018. 悪女
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018.
 悪女



 12月24日の夕刻。

 クリスマスが本来の意味から離れ、恋人たちのイベントとして独り歩きを始めて久しい昨今。

 とある碁会所においても、恋人同士の関係になりたいと強く願う少年が、生涯のライバルである少女をデートに誘うべく、自動ドアのすぐ外にスタンバイしていた。

 前日までに、クリスマスディナーの約束を取りつけるだけの時間は、いくらでもあった。

だが、いざとなると、なかなか言い出せず、結局、「いつもの碁会所で打とう」と約束するのがやっとだったのだ。

碁会所の中でヒカルを待っていたら、ヒカルはいつも通り、対局&検討を望むだろう。

そうなると、少なくとも87%以上の確率で、ケンカ別れしてしまう。

何がなんでも、今日だけは、ヒカルとケンカをするわけにはいかない。

だからこそ、アキラは、自動ドアの外で待ち伏せしていたのだ。

常連客が通りかかるたびに、こそこそと防火シャッターの陰に隠れてまで。

 ちなみに、彼らがアキラの存在に気づいていたことを、本人は知らない。
 今日の日付を思い出して、彼らが心の奥底で、「がんばれ若先生」と、エールを送っていたことも。



 さて、それからしばらくたった頃。

 約束の時間を5分ほど遅れて、ヒカルは雑居ビルの階段を駆け上がってきた。

 自動ドアの前で仁王立ちしているアキラを見つけたとき、ヒカルがどれほど驚いたか、想像に難くない。

「な、なんだよ、塔矢。なんで、こんなトコで待ってんだよ。ったく、あいかわらず心臓に悪いヤツだな。オレ、今日はそんなに遅れてねーだろっ!」

 ヒカルは、ダウンジャケットの上から、胸元を押さえた。

 階段とエレベーターホール全体に、わんわんと反響するヒカルの怒声に、アキラはあわてふためいた。

 碁会所のなかに聞こえてしまったら、自分たちが、ここにいることがバレてしまう。

 それは、ちょっと避けたい。

 大人の世界に足を踏み入れた(「緒方さんの個人授業」を参照)アキラは、ここに至って、ようやく人並みの羞恥心を持ち始めていたのだ。

「遅かったじゃないか、進藤。今日は、ここじゃなくて、別のところへつきあって欲しいんだが」

 決して想い人をデートに誘う口調ではなかったが、これでも、アキラにとっては、かなり勇気を振り絞った誘いの言葉だった。

「あ? 別のところ? なんだよ、それ。他の碁会所に行くってことか? ここじゃマズイのか?」

 アキラの真意は、ヒカルには、まったく通じていない。

 まあ、ヒカルでなくとも、通じないだろう。

「いや、そうじゃなくて…。えーっと……そうだ、進藤。キミ、おなかすいてない?」

「へ? ああ、そーいや、ハラ減ったかも」

「じゃあ、外へ食事に行かないか?」

「なんだ、おまえ、ハラ減ってたのかよ。いーぜ。どこ行く?」

 デートに誘うのではなく、食事に誘うのには成功したようだ。

「実は、もう予約してあるんだ」

「へえ。そんなに人気の店なのかよ」



 エレベーターに乗り込みながらの会話は、碁会所に筒抜けであった。

 壁に耳あり、障子に目あり。

 市河をはじめ常連客一同、若先生のクリスマスイブに、興味津々なのだ。

「……だめだわ。進藤くんったら、全然気づいてないみたい」

「進藤くんらしいじゃないですか。これからの若先生の口説き文句に期待…ですよ」

 がっくりと肩を落とす市河を、広瀬がなだめる。

「普通、今日が何月何日か思いつきゃあ、ピンとくるだろうに。まったく進藤のヤツは、鈍くていけねえ。若先生も、とんだ相手を選んじまったもんだ。先が思いやられるぜ」

 口は悪いが、北島もふたりの仲を応援しているのだ。

「あまーいクリスマスイブかあ。羨ましいわねえ。……わたしにも、そんな相手がいたらいいのに」

 妙齢の独身女性の深いため息に、雲行きを危ぶんだ常連客たちは、それぞれの盤面に、あわてて視線を戻したのだった。






 一方、アキラとヒカルは、というと。

「おい〜。ここでメシ食うわけ?」

 和服姿の仲居に案内されながら、ヒカルは、ぼそっとアキラに耳打ちした。

 冬枯れの風情もゆかしい中庭。

 向かうは離れの一室。

 そう。

 以前、「緒方さんの課外授業」が行われた、あの割烹だ。

 クリスマスイブの夜に、純和風の割烹で食事。

 なかなか哲学的ではある。

「前に、緒方さんに連れてきてもらったんだ。とてもおいしかったのを思い出してね」

 アキラの言葉は嘘ではない。

 だが、この割烹を選んだのには、他にも理由がある。

 今日、アキラはヒカルに告白するつもりなのだ。

 クリスマスの雰囲気たっぷりなフレンチレストランにするか。

 ヒカルの好きそうな、明るいイタリア料理の店にするか。

 今日だけは、ラーメン屋とファーストフード店は、避けたほうがいいだろう。

 いろいろ悩んだ末に、他人の目を気にせずに落ち着いて話ができそうだということで、この割烹を選んだのであった。



 確かに、最初は、慣れない雰囲気にためらっていたヒカルも、次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打っているうちに、すっかりくつろいだ様子になっていた。

 この場所を選んだアキラのほうこそ、いつ話を切り出そうかとタイミングを計って、そわそわと落ち着かないままだ。

 やがて、炊き込みご飯と茶碗蒸しが運ばれてきた。

 それは、今夜の献立が、もう終わりに近づいていることを知らせている。

 熱々の茶碗蒸しを、はふはふと幸せそうに食べるヒカルの笑顔に、でれっと溶けてしまいそうな自分を叱責した。

(いくら進藤がかわいいからって、いつまでも見とれているわけにはいかないっ! 今こそ、クリスマスプレゼントを渡して、告白するんだっ!!)

傍らに置いたかばんを引き寄せると、アキラは一世一代の告白をすべく、大きく息を吸い込んだ。



「ふざけんじゃないわよ!」

 甲高い声が響きわたる。

「なによ、この安っぽいダイヤ。わたしをバカにしてるの? ……違うわね。あんたがバカなのよ」

 どうやら、となりの離れから聞こえてくるようだ。

「それに、ネックレスって、どういうこと? こんなイイ女のクリスマスイブをリザーブしておいて、その見返りが、この子供だましなオモチャなわけ? わたしほどの女に贈るなら、2カラット以上の指輪を選ぶのが常識でしょ? ああ、やだやだ。こんな使えない男とイブを過ごすなんて、ありえないわ!」

 カツカツカツ…と、ヒールの音が移動していく。

 中庭の敷石の上を歩いているのだろう。

 そして、あたりに静寂が戻った。

 だが、アキラの胸中は、静まるどころか、それまでにも増して大騒ぎだ。

(指輪!? ダイヤ!? 2カラット!? しまった……! あんな女の人でも2カラットのダイヤが相場だなんて知らなかった。ボクの場合、世界一かわいい女の子に贈るんだから……500カラットぐらいかなあ。ああ、どうしよう…)

 アキラは、かばんのなかの小さな包みが、とんでもなく的外れなものであるかのように錯覚してしまった。

 クロゼットのコレクションに、新たな一品が加わることを覚悟して、アキラはため息をついた。



「なんだよ、あれ。ヤな感じ」

 茶碗蒸しのスプーンをくわえたまま、ヒカルは憤慨した。

「ひとから物をもらって、あの態度はなんなんだよ。おまえ、何様だよってんだ。あー、超ムカつく」

「でも、さっきの女の人は、2カラットのダイヤの指輪を贈るのが常識だって言ってたけど…」

「そんなの聞いたこともねーよ! あのバカ女の勝手な思い込みだろ。プレゼントってのは、贈る人の気持ちが大事なんじゃねーの? 気持ちがこもってる物なら、オレは何をもらってもうれしいと思うぜ」

 アキラの胸に、再び希望の光が差し込んだ。

「気持ちがこもっていれば、安物でも、ダイヤの指輪じゃなくてもいいのか?」

「ったりめーじゃん。……あ、でも、くれる人によっちゃ遠慮したいかも。なんか、期待されるとプレッシャーかかるっつーか、自分に向けられる気持ちが重たいっつーかさ。そんなにしてくんなくていいのに…みたいな?」

 ヒカルは、ファンからの贈り物について、コメントをしただけだったのだが。

「向けられる気持ちが……重たい……」

 ヒカルを想う気持ちが、ヒカルには重荷になってしまうかもしれないということに、アキラは愕然とした。

 以前のアキラならば、(もう〜、進藤の照れ屋さんv)で片付けてしまっただろう。

 だが、オトナの世界に足を踏み入れたことも影響しているのか、ようやくアキラも、空回りだらけの少年時代から、ぐるぐると悩み多き青春時代へと、少しだけ成長したようである。



「なんつってな。オレ庶民だし? あんまし高いモノもらっちまうと、お返しのこととか考えて、びびっちまうわけよ」

 きしし…と笑うヒカルに、アキラは「お返しを期待して贈り物をするわけじゃないよ」と、ひとりごとのようにつぶやいた。

「そりゃーな。おまえからもらうんだったら、ありがたくもらいっぱなしにしとくけど」

 ヒカルの言葉を受け、アキラは意を決してかばんを引き寄せた。

 クリスマスらしく、赤と緑の包装紙と金色のリボンでラッピングされた小さな包みを取り出すと、アキラは下を向いて目をぎゅっと閉じたまま、両手をのばしてヒカルの前に差し出した。

「え?」

 驚いて目を見張るヒカルに、アキラは詰めていた息をはき出しながら、うめくようにつぶやいた。

「……メリークリスマス……」

 ずっと前から考えていた告白の言葉は、胸のなかにしまい込んだ。

 自分の気持ちが、ヒカルの重荷にならないように。

「オレ…、なんにも用意してこなかった。今日がイブだってことも忘れてたし…」

 差し出された包みを受け取らず、おずおずと話すヒカルに、アキラは、なるべく平常どおりの自分を装って言った。

「ボクは、お返しなんか期待していないと言ったはずだが、聞こえなかったのか?」

「聞こえたよ。聞こえたけどさー。やっぱさー…」

「ボクからのプレゼントならば、もらいっぱなしにできると言ったじゃないか。キミは嘘をついたのか?」

「いや、嘘ってワケじゃないけど…。でもさー…」

「そんなに気にするのならば、このあいだワイシャツを選んでくれたお礼だと思ってくれればいい。先にプレゼントをくれたのはキミだ」

 やや強引に説得し、アキラがヒカルに包みを押しつけたのと、デザートを持って仲居が入ってきたのは、ほぼ同時のできごとであった。

 お互い真っ赤になってうつむく若いふたりに、年配の仲居は、(お邪魔しちゃったかしらv)と微笑みながら、そそくさと出て行った。





 外のつめたい空気が入り込んだのをきっかけに、アキラは何気なく外を眺めた。

 ふすまが閉められる、その瞬間。

 白いスーツの後ろ姿が目に入った。

 揚げ鶏屋の創業者の像でさえ、サンタクロースのコスチュームに身を包むこの季節。

 そんな服でこの割烹にいる人物を、アキラはひとりしか知らない。



 以前、この場所で、相談した側のアキラは、ヒカルとなんとなくいい雰囲気になっており、相談された側の緒方は、ろくでもない女に振られ、ひとり寒空の下で、紫煙をくゆらせている。

 なんとも皮肉なクリスマスイブなのであった。




 <コメント>

 メリークリスマス♪ 今日は5月21日です(爆)。

 アキラさん、プレゼント渡しましたねえ。よくがんばりました。あとは、ヒカルが穴をあけてくれるかどうか…。

 悪女といえば、報われない緒方さんの出番でしょう(笑)。おがたりあんのみなさま、いつもスミマセン。

 次回、お正月ネタです(殴)。