ひすいさまからのリクエスト作品

あいあい傘の向こう側

お戻りの際は窓を閉じてください






 別に約束してるわけじゃないけど、自然と足が碁会所に向かっちまうんだよな。

 中学生の頃からずっと通ってる、塔矢のおやじさんの碁会所。

 今日も、家で昼メシ食ってすぐに、電車に乗っちまった。

 条件反射みたいなもんかな。

 もう10年近く続いてる習慣だし。

 だけど、最近、あそこに行くの、イヤなんだよな。

 3ヶ月前、あいつに告白されたんだけど、それ以来、お客さんとか市河さんとかが、ひやかすような目で見てるような気がしてさ。

 ちょっと恥ずかしいっての?

 なんなんだよ、まったく。

 どうして、オレが恥ずかしがらなくちゃなんねえんだよ。

 塔矢が勝手に、オレのことが好きだとかなんとか言ってきただけなのにさ。

 そりゃあ、オレだってもうハタチだし?

 この年で、彼氏のひとりもいないなんて、自慢にもなんにもなんねえから、とりあえずオッケーはしたけど。

 ……したけどさ。

「進藤くん。残念だけど、今日はアキラくん来てないのよ」

 って、市河さんに言われたり。

「よう、進藤。若先生と同伴出勤か? ありがたいと思えよ」

 って、北島さんに言われたり。

 とくになんにも言わないけど、広瀬さんだって、ニヤニヤしながらオレのこと見てるし。

 塔矢も塔矢だよ。

 棋院でも碁会所でも、初めて入ったレストランでも、「ボクたち、おつきあいしてます」って、誰彼かまわず言いふらしやがるんだもん。

 ほっといたら、そのうち、新聞に全面広告でも出しちまうかもしれねえって感じ。

 なんか、うぜえんだよな。

 塔矢とつきあい始めたからって、オレはオレなのに。

 なんにも変わっちゃいないのにさ……。










 そんなことを考えながら電車から降りて、改札を出たら、雨が降ってた。

 あーあ。

 オレ、傘持ってこなかったのに。

 まあ、そんな激しい雨じゃないから、まあいいか。

 碁会所は、すぐそこだし。

 とりあえず、行くか。



 駅前の商店街は、軒が張り出してるから、そんなに雨はかからない。

 だから、オレは走ったりしないで、ぼちぼち歩いていくことにしたんだけど。

 ………………。

 オレは、目の前の光景が信じられなくて、その場でうしろを向いた。

 そんで、走って駅まで逆戻りした。








 碁会所までもうすぐっていうところで、よく知ってる顔が見えたんだ。

 塔矢だよ。

 あいつの横顔が見えたんだ。

 雨が降って、湿気も多いはずなのに、憎たらしいほどサラサラした黒髪をなびかせて。

 ピンク色の花柄の傘をさして。

 となりに、知らない女の人がいて。

 塔矢が手前にいたから、その人の顔までは見えなかったけど、スカートをはいてたんだから、普通に考えれば、女の人に間違いない。

 それでさ…………あいあい傘してたんだ。

 なんの話をしてたんだか知らねえけど、楽しそうに笑ってやがったんだ。

 ムカつく ムカつく ムカつく ムカつく…………っ!

 オレのことが好きだって言ったのは、なんだったんだよ。

 あいつの十八番かもしれないけど、今日はオレが言わせてもらうぞ。



 ……ふざけるなっ!!!








            ○     ●     ○     ●     ○








 あれから、塔矢のおやじさんの碁会所には行ってない。

 ちょっとあいだをあけちゃうと、なんとなく行きづらくなるんだよな。

 そういうことってない?

 ……つーか、それは言い訳だな。

 ほんとはさ。

 オレ、こないだのこと、マジで引きずってるのかもしれない。

 だって、あの塔矢が、だぜ?

 ひとの顔見るたんびに、でれんでれんにニヤけてやがった、あの塔矢が、だぜ?

 つきあい始めた頃、「ボクは、ぜっっっっっっっっったいに浮気はしない!」って、選手宣誓みたいにクソ真面目に言いやがった、あの塔矢が、だぜ?

 他の女の人と、あいあい傘なんかしてたんだ。

 浮気はしないってんなら、それって…………本気ってことじゃんか。

 はあああぁぁ……。

 オレ、フラれちゃったのかなあ。






 あれ?

 なんだよ、オレ。

 碁会所に向かってるじゃんか。

 ってゆーか、もう改札出てるし。

 ちょっと物思いってやつにふけってたら、これだもんな。

 オレって、けっこう女々しいかも。

 しかも、こないだみたいに雨まで降ってきたし。

 踏んだり蹴ったりってやつ?

 あーあ。

 さっさと帰ろっと。






「……進藤くん?」

 あ。

 市河さんだ。

 こんなとこで会っちゃったら、碁会所に行かないわけにいかないじゃん。

「久しぶりね。今日は碁会所に来てくれるの?」

 市河さんは、笑顔全開で訊いてきた。

 悪気がないのはわかってるけど、かなり痛い。

「うーん…………市河さんは? どっか行くの?」

 答えるのは後回しにして、オレは市河さんに訊き返した。

 うまいぞ、オレ。

「ううん。お茶のはっぱを切らしちゃって、買いに行ってたの。これから碁会所に戻るところよ。進藤くんも、一緒に行きましょ」

 げ。

 やぶへびだったかも。

 行かない…って断る口実を探してたら、市河さんが、傘をさしかけてきた。

「進藤くん、傘持ってないんでしょ? 濡れちゃうわよ」

 そう言いながら、足は当然のように、碁会所に向かってるし。

 ヤバい。

 これじゃあ、断れないよー。






「うふふ。今度は、進藤くんと、あいあい傘か」

 はあ。

 市河さんってば。

 悪気がないのは、わかってる。

 わかってるんだけど、今、いちばん聞きたくない言葉だよ、それ。

 ……って、あれ?

 今、市河さん、「今度は」って言った?

 オレが、心のなかで、さっきの市河さんのセリフを思い出そうと必死になってると、市河さんが、さらっと言った。

「このあいだはね、アキラくんと、あいあい傘したのよ」

 な、な、な。

 なんだってえええぇぇぇっ!?

 そういえば、この傘……。

 ピンクの花柄だ。

「アキラくんは駅に向かうところで、私は銀行に行く用事があったの。ちょっとのあいだだったけど、いい思いさせてもらっちゃったわ」

 ………………そっか。

 そういうことか。

 あのとき、塔矢と一緒にいたのは、市河さんだったのか。

 はあ。

 オレは、市河さんのようすをチラっと見た。

 けっこう年上なはずなんだけど、いつまでたってもキレイなお姉さんだ。

 碁会所のアイドル的存在で、しっかり者だけど、お茶目でかわいいところもあって。

 塔矢の、うーんと小さい頃を知ってて。

 あいつの成長を、ずっと見守ってきた人。

 やさしくて、女らしくて、気配りも上手で。

 市河さんが相手じゃ……オレに勝ち目なんかないよな。

 はあ。

 なんか、力抜けちまったぜ。

 ……って、ちょっと待て。

 オレは、塔矢のヤツが、つきあってくださいって頼むから、仕方なくつきあってやってるだけじゃなかったっけ?

 なんで、こんなに気落ちする必要があるんだよ。

「進藤くん?」

 あ、やべっ。

 オレが黙ったまんまだったから、市河さん、びっくりしてるみたいだ。

「ごめん、市河さん。オレ、ちょっと用事を思い出した! 今日は帰るね」

 オレは、傘のなかから勢いよく飛び出した。

「ちょっ……、進藤くん!?」

 市河さんが、大声でオレの名前を呼んでるけど、とりあえず今は、この場から逃げたいような気がして、そのまま駅まで走っていくことにした。

 改札口は、すぐ近く。

 あっという間に着いちまった。

「……し…んどう?」

 ポケットからカードを取り出して、改札にかざそうとしたところで、今、一番聞きたくない声がした。

 タイミングの悪いヤツだな、ほんと。

 だけど、ある意味、ここで会ったが百年目って感じ?

 この際、ガツンと言っとかないとな。



「とう……」

「やあ、進藤。キミもこれから碁会所に行くのかい?」

 うっ。

 出鼻をくじかれた。

 やるじゃねえか、こんちきしょー。

「おい、とう……」

「奇遇だね。でも、ちょうどよかった。一緒に行こう」

 なに言ってやがる。

 オレは帰ろうとしてたんだっつーの。

「聞けよ、とう……」

「久しぶりだね、キミと碁会所で打つの」

 くっそー。

 あいかわらず、ひとりで突っ走りやがって。

 負けるもんか。

「おいってば、とう……」

「あ、雨だ。進藤、傘は?」

「へ?」

「持ってない? そう、それは大変だ」

 なんだ?

 こいつ、やけに嬉しそうだな。

「なあ、とう……」

「さあ、ボクの傘に入って」

 ………………。

 なんなんだよ、この期待に満ちた顔は。

 あいあい傘ができれば、誰だっていいのか?

 市河さんにも、オレにも、悪いと思わないのかよ。

「……んに頼めばいいだろ?」

「進藤?」

「市河さんに頼めばいいだろ!」

 ふん。

 塔矢なんか、もう知らねえよ。

 市河さんと、あいあい傘でもなんでも、なかよくやってりゃいいんだ。

「なんで、市河さんが出てくるんだ!?」

 不思議そうな顔してんじゃねえよ。

 ひらきなおりやがって、このヤロー。

「オレ、見たんだ。おまえと市河さんがあいあい傘してるの」

 ふふん。

 言い逃れできるもんなら、やってみろってんだ。

 だけど。

 なんか、胸のあたりがきゅ〜って痛いような感じがする。

 なにオトメ入ってんだよ、オレ。

 とにかく、弱気なとこ見せたら負けだ。

 ……いや、別に勝負でもなんでもないんだけどさ。



「なら、話は早い」

 はあ?

 なに言ってんだ、こいつ。

 オレに証拠を突きつけられて、血迷いやがったのか?

「このあいだ、たまたま傘を持っていないときに雨に降られてね。市河さんの傘に入れてもらって、そのとき気づいたんだ。恋人同士の必須行為であるはずのあいあい傘を、まだキミとしたことがないっていうことに」

 恋人?

 必須?

 なに恥ずかしいこと言ってんだよ。

「ひとつの傘をふたりでわけあい、雨に肩を濡らさないようにと、互いに身を寄せる……。古き良き時代の壁の落書きの代名詞でもあったあいあい傘は、まさに恋人たちの至高のひとときに違いない」

 力説してるぜ、こいつ。

 もっと他のことに頭使えよな。

 ……と、まあ、オレはかなり呆れモードだったんだけど。

「市河さんのおかげで、話に聞いたことがあった程度だったこの素晴らしい行為の存在を思い出した。これはぜひとも進藤と楽しむべきだと、雨が降るのを待ちわびて、今日のこの機会を楽しみにしていたんだ。ようやく念願が叶うときが来たよ」

 さあ、早く傘に入ってくれとばかりに、にこにこと笑う塔矢に、オレは何も言い返せなかった。


     たまたま傘を持っていないときに雨に降られてね

     これはぜひとも進藤と楽しむべきだと

     今日のこの機会を楽しみにしていたんだ


 …………なーんだ。

 全部、オレの勘違いだったのか。

 あれ?

 なんだ、なんだ?

 なんで、オレ、ほっとしてるんだ?








 碁会所に着いて、受付で荷物を預けるとき、市河さんが、オレの耳元でこっそり囁いた。

「ごめんなさいね。アキラくんは進藤くんの彼氏なのに、勝手にあいあい傘なんかしちゃって」

 オレが突然走って行っちゃったことで、オレの勘違いに気がついたらしい。

 市河さんは、申し訳なさそうに眉をさげた。

 いやいやいやいや。

 市河さんは、なんにも悪くない。

 オレが、ひとりで勘違いしてたんだ。

「とんでもない!塔矢が濡れないように、傘に入れてくれたんだろ? お礼を言いたいくらいだよ」

 オレは、ぷるぷると両手を振って、塔矢に聞こえないように小声で言った。

 市河さんは「どういたしまして」って、笑ったけど。

 今、なんか、ものすごく恥ずかしいことを口走っちゃったような気がしないでもないかもしれないような……。

 ほら、「いつも夫がお世話になってます」みたいな?

 うわあああぁぁぁぁぁ。

 これって、かなり恥ずかしいかも……。



「なにをしてるんだ? 早く打とう、進藤」

 いつもの席でこちらを向いて、にっこりと笑う塔矢が、なんだかすごくカッコよく見える。

 ヤバい。

 ヤバいぞ。

 オレ、もしかして……いや、もしかしなくても、塔矢のことが、すごく好きかも。

 そう思ったら、急に顔が熱くなってきた。

「今日はとことん打つぞ。さっさと握りやがれ」

 いつも以上に言葉が乱暴になっちまったのは、オレなりの照れ隠しだったんだけど、このことは、内緒にしといてくれよな?


                                        おしまい





ヒカちゃんの一人語りでお届けいたしました。

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