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『U・H・P』 ー日本棋院の七不思議ー
| UHP 【ゆー・えいち・ぴー】 「嘘八百」の頭文字を取ったもの。 書簡や記事などの内容がフィクションの域を大きく逸脱し、誰の目にも捏造であることが明らかになった状態を表す。 赤文字で表記した場合、「真っ赤なウソ」という意味になる。 社会での認知度が極めて低い表現であるため、使用には慎重を要し、とくに、同人誌のタイトルへの使用は控えることが望ましい。 がびがび雑学辞典第二版第4刷(増補)1192ページより抜粋 |
そして、さらに一か月が経過した。 ヒカルは、いつものように、棋院会館の売店で「GO☆コミュニケーション」を立ち読みしていた。 「…………あれ? おかしいな」 雑誌を半分ほどめくったところで、ヒカルは首を傾げた。 「載ってないじゃん。棋院の七不思議」 最後のページまで探してみたが、どこにも見当たらない。 「とうとうネタが尽きたのかな。まあ、なんとなく先細りな感じだったしな。ちぇ、つまんねえの」 しかたなく、パラパラと適当に斜め読みしていく。 なんだかんだ言って、実は、この特集を楽しみにしていたらしい。 ヒカルは知らないようだが、実は、「棋院の七不思議」シリーズには、ちゃんと続きが用意されていた。 だが、あまりにも捏造色が強かったため、さすがの「GO☆コミュニケーション」編集部も、掲載するのを躊躇したというわけだ。 ちなみに、第五回は「トイレの花子さんは棋院にも出没していた!」、第六回は「数えるたびに段数の違う階段」、第七回は「夜中に彷徨う本因坊秀哉の胸像」である。 とくに、第七回あたりのネタをヒカルが聞いたら、「胸像が歩くわけねえじゃん。空を飛ぶとでも言われたほうが、まだ信じられるぜ」と、捏造に一役買ったことだろう。 「ここにいたのか、進藤」 例によって、無駄にさわやかな声音で呼びかけてきたのは、言うまでもなくアキラだった。 「またそんなくだらない雑誌を読んで」 あきれたように息を吐くアキラに、ヒカルは、「とーやぁ。棋院の七不思議、終わっちまったみたいなんだ」と、訴えた。 「あんな作り話、どうだっていいじゃないか」 当然といえば当然だが、アキラは取り合わない。 「だけど、ああいうバカバカしい記事って、そうそうないぜ。とくに囲碁がらみの雑誌でなんてさ」 不満そうに鼻を鳴らしながら、ヒカルが雑誌を棚に戻したちょうどそのとき。 二人の横を、大量の紙の束を抱えた女性職員が通りかかった。 「すっげえ量だな。なんだろ、あれ」 「ちらっと見えたけど、アマチュアの大会の配布書類だったみたいだよ」 高さ五十センチはありそうな書類の束に、手伝うべきかと二人が考えあぐねていると、ふいに現れた御器曽七段が、女性職員を呼びとめて、何やら話を始めた。 「うっわ。あんなに重たいもん運んでるってのに、ひどいなあ、あいつ」 「相手がベテラン棋士じゃ、彼女も無碍にできないだろうし。気の毒に」 何を話しているのかはわからないが、ずいぶんと長引きそうな雰囲気だ。職員は、抱えた荷物の重さに、腕をプルプルと震わせている。 「御器曽のジジイめ……空気読めよな、まったく」 ヒカルは職員に駆け寄り、書類の束の上半分を譲り受けた。 「ほら塔矢。もう半分持てよ。なあなあ、コレ、どこに持ってけばいいの?」 言葉の前半はアキラに、後半は職員に向かってのものだ。 「上の資料室ですけど……お願いしちゃっていいかしら」 職員は、恐縮と安堵が入り混じった表情で尋ねた。 「いいって、いいって。おっと、いけね。資料室ってことは、鍵が必要じゃん」 抱えた書類の上に、鍵を置いてもらって出発だ。 「よし、行くぞ、塔矢」 「ああ……ちょっと待って、進藤」 先導するヒカルに追いつき、アキラは、ヒカルの腕のなかから、書類を半分ほど引き受けた。なかなかのフェミニストぶりである。 「幽霊の出る資料室かあ。懐かしいなあ」 エレベーターから降りて、廊下を歩きながら、ヒカルは、小声でつぶやいた。 「幽霊? また例の雑誌かい?」 怪訝そうに尋ねるアキラに、ヒカルは「なんでもねえよ」と、秘密めいた笑みをもらした。 文字どおり、古い棋譜や書簡を所蔵している資料室は、明かりをつけても薄暗い。 紙が焼けるのを防ぐためか、節約のためにワット数の低い蛍光灯を使っているためか、定かではないが、少なくとも幽霊騒ぎをほのめかすためでないことは確かだろう。 「よっこらしょ、と」 あいているスペースに書類を置き、トントンと腰を叩く。 「埃っぽいけど、魅力的な部屋だなあ」 「ああ。先人たちの優れた棋譜が、たくさん保管されているからね」 二人は、手伝いの駄賃とばかりに、古い紙の匂いに包まれた棋譜集を手に取った。 なかよく床に座り込み、時間の経つのも忘れて棋譜に見入っていたが、ヒカルが座ったまま、棚にある棋譜を取ろうとしたとき、事件は起こった。 「あとちょっと……うーん、届かねえなあ……っと。うおおおぉぉぉっ!?」 ばさばさばさ☆ 積み重ねられていた棋譜集が、雪崩のように棚の上のほうから落ちてきてしまったのだ。 「あーあ。やっちまった」 「まったく……不精しようとするからだ」 二人は床に散乱した棋譜集を拾い、元の位置に戻すべく立ち上がった。 「だけど、これ。どういう順番で並んでたんだ?」 「時代別・棋士ごとに整理されていたみたいだよ」 アキラが、てきぱきと棋譜集を並べていく。 草書体で書かれた表紙の文字に、手も足も出ないヒカルは、アキラの作業を見守ることしかできない。 ヒカルの出番は、その直後にやってきた。 天井まで届こうかという棚の高い位置へ棋譜集を戻すには、踏み台か脚立が必要だ。だが、資料室には、そのどちらも見当たらない。 「塔矢、ウマになれ」 「……はい?」 ヒカルは、アキラに四つ這いになるように言ったが、アキラは、その場で固まり、ヒカルを凝視した――――正しくは、ヒカルの太もものあたりを、だ。 「し、進藤。キミ、今日、す、す、スカートじゃないか!」 ヒカルの今日の服装は、めずらしいことに、デニムのミニスカートである。 (そんな格好で、ボクの上に……!?) 「届かないんだから、しょうがねえだろ」 アキラの動揺をよそに、ヒカルは、さっさとスニーカーを脱ぎ、アキラを突き飛ばして四つ這いにさせた。 「よし。これなら手が届くぞ。塔矢、これ、どこに戻せばいいんだ?」 棋譜集を手に、ヒカルはアキラに尋ねた。 ヒカルが持っている棋譜集のタイトルを確認するために振り返ったアキラの目に飛び込んできたのは――――スラリと伸びた眩しい太ももと、その先にチラリと見え隠れする小さな白い布。 「い、今、き、き、キミの右手の近くにある……そ、そう! その棚だ」 めったにないシチュエーションに、アキラの鼓動は高鳴ったが、あらぬところが自己主張を始めそうで、そうそう堪能してもいられない。 「オッケー、ここだな……っとと。動くなって言っただろ!」 ヒカルは、バランスを崩して、あわてて棚板につかまった。 「そ、そんなこと言ったって」 アキラは、床に四つ這いになった無理な姿勢のまま、振り返っているのだ。しかも、バクバクと忙しい心臓やら何やらを宥めながらの大仕事だ。多少、背中が捻じれてしまうのは仕方がない。 「もう〜、頼むぜ。次だ、次。塔矢、これは?」 「それは……さっきより一つ上の段の……そう、そこ」 「えーっと、ここだな? ……ぶはっ、マジかよ。クモの巣だぁ。ぶへぇ〜、口に入っちまった」 ヒカルは、ペッペッと、クモの巣を吐き出した。 「ふはあ。まだ、口に残っへふ……」 「いいからっ……早くしてくれ……」 背中に乗っているのが小柄なヒカルだとは言っても、固い床の上に長時間ウマになっているのは辛い。ヒカルの体重プラス湿気を吸った棋譜集の束の重みに、アキラの声が、少しずつ震え始めた。 「れも、ほんなこと、言っらっへ……。口のなかは、気持ひ悪いひ、オマエは、ぐにぐに動くひ……」 アキラに催促されたところで、足場の悪いところで、口に入ったクモの巣と格闘しながら作業するヒカルの動作は、緩慢になりがちだ。 「……ぺっぺっ。えーっと、このへんらっけ?」 「違うっ……そこじゃない。…………はあはあ……その棚じゃ…なくて……くっ。そう……そこっ……」 「ここ? さっきの棋譜の右でいい?」 「ああ…そうっ、もう少し右だ……うっ、そこだ、そこでいい……っ!」 『…………はあはあ………そ…じゃ………なくて……くっ。そう……そこっ……』 『ここ? …………いい?』 「ああ…そうっ、もう少し…………うっ、そこだ…………いい……っ!』 「……っていう声が聞こえたんだそうだ」 「へえ。誰もいない資料室でねえ。本当は、誰かいたんじゃないのか?」 「いいや。あそこは、いつも鍵がかかってるんだ」 「無人の部屋から、そんな声が聞こえたなんて……まさか、幽霊じゃ……」 ヒカルとアキラが、時ならぬ棋譜整理に追われていたとき、資料室の前を、たまたま誰かが通りかかったらしい。 「なんでも、片方は、くぐもった女の声で、何かを咥えてるような感じだったっていう話だ」 「もう片方は男で、なんというか、こう……耐え切れないような、切羽詰まった声だったらしい」 「えっちな恋人たちの幽霊が出る資料室か。いやはや、なんとも」 …………噂というものは、得てして尾ひれがついて広がるものである。 この話は、棋士たちのあいだに口コミで伝わり、やがて、「八番目の不思議」として定着した。 幸か不幸か、「GO☆コミュニケーション」の特集記事は打ち切りとなったため、世間に広まるこ とはなかったけれど。 おしまい |
2008年6月のイベントで配布した無料本のリサイクルです。
2009年3月21日