008. クロゼット
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008.
 クロゼット



 いよいよ明日は囲碁セミナーに出発という日の夜。

 アキラは自室のクロゼットの前で、持ち物の最終確認をしていた。

「洗面用具…よし。着替え用のワイシャツ…よし。読みかけの本…これはボクと進藤の愛の語らいには必要ないな。やはり置いていこう」

 イベント参加が決まってから、推敲を重ねに重ねて作った「持ち物リスト・第17版」を片手に、アキラは旅行かばんに荷物をまとめていく。

 仕事柄、出張には慣れているが、今回はいつもの出張とはワケが違う。


 愛しの進藤と温泉宿で2泊3日のラブラブ旅行(アキラ命名)なのだ。


「これで準備は万端だ…。……いや、待てよ。念には念を入れて、もう一度チェックしておこう」

 アキラは旅行かばんの中身を再び畳の上にひろげる。

 実のところ、この作業は1週間も前から何度となく、くりかえされていた。

「あと1回チェックすれば、ちょうど100回だ。これだけ確認しておけば大丈夫だろう」

 ……何度となくではなく、99回だったようだ。

 そして、100回目の確認作業が開始された。

「財布…よし。ハンカチとティッシュ…よし。替えの下着…この日のために買ってはみたものの、ボクはまだ、このタイプの下着を穿いたことがない…。やはり前もって試着しておくべきだったか」

 アキラは手にした布を見つめる。

 検討の対象となっているのは、ボクサータイプの下着。

 ずいぶん前に緒方に言われた言葉を思い出し、今回、購入に至った代物だ。



[[アキラくんも、そろそろブリーフは卒業かな。まあ、いきなりビキニに挑戦しろとは言わんが…。そうだな、まずはボクサータイプから試してみるといい]]

 なぜ下着の種類を変える必要があるのかたずねたところ、
[[白のブリーフなんて、今時、小学生でも穿かないぜ。もっと、見えないおしゃれに気を配るんだな]]
という答えが返ってきた。

 まったく理解できないアキラだったが、とりあえず兄弟子の助言に素直に従ったのだ。



「見えないところに気を配るのが大人の男のたしなみだって、緒方さんは言ってたけど…。下着の話は何かのたとえで、本当は他に意味があるのかもしれない」

手の中の下着を眺め、ぼんやりと逡巡することしばし。

「………」

「…………」

「……………あっ」

 何か思い当たったのか、アキラは下着を放り出し、てのひらで自分の口を覆う。


「そうか…。そういう意味だったのか…」

 もごもごと手の中でつぶやく。

 その頬は熟れたように真っ赤だ。

「見えないというのは、ごく一般的状況下にあるのを前提としたことで、一般的でない特別な状況でなら見える、という意味だったんだ。つまり、いつもは見せないけど、特別であるスイートメイプル・進藤には見せる、ということ…。ああ、ボクとしたことが、進藤を一般人とひとくくりにしていたなんて。……はっ! しまった!」


 アキラは慌ててトイレに駆け込む。

 すぐさまトイレを飛び出し、台所へと走っていく。

「トイレの突っ張り棚は大丈夫だ。でも、あそこは、きっとほこりだらけだ…」

 何事かと思いきや。

 つい先日の「盲点のほこりを一掃しようキャンペーン」において、受話器の掃除に2時間を費やしてしまったアキラは、電灯のかさ・テレビの裏・冷蔵庫の下などに、まったく手をつけていなかったのである。


 アキラは持ち物チェックを中断し、時ならぬ大掃除を始めた。

「進藤は、客間にしか通さない一般人とはワケが違う。進藤には台所も浴室も、どこもかしこもみんな見られるんだ。ボクの、お…お、お嫁さんになるんだからっ」



 どこを見られてもいいようにと、5時間かけて家中をぴかぴかに磨き上げて、満足げに息をついたアキラは、ここに至ってようやく持ち物チェックが途中であることを思い出した。まもなく日付も変わろうかというところだ。

「ボクは何をやってるんだ。だいたいボクはまだ15歳。進藤と、け、けけ、結婚するのは、ずっと先のことじゃないか! まずは目先の温泉宿だ!」


 アキラはたんすの引き出しを開け、愛用のブリーフを取り出して、旅行かばんに詰め込んだ。

「進藤と、け、け、結婚vして、ふたりの洗濯物を並べて干すようになったりすれば、互いに下着を目にすることもあるかもしれないけど…。そんなの、まだまだ先のことだ。……まったく、緒方さんは気が早いな…」

 アキラは、ボクサータイプの下着をたたみながらつぶやく。
「緒方さんは、白のブリーフよりこっちのほうがおしゃれだって言ってたけど、遠出する時は、はき慣れた靴のほうがいいって言うし…」

 アキラは小さくたたんだそれを、たんすの引き出しではなく、クロゼットの奥にしまった。



 畳、襖、障子、漆喰壁。

 そこに、なぜかクロゼット。

 アキラの自室の押入れがリフォームされたのは、彼がプロ棋士になった年の春のことである。

 スーツやコートを着る機会が増えるのだから、収納もそれにあわせたものを、と、母・明子が気を利かせたつもりで導入したのだが、学習机の上のパソコン同様、和の空間で見事に異彩を放っている。

 このクロゼットの右半分には丈の長いコートやパンツ、左半分にはジャケット類が掛けられており、その下のすきまに布団をしまっているので、腰に負担がかかることこの上ない。

 布団の横には、小物を収納するためのカラーボックスが置いてあるのだが、その奥にもうひとつ箱が隠されていることは、アキラだけの秘密だ。

 そこには、アキラの複雑な想いが込められたものが、本人も知らぬ間にたまってしまっていた。

 ヒカルがそこにいるかもしれないと、市河からもらった囲碁大会のチラシ。
 ヒカルとの初対局がかなわなかった通知はがきと、名人戦一次予選の通知はがき。

 北斗杯の会場となったホテルのゲームコーナーで、UFOキャッチャー名人・社清春がヒカルに取ってあげたのに、即日没収した蜂蜜をかかえたクマのぬいぐるみ。「ボクもこれ好きなんだ」という嘘まるだしのせりふが、痛々しい記憶としてアキラの胸に残っている。
 役に立たなかった黒い折りたたみ傘。

 ピンクのリボンと包装紙に赤い小花のついた小さな箱。

 緒方からヒカルに送られた翌日に没収したマスコット。「おまえ、これも好きなのかよ。しょーがねーなー」というヒカルのセリフに愛を見たような気がしたのはアキラだけだ。

 ヒカルとわけあったメロンをつついた赤いピック。

 そして今日。

 ボクサータイプの下着がコレクションに仲間入りしたのだった。




    <コメント>

洗濯する時以外に、ヒカルくんに下着を見られることはないとな? めでたいヤツv 
どなたか、ウチのアキラさんに教えてやってください。

アキラさんのコレクションのうち、幸せな思い出の品は、人からもらったメロンについてたピックだけ。がんばれ、アキラ!