025. 恋歌
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025.
 恋歌



 

 男湯から洞窟風呂を通り、露天風呂を経由して女湯へ戻ったヒカルは、大急ぎで服を着た。

 深めの湯のなかをざばざばと移動したため、時ならぬ水中エクササイズをしたかのような疲労感だが、ぎっくり腰に苦しむアキラを放ってはおけない。

 ヒカルは荷物を持って廊下へ出て、男湯の脱衣室をノックした。

「……塔矢? 入るぞ?」

 カラカラと音をさせて扉をあけると、少しうつむきがちに長椅子に腰かけているアキラの姿が目に入った。
 風呂あがりだというのに、ハイネックのセーターをしっかりと着こんでいる真面目さが彼らしい。

「だいじょぶか?」
 ヒカルはアキラのそばに寄って、ひょいと顔をのぞき込む。

 顔をあげるのもつらいのか、ヒカルがムリに目をあわせると、アキラは力なく微笑んだ。
 洗ったまま乾いていない黒髪が、へたっと頬にはりつき、いつもの精悍さがない。

「そーとーツライみたいだな。立てるか?」
 ヒカルは、アキラの荷物と自分の荷物をまとめて肩にかつぎ、アキラの腕を取った。

「なんとか……あいたたた」
 アキラは、情けない声をあげながら、よろよろと立ちあがった。
 そして、ヒカルの手を借りて脱衣室を後にしたのだった。






 客室のある階へはエレベーターで戻ることができるが、意外なところに問題があった。
 建物の構造上、大浴場から館内の廊下に出るには、5段ほどの階段をのぼらなければならないのだ。
 さきほども、腰痛に苦しむ桜野を手伝って一緒に通ったが、アキラのほうが重症のようだ。

「塔矢。これ、あがれるか?」
「だいじょう……痛っ!」
 ほんの16cm程度の段差に足をかけた途端、アキラは悲鳴をあげてヒカルにしがみついた。

「塔矢!?」
 あわてて力を入れるが、もともとの体格に少々差がある。
 ヒカルは、とっさに頭をアキラのわきの下の突っ込んで、ぐいっと持ちあげた。

 なんとか共倒れになるのは免れたが、なにやら側頭部……というか顔の横に違和感がある。
 なんだろうと、ヒカルは頭を動かしてみた。

「いてっ!」
 声をあげたのはヒカルだ。

「塔矢、ちょっとタンマ。いてぇ。耳、耳、みみ〜っ!」
「……耳?」
 アキラは、痛がっているヒカルを気遣って、ヒカルから身体を離した。

「うわっ、ちょっと待て。動くな! 痛いって!」
 アキラが身体を離したぶんだけ、ヒカルは自分から近づいていく。

 アキラの横っ腹にヒカルが耳を押しつけたままの奇妙な平衡状態が、しばらくのあいだ続いた。



 試行錯誤しながら、ふたりは階段の一番下の段に、並んで座ることに成功した。

「いったいどうしたんだ、進藤」
「ちょっと待って。今、とりこみ中……」
 ヒカルは、アキラの身体に側頭部をぴったりとくっつけて、なにやら耳元をさぐっている。

「はあ〜。やっと取れた」
 顔をあげて息を吐くと、ヒカルは、てのひらに小さな金色の塊を乗せて、アキラに見せた。
「これだよ〜。ピアスのポストが、塔矢のセーターにひっかかっちまってたんだ」
 ヒカルは、「耳がひっぱられて、もう痛いのなんの……」と、説明を続けるが、アキラにとってはそれどころではない。

「…………ピアス……」

 うめくようなアキラのつぶやきに、ヒカルは思い出した。
 もともと、アキラにもらったピアスをつけるために、ピアスホールをあけたのだということを。
 当事者を前にして、恥ずかしいやら、照れくさいやら。

「おっ、おまえのせいだからな!」
 ヒカルは、上目使いにアキラを睨みつけた。
「おまえが、ピアスなんてめんどくせえモンくれるから、耳に穴あけたり消毒したり、今みたいにひっかかったり……」
 そこまで言って、ヒカルはハッとした。

(これじゃあ、まるで塔矢のためにピアスホールをあけたって、告白してるようなもんじゃんか!)
 
 真っ赤になってうつむいたヒカルに、アキラは目を見張った。

「ボクのために、キミは……」
「べっ、別に、おまえのためじゃねえよ!」
「だけど、ボクがピアスをプレゼントしたからだって、今……」
「おまえの恨みがましい目がウザかっただけだ!」

「それじゃあ、やっぱりボクのために……」

 アキラは、感無量で空を仰いだ。
 まあ、そこにあるのは、旅館の天井なのだが。



「だけど、それなら、どうしてボクがあげたピアスをしてくれないんだ?」
 しばらく感動に酔いしれていたアキラは、ふと思いついてヒカルに尋ねた。

 ヒカルは、クリニックで得たファーストピアスについての知識を伝えた。

「なるほど。じゃあ、完全にピアスホールができたら、ボクがあげたピアスをしてくれるんだね?」
 期待に目を輝かせるアキラに、ヒカルは、「……まあな」と、小さくつぶやいたのだった。






 いくら暖房が効いている館内とはいえ、階段に座り込んでいたのでは湯冷めをしてしまう。

 ヒカルが「部屋まで送る」と、心配そうに言うのを丁重に辞し、エレベーターの前でヒカルと別れ、アキラはひとりで部屋へ戻った。

 同室の棋士は、もう寝ているらしい。
 アキラは、座卓の上に置かれている茶封筒を見つけた。
 独特の清涼感のある匂いに、惹きつけられる。

『塔矢くんの分』
 ボールペンで書かれた字は、すでに寝ている先輩棋士の手によるものだろう。
 アキラは、ありがたく湿布薬を頂戴することにした。

 布団に入っても、なかなか寝つけなかった。
 1000面打ちが終わったときには、身体も気持ちも、あんなに疲れ切っていたのに。

    おまえのせいだからなっ!
    おまえが、ピアスなんてめんどくせえモンくれるから……

 乱暴に言い放たれた言葉が、アキラの耳には、甘い恋の歌のように響いていた。






 アキラをエレベーターまで送ったあと、ヒカルはもう一度、大浴場へ向かった。
 自分が発した告白まがいの言葉に、まだ顔が火照っていたからだ。

 ヒカルは、露天風呂に浸かって、夜空を見上げた。
 湯から出ている肩や顔に、ひんやりした空気が気持ちいい。

「昼間、あんなに機嫌悪そうだったのに…………ヘンなヤツ」

 口では不服そうに言いながらも、なんとなく頬がゆるんでしまうヒカルだった。








 
    <コメント>

お久しぶりの温泉連載です。
いつのまにか、季節に追い越されてしまいました。

ピアス事件は無事解決。
あとは自信を回復したアキラさんが、勘違いフルパワーで走りまわってくれ…る……かな?

なんせ、彼は今、ぎっくり腰ですからねえ(笑)。