七星さまからのリクエスト作品
勝利の女神 前編
プロ棋士のプロ棋士によるプロ棋士のための大運動会が開催されることになったのは、今を遡ること四十余年。1964年のことである。 脳も身体の一部であるから、それを極限まで酷使する囲碁はスポーツである…と定義する向きもあるが、実際のところ、首から下の運動不足は否めない。 折りしも、東京オリンピックの開催を控え、世間は、沸きに沸いていた。 にわかスポーツ熱に便乗して、日頃の運動不足を解消すべく、棋士たちが運動会をやろうと言い出したのは、ごく自然なことであった。 それ以前にも、日本棋院と日本将棋連盟の有志による野球大会は行われていたが、所属棋士全員参加の大イベントは、これが初めてである。 この記念すべき第一回大運動会の、大会委員長とMVP選手の名は、日本棋院会館の地下にある「囲碁殿堂」の金字塔に刻まれ、棋士たちの心の奥で、今なお燦然と輝き続けている。 さて。 日本を代表する学校行事である運動会は、ここ数年、秋から春へと、開催日程をシフトさせつつある。 とくに、棋士たちの目にとまりやすい首都圏では、この傾向が顕著であったため、棋士たちが「運動会は春にやるのが流行の最先端なんだ」と勘違いするのに、そう時間はかからなかった。 かくして、第四十三回日本棋院大運動会は、澄み渡る皐月の空の下、東京郊外にある某私立大学のグラウンドを借り切って、開催される運びとなったのである。 所属棋士全員というからには、当然、我らが進藤ヒカルも参加する……と、思いきや。 「どうしてオレは参加できないんだよ!」 当日、半袖の体操着&短パンという、気合い十分な姿で現れた進藤ヒカル18歳は、桑原大会委員長に、猛然と抗議した。 桑原は、片方の眉をにやりと吊り上げ、ヒカルに向かって言い放った。 「嬢ちゃんは本因坊戦の挑戦者じゃからの。万が一、怪我をして、対局に差し支えては大変じゃ」 確かに、ヒカルは、二度目の本因坊リーグを勝ち抜き、史上何番目かに若い挑戦者になったばかりだ。 運動会の翌週から始まる本因坊戦に備えて、現役本因坊と挑戦者は、この運動会に参加できない規約になっているのだが、ヒカルはそれを知らなかったらしい。 「そんなあああぁぁぁ。毎年、すっげえ楽しみにしてるのに……」 がっくりと肩を落とすヒカルを慰めるように、桑原は、まなじりを下げた。 「まあまあ。落胆するでない。ワシだって出たいのはヤマヤマじゃが、こうして大会委員長で我慢しておるではないか」 来週から始まる本因坊戦で、ヒカルと対局するのは、何を隠そう桑原本人である。 ……ちなみに、自身の年齢をかえりみない桑原の「出たがり根性」を憂慮する棋士会のお歴々が、よくぞ現役の本因坊でいてくれたことよと、人智を超越した何かに感謝していることを、本人は知らない。 「なーに。嬢ちゃんには、嬢ちゃんにしかできない役割を、ちゃーんと用意してある。ほれ、早く、これに着替えてくるんじゃ」 桑原は、ヒカルに紙袋を手渡した。 「??? なにこれ」 ヒカルが袋のなかを覗くと、なにやら煌びやかな色取りの衣装が入っているようだ。 「おお、そろそろ選手宣誓が始まる頃じゃの。ほれ、嬢ちゃん、早く着替えてこんか」 まったく返事になっていない言葉を残し、桑原は、ビデオカメラの設置状態を確認すべく、大会本部の脇へと向かってしまった。 「なんか、イヤ〜な予感がするんだよなあ」 ヒカルは、紙袋を抱えて歩きながら、背筋にぞわりと這い上がるような何かを感じたのだった。 今年、選手宣誓の大役を仰せつかったのは、新入段の棋士。 院生順位一位で、トップ合格を果たした16歳の高校生だ。 「せ、宣誓! 我々日本棋院所属棋士一同は、本日限定のスポーツマンシップにのっとり、日頃の運動不足を解消し、更なる囲碁の研鑚に励むべく、正々堂々と戦うことを誓います! 平成十八年……」 内容に、少々不可解な部分はあるが、これは、伝統として受け継がれてきた常套文句なので、気にしてはいけない。 右手を高々とあげてスタンドマイクに向かった彼の声が、見事にひっくり返っていたのも、お約束だろう。 先輩棋士とその家族、あわせて約1200名が見守るなか、文字通り、一生に一度の大舞台だったのだから。 さて、選手宣誓のあとは、競技が始まるのが通例だが。 今年は、「選手宣誓その2」が存在した。 ずらりと並んだ棋士のなかから、黄色いネッカチーフを巻いた者たちが、列を飛び出し、我先にと、前に出てくる。 その数、およそ70名。 全員が一斉に右手をあげて叫ぶ。 「「宣誓! 我々『進藤ヒカル狙いの棋士一同』は、数々の競技種目を、全力を以って戦い抜き、並みいるライバルたちを倒し、MVPを獲得した暁には、賞品である進藤ヒカルと、誰もが羨むような、幸せな家庭を築くことを誓います!」」 一糸乱れぬ呼吸で宣誓を終えると、『進藤ヒカル狙いの棋士一同』は、「賞品ひな壇」の最上段にいるヒカルへと、熱いまなざしを向けた。 「ちょっと待て、こらあああぁぁぁぁっ!!!」 桑原から渡されたチアリーダーのコスチュームに身を包んだヒカルの怒鳴り声は、観客たちの大声援のなかに吸い込まれて、誰の耳にも届かなかった。 この『進藤ヒカル狙いの棋士一同』のなかには、みなさまよくご存知の塔矢アキラも、当然のごとく名を連ねていた。 まだ小学生だった頃の運命的な出会い(アキラ談)から6年4ヶ月。 熱い恋心ばかりが空回りして、ベタな告白文句「好きだ」の「す」の字も口にできなかったへタレアキラにとって、この運動会は、千載一遇の大チャンスだ。 「進藤! キミが本因坊挑戦者になったときから、ボクは、今日という日を待っていたんだ。ボクは勝つ! 必ずMVPを獲得して、キミと幸せな家庭を築いてみせる……!」 卒業して久しいはずの海王中学のジャージ(ゼッケンつき)を着用し、襟元に黄色いネッカチーフを巻いたアキラは、ヒカルに向かって熱い視線を送る棋士たちを見回すと、彼らよりもさらにイヤらしい目をして、拳をぐっと握りしめたのだった。 つづく |
ヘタレアキラさん、大活躍なるか!?
がびは運動会を知らないので、妄想と捏造でお届けします。
リクエストの詳細は、完結後に。
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