如果天空要下雨   第十七話








 館を取り巻く使用人たちがざわめいたのは、当然のことだろう。

 何事かと駆けつけてみれば、禁棋令の突然の廃止。

 彼らの反応は、さまざまだった。

 ただただ驚くばかりの者。

 禁棋令の原因や廃止の理由を、あれこれと想像する者。

 以前は碁に親しんでいた者も少なくないようで、大きくガッツポーズを決めている姿が、あちこちに見受けられた。

「進藤!」

 アキラは喜び勇んで、ヒカルの手を取った…………つもりだったが。

   すかっ

 アキラの手は宙を掻き、すでにヒカルは、明子に攫われるようにして、回廊に足を踏み出していた。

「さあ、わたくしの部屋へ行きましょう。さっそく囲碁のルールを教えてちょうだい。ヒカルさんは、甘いものはお好きかしら? おいしいお菓子があるのよ」

 強引にヒカルを引きずっていく母親の姿に、アキラは軽い眩暈をおぼえた。

「ちょっと待ってください、お母さん!」

 アキラはふたりの後を追いかけ、ヒカルの反対側の腕をつかんだ。

「進藤は今、ボクと対局していたんですよ。いきなり連れていかないでください」

「あら、もう石はくずれてしまったじゃない。残念でしたわね。もうアキラさんの番は終わりよ。ヒカルさんは、わたくしが借りていきます」

「いいえ。もう一度並べ直して、そこからまた打てばいいだけのことです。さあ、進藤。さっきの続きを……」

「アキラさんったら強引ね。ヒカルさんは、あなたの侍女なのでしょう? いつでも打てるじゃない。少しのあいだ、わたくしに貸してくださるくらいの鷹揚さはないのかしら」

 ああ言えば、こう言う。

 暖簾に腕押し、ぬかに釘。

 アキラは、自分の脳のどこかで、何かがぶちっと切れる音が聞こえたような気がした。

 血管か堪忍袋の緒か、それとも両方だろうか。

 いずれにしても、彼のそれらは、わりと容易に切れるらしい。

「進藤は物じゃありません! 貸すとか借りるとか、そんな言葉は使わないでください!」

 額に青スジを浮かべ、目を三角形に吊り上げ、口角に泡を飛ばして怒鳴る様子は、対局後の検討シーンと非常に似通っている。

 そして。

 勢いのまま、続けられた言葉は。

「進藤はただの侍女じゃない。ボクの大切なひとだ。ボクは……進藤が好きなんだ!」

 先刻の告白シーンが、衆目環視のなかで再現されたのだった。










 しんと静まり返ること十五秒。

 十六秒目に、にわかにどよめきが起こったが、ヒカルは、ぽけっと口を半開きにして呆けていた。

 たとえるならば、貴人の埋葬品として用いられる焼き物か、豊かな森に棲むという木の霊か。

 絵姿を紙に描くならば、目と口は、少しゆがんだ白い丸で表すのが正解だろう。

 口の端から魂が飛び出して、天にのぼっていくという比喩も、あながち誇張表現とは言えまい。

「好きだ」というセリフを中心とした、先程よりもストレートな告白に、ヒカルが現実逃避してしまうのも、無理はないだろう。

 声量も三倍増し。

 ましてや、明子をはじめ、大勢の使用人たちが見ている前とあっては、あまりにも居た堪れない。

 そのあたりの空気を読まないのが、塔矢アキラらしいというかなんというか。

 彼は、今度こそ、ヒカルに返事を迫ったのだ。

「進藤。キミの返事が聞きたい」

 天にのぼりかけた魂が、ようやく戻って来つつあったところに、この追い討ちだ。

 ヒカルは、身体中の血が、顔の血管に集まってくるように感じた。

 恥ずかしさのあまり、周囲を見回す余裕などなかったが、自分たちを取り巻く人々の様子は、否が応にも視界に入ってしまう。

 ニヤニヤ笑いながら、ヒカルの返事を待つ者。

 イエスかノーか、賭けを始める者。

 羨望のまなざしを向ける女性使用人もあったが、その視線から、今までのような意地悪なものは消えていた。

 そして、少し離れたところで、見守るようにヒカルを見つめているのは、あかりと明日美。

(こんなとこで、返事なんかできるかっての!)

 ヒカルは耳まで赤くした。

 ぎゅっとこぶしを握りしめ、唇をわなわなと震わせて、小さな声でつぶやく。

「…………し……」

「「「「し?」」」」

 その場にいるすべての人間の耳目が、ヒカルに集中していた。

 ヒカルの声をとらえて、大勢で訊き返す。

「…………し……、し……」

「「「「し~?」」」」

 全員が疑問形で復唱するなか、ヒカルは、すーっと、大きく息を吸い込んだ。

「知るか、ボケ~っ!」

 大声で叫び、その場から一目散に逃げ出した。

 その姿、まさに脱兎のごとし。

 だが。

 走り去っていく小さな背中は、答えがイエスであることを、言葉よりも雄弁に語っていた。












 そして、月日は流れ。

 九星堂の社内報の一面を、『塔矢アキラ次期社長婚約』の記事が飾った。

 以下は、その引用である。



    塔矢アキラ次期社長婚約。お相手は初恋の君・進藤ヒカル嬢。

    ヒカル嬢は十八歳。浙江省上虞市出身。

    九星堂本店の水汲み係から、次期社長の侍女に大抜擢。

    侍女の仕事の傍ら、次期社長とともに、囲碁の研鑚を続けている。

    明子社長代理の囲碁指南役も兼任。

    まさに当代の『灰姑娘物語』だ。

    十年の歳月を超えて再会したふたりは、現在、アツアツ交際中。



 この発表に先んじること3週間。

 後宮に勤める金子が、明日美からの手紙によって、すでにこの情報を入手していたことは、まったくの蛇足である。




                                  おしまい(?)




 長々とおつきあいくださいまして、ありがとうございました。

 だらだら書いてましたけど、これって、実はキリリクだったんですよね。

 ひすいさま、たいへんお待たせいたしました。

 リクエストから、えらくかけ離れたブツになってしまったかもしれませんが(大汗)。

 リクの内容と、ヒカちゃん&アキラさんも乱入する重大なお知らせは、こちらから。





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