炊く前に、ちゃんと洗剤で洗ったんだけど……」

 ヒカルは自分の人差し指を頬に立て、首をかしげた。

 その愛らしさゆえに、アキラは、言えなかった。

(……お米を洗剤で洗ってはいけないよ)







 それ以来、ヒカルの部屋に行く前には、必ず食事を済ませることが、アキラの習慣となった。

 



 元ネタの都市伝説は、「お米を洗剤で洗う新妻」です。

 途中の「据え膳」と「饐え膳」のシャレは、ヒカルが冷蔵庫の残り物で味噌汁を作ったことにしようかなと、思いついたことの名残りです。

 だけど、初めての料理なのに、残り物があるのもおかしいし。

 ちょっと中途半端でしたな(苦笑)。

 ヒカルには、お酢を使わなくても、酸っぱいおかずが作れちゃいそうなイメージがあります。

 酢豚の絶妙な酸味を誉められて、「オレ、お酢なんか入れてないぜ?」とかなんとか。

 なにはともあれ、ヒカちゃんの一人暮らし設定ができたので、これからもちょくちょく出てくるかも。←他人様からのネタなのに(滝汗)

 

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