010. 旅の宿(2)
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010.
 旅の宿(2)



 会食は、披露宴会場のような広いホールで行われる。

 もちろん、このホテルには畳敷きの大宴会場もあるのだが、参加客の年齢層を考慮すると、和室での食事には不都合が生じることが予想されるため、テーブル席の採用が決まったのだ。桑原翁の鶴の一声による、との噂もまことしやかに流れているが、これは余談。

 8人掛けの丸テーブルが所狭しと並べられ、参加客はくじを引いて、その番号の席につく。棋士たちの席はあらかじめ決められており、運がよければ、棋士と同じテーブルで食事をすることができる、という仕組みだ。



 7人の棋士は別々のテーブルに配置されていて、ヒカルとアキラもそれぞれの席で参加客との応対に追われていた。

 初対面の客同士がうちとけるには、プロ棋士を中心に会話を進めていくのが無難なのだが、棋士が同席していないテーブルでは、料理をつつくだけの時間になってしまうのが必然であろう。

 実は、そのために桑原本因坊が呼ばれていたのだ。

 棋士たちの自己紹介が済むと、マイクは桑原の手に渡される。

「えぇー、おほん。その、なんじゃ。食事をしながらでもできる簡単なゲームをしようと思うんじゃが…」


 あたりさわりのない第一声で始まるそのゲームは、「桑原杯・お国自慢ゲーム」と呼ばれる古き良き時代のレクリエーションである。

 おなじテーブルについた者同士がひとつのグループを作り、そのグループの特徴を発表するのだ。他のグループと比較して、もっとも特徴的なことを挙げたグループが優勝。スポンサーからの景品がもらえるという趣向である。

「自分たちが一番チッスがうまいとか、そういうのはナシですぞ。ウラが取れませんからの」

 セクハラぎりぎりの例をあげ、ひょっひょっひょ…と笑う。

 名司会役で知られる芦原であっても、こうはいかない。現役棋士最高齢に近い年齢にあり、かつタイトル保持者である彼だからこその話しぶりである。



 テーブルごとに細切れな自己紹介が始まった。

 年齢や血液型、職業や棋力、出身地や誕生日など、初対面の人間同士が会話を進めるための潤滑油のような話題があがっていく。

「そろそろいい頃かの」

 桑原がマイクを持って、各テーブルをまわる。

 ……うちが一番、平均年齢が若い。

「本当かのう。おまえさん、ワシとそう変わらんじゃろう」

 同年代の客の肩をたたく。

 ……うちが一番、元公務員が多い。

「そりゃ、うらやましいのう。恩給生活で安泰じゃな」

 タイトルホルダーが何を言う。

 ……うちが一番、総体重が重い。
「うぅーむ。否定できんのう」
 腕組みをして、もっともらしくうなづく。



 こうしてすべてのテーブルをまわり、審査員・桑原の判定によって優勝チームが決まる頃には、客同士がすっかりうちとけている、というわけだ。

 会食以外に特に役割分担を決められていない桑原の参加理由は、このゲームと、指導碁待ちの客の話相手に他ならなかった。



 食事もおおかた済んだ頃。
 なかよくなった客同士が、このあとの過ごし方を話しあっている。

指導碁会場の碁盤を借りて、対局を約束する者。

ホテル近くの居酒屋へ繰り出す計画を立てる者。

露天風呂へ誘いあう者。

ヒカルのテーブルの客たちは、露天風呂に行くことに決まったようである。

「進藤先生は、もう入られましたかな」

 となりの席の客にたずねられ、デザートの柿ようかんに舌鼓を打っていたヒカルは、ぷるぷると首を横に振った。

「ううん。ここに着いてから、ずっと塔矢と打ってたから」

「ここの露天風呂は有名らしいですよ。なんでも、その眺めは日本一だとか」

「へえ、そうなんだ…。オレ、去年来た時は大浴場には行ったけど、露天には行かなかったんですよ。入り口が外で、なんかめんどくさかったし」

「それはもったいない」

「わたしなんか、女房にうらやましがられて…。テレビでも紹介されて、今や大人気だそうです」

「美人の湯とかなんとか…。肌あたりのいいお湯だそうですよ」

 イベント参加に先駆けて、参加客たちはいろいろリサーチしてきていたらしい。

「ふーん。じゃあ、行ってみようかな」

「ぜひ、そうなさい。……まあ、もうひとつの効能は、進藤先生にはまだ早いかもしれませんがねぇ」

「もうひとつの…って?」

 ヒカルが首をかしげると、別の客が、その客をたしなめる。

「いけませんよ、女性をからかっちゃ。今は、すぐにセクハラだなんだって訴えられる時代なんですからね」

「いやあ失敬、失敬。わたしは酒が入ると、どうもいけない。進藤先生、お気になさらんでください」

 ヒカルに頭を下げると、客たちはぞろぞろと引き上げていった。

「なんだかわからないけど…。ま、いっか」

 ヒカルは自己完結すると、きょろきょろと周囲を見まわした。



「塔矢のヤツ、もう部屋に戻っちまったのかな。さっきの続き、打とうと思ったのに」

 アキラは、同席した客たちにせがまれて指導碁を打つことになったのだが、別のテーブルについていたヒカルは、そのことを知らない。


 人もまばらになったホールには、食後の一服をくゆらせる数人の客しか残っていない。

 その中にうしろ姿の緒方を見つけたヒカルは、「げっ」と小さな叫び声をあげ、あわててその口を両手でふさいだ。

「去年の春みたいに[[手を出してみろ]]なんて言われたらヤだもんな。明日打つのも気が進まないのに…」

 佐為と最後の夜を過ごしたのも、酔った緒方と佐為を対局させたのも、このホテルだ。

 つらい思い出はすっかり昇華させたかに見えるヒカルだが、場所が場所だけに、少し感傷にひたってしまうのは無理もないことだろう。


 ヒカルは胸の奥がちりちりと痛むのを振り払い、小さく息をはくと、そっとホールを抜け出したのだった。



売店に立ち寄り、おさななじみへのみやげを買い求めてから、ヒカルは部屋に戻った。

テレビをつける気にもなれず、なにげなく窓の下に広がるライトアップされた木々を見て過ごしていると、ドアの外からにぎやかな話し声が聞こえてきた。

気密性の高い客室内にいても、少しは話の内容は聞き取れる。

どうやら露天風呂の感想を言っているようだ。


「そういえば、眺めがいいって言ってたっけ。……行ってみようかな」

ヒカルはジャージに着替えると、入浴セットとタオルを持って、露天風呂へと向かった。

 ちょうどその頃、指導碁を終えたアキラも、露天風呂ののれんをくぐっていたのだった。




   <コメント>

ベタと言われてもいいっ! やっぱり温泉ネタははずせないでしょう。
でも、こんなところで切って、ほんとにスミマセン。

ウチの桑原翁は好々爺です。同年代の囲碁ファン(男性)に大人気で、指導碁の順番を待っている参加客を相手に、毒舌トークを繰り広げるとか…。それって好々爺とは言わないか(苦笑)。