024. メビウスリング(3)
「……おーい。そろそろ動けるか?」
「な…なんとか……」
浴槽のなかで長いあいだうずくまっていては、湯あたりを起こしてしまう。
浮力と腕の力を使って、アキラはなんとか立ちあがった。
「……っくおおおおぉぉ……」
意味をなさない声をあげて浴槽をまたぎ、よろよろと脱衣室に向かうアキラのうしろを、ヒカルは心配そうについていく。
もうすぐ脱衣室に着く…というところで、アキラは立ちどまった。
引き戸を横に引く動作は、腰に負担がかかる。
ぎっくり腰に苦しんでいる現在のアキラには、扉をあけることができないのだ。
「進藤。悪いけど……○▼☆%◇#△!?」
「わかった。今あけるから」
ヒカルは、アキラの言葉のうしろ半分は聞かずに、気を利かせて先回りして、引き戸をあけてアキラを待った。
……聞いたとしても、○▼☆%◇#△では、なんのことだかわからなかっただろうが。
「よし、いいぞ、塔矢……って。何やってんだ?」
ヒカルが引き戸の前で振り返ると、アキラは前かがみになって下を向き、壁に手をついている。
中腰の姿勢は、よけいに辛いはずなのに。
ヒカルは、あわててアキラのもとに戻ろうとした。
「おい、だいじょ……」
「来るなっ!」
「……え?」
「今すぐ、どこかに行ってくれ!」
「なんだって……?」
床を見つめたまま言い放つアキラに、ヒカルは、その場に立ち尽くした。
同時に、イベント会場での冷たい言葉を思い出し、頭のなかが怒りでいっぱいになる。
「てめえ! ひとが心配してんのに、その言い草はなんだ! だいたい、なんでこっちを向かないんだよ。ひとの目を見て話すのが礼儀ってもんだろ!?」
激昂するヒカルに、アキラも負けてはいない。
「進藤! キミは、自分が今どういう姿でいるか、わかっているのか!?」
「……へ?」
ヒカルは、アキラから自分の身体へと視線を移した。
アキラは、腰に小さなタオルを巻いた、いわゆるオトコの正統派温泉スタイル。
それに対してヒカルは……。
「うぎゃあああああぁぁぁっ!!」
洞窟風呂や露天風呂を堪能していたヒカルは、当然、一糸まとわぬ生まれたままの姿。
そう。
すっぽんぽんである。
ヒカルは悲鳴をあげながら、脱衣室へと駆け込んだ。
誰もいない室内で、一目散に自分のロッカーをめざす。
だが、暗証番号を押しても、なぜか扉はあかない。
「なんなんだよ、もう!」
ヒカルが半ベソになって周囲を見まわすと、コイン式のマッサージ機のそばに、予備のバスタオルが積まれているのが目にとまった。
ヒカルは、それをすばやく身体に巻きつけて、ロッカーの陰に逃げ込んだ。
それからしばらくして、よろけるようにしてアキラが入ってきた。
「塔矢のヤツ……間違えて女湯に入ってたんだな」
ヒカルは、ぼそっとつぶやくと、アキラの様子をロッカーの陰からじっと見つめた。
ヒカルには、ノゾキの趣味はない。
だが、顔をしかめながら歩くアキラの緩慢な動きに、恥ずかしさよりも心配が先に来てしまうようだ。
少し離れた斜めうしろから、アキラの様子をうかがうと……。
右手がロッカーにのびて、指先が暗証番号を押す。
その番号は…………0920。
「あいつ……なんで……」
小さくつぶやきながら、ヒカルは、自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
湯冷めしそうな状態で、少し肌寒いにも関わらず。
ヒカルはアキラに背を向けて、熱を帯びた頬を、両手のてのひらで包んだ。
「……進藤、いるのかい?」
突然、名前を呼ばれて、ヒカルは飛びあがりそうなくらい驚いたが、「おう」と、なんとか答えることができた。
アキラは着替えを終えていて、腰の痛みに顔をしかめながら、髪の水分をぬぐっている。
いつも通りのやわらかな口調に、ヒカルは少しほっとして、ロッカーの陰から姿を現した。
「早く女湯に戻るんだ。男湯の脱衣室にいることが人の口にのぼったら、キミの名誉にかかわる」
「へ? ここ、女湯じゃないの?」
ヒカルは、素っ頓狂な声をあげた。
「ば、バカを言わないでくれ! ボクが女湯に入っていたとでも?」
「だってさ。オレ、女湯の内湯から洞窟風呂を通って露天風呂に行って、それからまた洞窟風呂を通って、ここに戻ってきたんだぜ?」
「……進藤。露天風呂から洞窟風呂に入る入り口は、ふたつあっただろう? キミは男湯のほうに迷い込んでしまったんだね」
「げっ! うそ!」
「男湯と女湯のそれぞれに洞窟風呂があって、その先は、ひとつの露天風呂につながっている。つまり、露天風呂は混浴なんだ」
混浴なんて恥ずかしいから、ボクはずっと内湯にいたんだけど……と、アキラはつけ加えた。
おなじところを往復したつもりが、実は、ループ状に進んでいて。
しかも、ぐるっと一周してみれば、そこは元の場所とは異なる男湯だったなんて。
これには、かのメビウス先生も真っ青だろう。
「マジかよ〜」
「マジでもなんでもいいから、早く行くんだ。いつまでもそんな格好をしていたら、風邪をひいてしまう。それに……目の毒だ」
バスタオルを巻きつけただけのヒカルを直視するのが恥ずかしいのだろう。
アキラは、頬を染めてうつむいている。
ヒカルも、なんだか心もとないような気がして、バスタオルの胸元を、ぎゅっとつかんだのだった。
「じゃあ、オレ、露天風呂経由で女湯に戻るわ。ソッコーで着替えてくるから、そのへんの椅子に座って休んでろよ。おまえひとりじゃ、部屋に戻るのも大変だろ?」
ヒカルは脱衣室を横切り、内湯に向かった。
だが、何か思い出したらしく、ヒカルは扉の前で立ちどまり、アキラのほうを振り返った。
「あのさ、塔矢。おまえは知らないかもしれないから一応言っとくけど。一緒に風呂入ったくらいじゃ、赤ちゃんできないからさ。心配しなくていいぞ」
ヒカルが神妙な顔で言い放ち、そのまま内湯へと消えていったあと、アキラが「髪を洗ったばかりだから、フケは出てないとは思うけど……」とつぶやいたのは、余談なのか本論なのか、判断に苦しむところである。
<コメント>
うっふっふ。ヒカちゃんったら『マッパ』ですわよ♪
アキラさん、目の保養になったかな? 腰の保養にはならんでしょうが。
このあとのお題、「恋歌」「朝焼け」と続くんですvv
なんだかロマンチックな字ヅラだにゃあ。←他人事か?
甘い雰囲気になってくれるといいんですけど。
ピアス事件は、次回、解決予定です。
それから、例のあのお言葉、もう一度出したいなあ。いいシチュエーションを妄想しちゃったので。
でも、次の更新は、エセ中国伝奇です(汗)。


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