007. パズルゲーム
2泊3日の囲碁セミナーを間近に控え、日本棋院のイベント課では、職員ふたりと旅行代理店の担当者とのあいだで打ち合わせが行われていた。
棋士や職員の交通手段の手配・会食のメニューの確認・指導碁会場のレイアウトに関するホテル側の懸案事項などを、順を追って綿密に調整していく。
「あれ? これはちょっとまずいですね…」
「どれどれ? ……ああ、こりゃまずいわ」
議題が棋士の部屋割りに至った時、職員のあいだでクレームが出された。
「あの…。何かいけないところがあるんでしょうか…」
旅行代理店の担当者が不思議そうにたずねると、年配の棋院職員が「ああそうか」と訳知り顔でうなづいた。
「あなた、今年からウチのイベントの担当になられたんでしたね。知らなくて当然です。あまり大きな声では言えませんが…この伊角くんと真柴くんは、まあ…なんと言いましょうか、あまり相性がよろしくないんですわ」
真柴充と伊角慎一郎の確執は、第9回若獅子戦に端を発する。
初めのうちこそ、プロ試験に合格できない焦りもあって、真柴の刺々しい言葉に神経をすり減らしていた伊角だったが、今ではすっかり感情をコントロールし、真柴の言葉など軽く受け流している。
しかし真柴のほうはというと、そんな伊角の態度が気に入らないらしく、なにかにつけてはイヤミ攻撃をしかけているのだ。
明らかに真柴に非があるのだが、外部の人間に棋士の醜聞を漏らすわけにもいかず、職員は「相性がよくない」で説明をすませたのだ。
「なるほど。囲碁の世界にもいろいろ事情があるのですね。……しかし、そうなりますと、もう一度部屋割りを組みなおさなければなりませんねえ」
担当者とふたりの職員は、応接テーブルの上に並べられた資料を囲んで長考に入る。
今回の囲碁セミナーに参加する棋士は7人。
桑原本因坊・緒方十段碁聖・芦原弘幸・伊角慎一郎・真柴充・進藤ヒカル・塔矢アキラだ(年齢順)。
旅行代理店側が提示した部屋割りは、次の通りである。
桑原…一人部屋
緒方…一人部屋
芦原・アキラ…二人部屋
伊角・真柴…二人部屋
ヒカル…一人部屋
「簡単じゃないですか。芦原さんと伊角さんを入れ替えれば…」
担当者が言いかけるのを、先程の職員が、ため息とともに首を横に振って制す。
「実は伊角くんと塔矢くんも…」
「? 相性がよくないんですか」
「いや、相性というのではなくて…、塔矢くんが、どういうわけか伊角くんをマークしているようで…」
「マーク? 伊角さんって確か今年の新入段でしたよね? あの塔矢アキラさんにマークされるなんて、すごい実力者なんですね」
はあぁぁぁ…
今度は別の若い職員がため息をつく。
「確かに期待の新人ですよ、彼は。でも、塔矢くんがマークしているのは、そういう意味でのことではないらしくて…」
「と、言いますと?」
「これは一柳先生からうかがった話なんですが、以前、塔矢くんが伊角くんに猛抗議をしているのを見かけたそうなんです。なんでも、[[…を餌付けしないでください!]]とかなんとか。犬だか猫だかはっきりとは聞き取れなかったそうですが、温和な塔矢くんが真っ赤になって怒っていた、と」
さらに、先程の職員が補足説明を加える。
「……その話を耳にしてから、彼らのようすを気にして見ていたんですが…いや、興味本位ではなく、我々はそういった水面下の情報を熟知しておく必要があるんですよ。今回みたいな時のためにね。……で、観察の結果ですが、どうやら塔矢くんは和谷くんも牽制しているようなんです」
「その人も餌付けして怒られたんですか?」
「いえ、その時は、[[妙な縄張り意識を植えつけるのは、やめてくれないか!]]でした」
「縄張り…となると犬ですかね。みなさんで1匹の犬を共同で飼っているとか。あるいは野良犬の面倒をみているとか」
「それはなさそうです。最近は野良犬を見かけることもないですし、野良だとしたら猫でしょう」
それが犬でも猫でもなく、ひとりの棋士であることには気づいていないようである。
「なるほど…。……いずれにしても、伊角さんと塔矢さんを同室にすることは難しい、ということですね」
ようやく本題に戻ったものの、話はまとまらない。
「……そうか。塔矢くんと真柴くんを同室にすれば、話は簡単じゃないか」
年配の職員がポンと手を打って提案する。
しかし、若い職員は意外そうに首をかしげた。
「あれ? 知らなかったんですか? このあいだ、塔矢くんが真柴くんのことを、ものすごい目で睨みつけてたのを…」
「初耳だな。何かあったのかい?」
「真柴くんが伊角くんに例のイヤミ攻撃をしかけていた時、進藤くんが一緒にいたんです。真柴くんは伊角くんだけでは飽き足らず、進藤くんの前髪を揶揄して[[遮断機代わりに踏み切りにでも立ってろ]]とからかったんですよ」
「……それを塔矢くんが見ていた、というわけか。生涯のライバルをそんなふうに言われたんじゃ、塔矢くんも黙っていられないだろうよ」
「もう、真柴くんにつかみかからんばかりの勢いでしたよ。進藤くんがとめなかったら、どうなっていたことか…」
「へえ。からかわれた本人である進藤くんがねえ」
いつまでたっても部屋割りが決まらないための現実逃避か、職員同士でうわさ話に花を咲かせる。
もはや外部の人間云々といった配慮などきれいに抜け落ち、セリフの端々まで再現されている。
「彼女、なかなか大物ですよ。[[なぜとめるんだ]]と激怒する塔矢くんに、[[黄色と黒だから遮断機なんて、オチがなさすぎじゃん。もうひとひねり欲しかったくらいだろ。おまえだったら、どうオチつけるよ]]って投げかけたんですから」
「ふはは。進藤くんらしいじゃないか。……で、塔矢くんは、なんて答えたんだい?」
「それが、あいにく聞き取れなかったんです。あとになって、そばにいた伊角くんにきいてみましたが、彼にも聞こえなかったようでして…。進藤くんに聞いたら、[[あんな冴えないギャグ、もう忘れた!]]と、逃げられてしまいました」
「塔矢くんのギャグねえ…。知りたいような知りたくないような…」
職員ふたりは遠い目をして想像してみるが、どうやらアキラがギャグを言うこと自体、想像しがたいようだ。
「あのぉ…。部屋割りは…」
担当者が遠慮がちに切り出して話題を修正したが、およそ建設的な意見は出てこない。
「いっそ、伊角くんと塔矢くんと真柴くんの3人をおなじ部屋にしたらどうだろう。エキストラベッドを入れて…」
「正気ですか? 血を見ますよ。むしろ、桑原先生か緒方先生と真柴くんを一緒にしたほうが、真柴くん、おとなしくしてるんじゃないでしょうか?」
「大御所と鳴かず飛ばずの…っとっと…若手の真柴くんを同室にするのは、あまりにも失礼じゃないか? それなら、いっそのこと、桑原先生と緒方先生を二人部屋に…」
「ムチャを言わないでくださいよ。ハブとマングースの戦いが見たいんですか!?」
「タイトルホルダーの緒方先生には申し訳ないが、去年の春と同様に芦原くんと同室に…。いや、ダメだ。それでも伊角くん・真柴くん・塔矢くんのうちのふたりは同室になってしまう」
職員ふたりが、ああでもないこうでもないと言い合っているあいだに、代理店の担当者は、紙にマス目をかき、付箋紙に棋士と彼らに同行する職員の名前を書いていた。
「一般参加のお客さんにキャンセルでも出ない限り、他に部屋はないんです。なんとしても、この中に納まってもらわなければならないんですよ」
担当者に促され、ふたりの職員が付箋紙を手にして、マス目を見据える。
まるで対局に臨むかのような真剣な眼差しで、ぺたぺたと付箋紙を貼ったり剥がしたり。
「まるでパズルだな」
年配の職員がつぶやく。
「こんな楽しくもなんともない…いや、苦しいばっかりのパズルなんてごめんですよ」
若い職員がぼやきながら付箋紙を移動させていく。
「あっ! これ…。これいいじゃないですか」
「おお! そうだな。これでいこう…ん?」
「ダメ…ですよ、これはいけません。却下です、却下」
とうとうパズルを完成させたかに見えたが、そこには落とし穴があった。
桑原…一人部屋
緒方…一人部屋
芦原・伊角…二人部屋
真柴…一人部屋
アキラ・ヒカル…二人部屋
「進藤くん…。どうしてキミは女の子なんだ…」
「完璧なのに。これで万事うまくいくのに…」
「……この案はボツです。忘れましょう…」
3人はがっかりとうなだれる。
その後、棋士と同行する職員の同室も視野に入れて、検討に検討をかさねたが、先程の名案を越えるものが出されることはなかった。
結局、真柴には今回の囲碁セミナーへの参加を見合わせてもらい、人当たりの穏やかな辻岡忠男二段に伊角と同室で参加してもらうことで事態は解決した。
あとから参加が決まったアキラでなく、真柴がはずされることになった理由は、ネームバリューによるところのみではない。
人間、普段の行いが重要なのだ。
もっとも、冴木のかわりを探している時に、最初からアキラでなく辻岡に依頼していれば、何も問題にはならなかったのだが、ビッグネーム・塔矢アキラが参加し、性格にかなり難のある真柴充がはずれるという好都合な展開に、彼らはそれを黙殺することにしたのだった。
<コメント>
ごめんなさい。ヒカルもアキラも出てきませんでした。
アキラが言ったギャグ、気になりますか? そのうち出てくると思いますよ。ふふふ…v
和谷くん・伊角くん・真柴くん(彼のファンって聞いたことないな)、名前は出ても本人たちは登場しませんねえ。伊角くんは010.旅の宿で登場してくれるでしょう。イベント参加者ですから。和谷くんも近いうちにぜひ。真柴くんは……登場を望む声が多かったら出てもらうかも。

