026. 朝焼け(2)
大浴場の内湯で、部屋から持ってきた衣類の手洗いを終えたところで、アキラは、うーんと腰をのばした。
「あいたたた……」
昨日の発症直後よりは、ずっとラクだが、やはりどうも鈍痛があるようだ。
「寝ているあいだ、おなじ姿勢でいたせいかな。その格好で固まってしまったみたいな感じがする」
アキラは脱衣室に戻って、手洗いした衣類をビニール袋に入れた。
そこで、ふと思いついたように、服を脱いで内湯へと歩を進めた。
「急性期には冷やしたほうがいいって聞くけど……。温泉に浸かってあたたまったら、よくなるかもしれないし」
シャワーで軽く身体を流し、浴槽の蓋をあける。
もわっと湯気が立ち込めるなかに、そっと手を入れてみた。
(熱いっ!)
アキラは、あわてて手を引っ込めた。
24時間入浴可能と謳われる循環式の保温システムだが、一晩中、蓋をしたまま放置されていた湯は、想像以上に温度が高くなっていたのだ。
「露天風呂に行こうかな。外気にさらされているぶん、内湯ほど熱くはないはず。……この時間なら、混浴とは言っても、まだ誰もいないだろうし」
アキラは、アルミ製の引き戸をあけて、洞窟風呂へと足を踏み入れた。
まがりくねった洞窟を模した造りになってはいるものの、外と直結しているので、湯の温度は少し冷めて、ちょうどいい具合だ。
深めに張られた湯のなかを、アキラは腰をかばいながら進んでいった。
この先にヒカルがいることなど、知る由もなく。
ライトアップされた日本庭園は、狭いながらも風情のあるものだった。
とくに、降り積もった雪や湯けむりが、あたたかい色の灯りに照らし出される様子は、とても幻想的だ。
濃紺から次第に淡い色へと姿を変えていく東の空が、日の出の時刻が近づいていることを知らせている。
「むふふーん♪ このぶんだと期待できそうだな、朝焼け。なんせわびさびだもんなあ♪」
やはりどこか間違った解釈ながらも、ヒカルは露天風呂に浸かり、のばした足をばたつかせながら、日の出を待っていた。
ぱしゃん
ヒカルの背後で、かすかな水音がした。
「もしかして、猿かなんかが温泉に入りに来たのかな。動物も温泉に入るっていうし」
ヒカルは「おさるさん、おさるさんv」と、明らかに現在地を勘違いしているとしか思えない口ぶりで振り返った。
だが、立ちのぼる湯けむりの向こうに浮かぶのは、人型をしたシルエットだ。
「猿じゃねえなあ……」
ヒカルが目を凝らしていると、聞き慣れた声が聞こえた。
「……進藤?」
肩まで湯に浸かったまま、少しずつ近づいてくるシルエットは、やがて、アキラの形になった。
髪が湯につかないようにと、うしろの低い位置で結っているのが珍しい。
「なんだ、塔矢かよ。おさるさんが来たのかと思ったのに……」
不満そうに口をとがらせるヒカルに、アキラはぷぷっと吹き出した。
「それは地獄谷だろう? こんな温泉街に猿なんか来ないよ」
「そっ、そんなの知ってるよ! 冗談に決まってんだろ!」
ヒカルは、温泉のせいで火照っていた顔を、さらに赤らめて怒鳴ったが、それが本当かどうか、かなり怪しいところだ。
アキラが心のなかで、(地獄谷がどこにあるのか、進藤は知ってるのかな)と、思っていたことは、当然内緒の話である。
そんなやりとりがあったため、混浴の露天風呂にふたりっきりという事実に気がつくまでに、1分20秒ほどを要した。
(うわっ。そーいや、ここって混浴だったっけ。すっかり忘れてた……)
(進藤とふたりっきりで露天風呂。これぞまさに湯けむり温泉旅情……v)
ふたりはそのことに、ほぼ同時に思い至ったが、大騒ぎにはならなかった。
すでに、猿がらみでナチュラルに会話をした後だ。
今さら恥ずかしがってみせようにも、タイミングを逃してしまっている。
お互いに、混浴という温泉文化にさほど造詣が深いわけでもなかったこともあり、「こういうときはジェントリーにふるまうべきなんだろう」という見解に達したらしい。
男女が一緒に入浴しただけで妊娠すると思い込んでいた頃に比べれば、ふたりとも、えらく成長したものだ。
「腰の調子、どうだ?」
ヒカルは、つとめて穏やかに尋ねた。
勝手に作り上げた「エセ混浴マナー」に従ってのことだ。
「うん。昨日よりずっとラクになったよ。ありがとう」
アキラも、自分なりの「混浴の心得」に従って、極めて紳士的にふるまった。
ふたりが、当たり障りのない話題を選んで、ぽつぽつと話しているうちに、東の空がパアーっと明るくなった。
日の出の時刻になったのだ。
太陽そのものは、まだ姿を見せないが、雲がオレンジ色に染まり、見事な朝焼けを作り出している。
燈籠のほのかな灯りに照らされて、儚い雰囲気を醸し出していた日本庭園の雪も、強く差し込む光に、キラキラと輝く。
「うわあ……。掃除のおばちゃんが言ってた通りだ。すっごくきれいだな……」
「朝焼けは雨を呼ぶと言うけれど……。これは見事なものだね」
やがて太陽も顔を出し、まぶしいくらいの光に、ふたりは手をかざした。
キラリ
「???」
アキラは、かざした手の指のすきまから、小さな光がこぼれるのを見た。
ヒカルの耳を飾る金色のピアスだ。
(もうすぐ、ボクが贈ったピアスをしてくれるんだ……)
そのまるい球体が、自分が贈った物のための準備品だと思うと、現金なもので、昨日の暗くもやもやとした思いとは正反対に、愛しい気持ちがこみあげてくる。
「進藤。キミの耳のピアスが、朝日に輝いて、とっても綺麗だよ」
自然にアキラの口をついて飛び出した言葉に、ヒカルは「バカヤロー!」と、怒鳴りそうになった。
だが、にわか仕込みの「エセ混浴マナー」を思い出し、しおらしく耳に手をあてるに留めた。
「そ、そうか?」
照れくさそうに笑うヒカルに、アキラはさらに言葉を続けた。
「本当に綺麗だよ。この朝焼けに負けていない。いや……むしろ、キミのほうが、ずっと綺麗だ」
これは、アキラなりの「混浴の心得」だったのかもしれない。
本来のアキラならば、『マイ・ビューティフル・サンシャイン・プリンセス』くらいの表現をして、ヒカルの失笑を買っていたことだろう。
それでも、一生に一度のタイムリーヒット……まさに神の一手に近いものであったことに変わりはない。
ヒカルは、まんざらでもなさそうに、「えへへ……」と笑った。
互いの距離は、およそ2メートル。
その微妙な距離に後押しされて、アキラはヒカルに告げた。
「進藤。ボクは、キミが好きだ」
<コメント>
ちょっと奥様、ご覧になりまして?
混浴の露天風呂で、愛の告白ですって。
イヤらしいですわねえ。
これだから、イマドキの若い人って……。←違うだろ


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